神様と三毛猫
街中を覆った闇が、次第に消え去って行く夜明けを見ることが出来たけれど、私の前に神様は現れなかった。
現れたのは不審な男だった。
妙な視線を感じて見回すと、向こうにある河川工事のお知らせの立て看板の陰から、パーカとマスク姿の男が、私の方をじっと見ていたの。
キモッ (--〆) あっち行けーーッ! こっち見んな!
私は土手を駆け上がり、堤防を越え、川沿いの道路を渡って、その向こうから始まる憩いの緑道の小道に入った。
───まさかついて来るとは思わなかった。
早足にしてみたら、向こうも早足になってる。ゆっくりにしたらゆっくりに。止まったら止まる。
キモいを通り越して怖くなった。
大声をあげようと思ったけど、怪しいって確証無いし、それも勇気がいってためらってしまう。
私の歩調がどんどん速くなって、向こうも速くなって、私は小走りになって、もう怖くて怖くて。
焦ってて、私の手が脇の植え込みからはみ出た小枝で擦った刹那、ずっと握りしめてたおばあちゃんの鈴が落っこちた。
「あっ!!」
それは小さな鈴の音を立てながら転がって、植え込みに入って見えなくしまった!
───わーん、どうしよう!!
拾いたいけど、私は明らかに不審者からストーキングされてるの!
しゃがんで覗けばすぐに見つかって拾えるかも? いや、今は逃げるべき?
拾う? 逃げる? 拾う? 逃げる?
迷って咄嗟、足が止まってしまった。
私が立ち止まったから? その一瞬の間に、マスク男がすごく詰めて来てるッ!!
イヤーッ、こっち来んなーーッ!! 誰か来てぇーー!! もうほんとに叫ぶしかないよ!! せーのッ!
「たっ、助け・・・・あ?!」
私の勇気は悲鳴にはならなかった。
だって、私の大切な鈴が転がったあたりの植え込みから、小さな鈴の音とともに一匹の猫がニョキッと急に顔を出したんだもの。叫ぶタイミング狂った。
その猫さんは、顔だけ出したまま一拍止まって私の顔をじっと見た。それからニョッて、のっそり体が出て来た。
三毛猫。どこかの飼い猫だ。鈴がついた紅い首輪がちらりと見えたもの。
猫は、私にシッポを立てたお尻を向けて男の方を向いて座った。
一歩一歩近づいて来る男。
今度こそ叫ぼうと意を決し、大きく息を吸った時だった。
座ってた三毛猫が、いきなり猛烈ダッシュして男に向かってジャンプした!! 見事な静からの動。
「うわっ!! なんだよ、コイツッッ!! イテテッ、ヤメロ、クソ猫がッ!!」
男が被ってたフードとマスクがズレ落ちた。全然知らない人だ。
猫は肩から背後に回り、背中につかまってぶら下がってる。男はわーわー騒いでるけど、猫の方は、ハッハッとする息の音のみ。
猫が植え込みから現れてからそこまでは、感覚数秒の出来事。
男への攻撃は終始無言で行われている。
振り落とされても蹴られてもまたすぐ飛びつく。
「ヤ、ヤメロッ!! マジか?! コイツ、おっ、俺のクッ、クビを狙ってやがる?! ケダモノめ!! エッ!? クビ、クビがら血がッ?! 何でッ?! やめて、ヒィッ・・・」
ストーカー男は慌て過ぎて足をもつれさせ、転びそうになりながら退散して行き、猫は男を追いかけて行った。
怪しい男! ザマァ。
男が騒いだから、朝早くに出勤に向かってたらしきおじさんと女性が、それぞれ寄って来た。
ドラマの中にいるような中間管理職っぽいおじさんと、人当たり良さげな雰囲気の女の人。
「なんだ今の人? 若い男が叫びながら向こうへ走って行ったの見たぞ?」
「ええ、何でしょう?」
「最近は変なのが多いな」
おじさんは何事か気になってたみたいだけど、腕時計をちらりと見てそのまま行ってしまった。
女性が、私に声をかけた。
「あの・・・何があったのかしら? あなた大丈夫? クビが狙われてるとかって男の騒いでる声が、この辺でしてたけど。何か見た?」
────あんな見も知らない変態男のトラブルに巻き込まれるのはごめんだわ。
ストーキングのことは黙っていた。
「はい、不審な男がそこにいたんです。何か叫んでて、あの・・・えっと、一人で見えない何かと闘っていました。一人で騒いでから、土手方面に走って行きました。あの・・・あの人もしかして変なクスリをしてる人かも・・・目つきもすっごく怖かったです」
猫のことも言いたくなかった。だって私の恩猫だもん。悪者はあの男なのに、あの猫が悪者にされたら嫌だ。
きっと男が放つ悪のオーラが、あの猫ちゃんにはわかったんじゃないかな? それとも以前に、あの猫ちゃんがあの男にいじめられてたって可能性もあるよ? 狙いを定めて怒っていたんだもん。きっとそうだ。
「イヤだわぁ〜。それは気持ち悪いわね。キマっちゃってる薬物中毒者の幻覚とか妄想に違いないわ。私、登録している不審者情報ネットに通報しておくわね。私はこの近所だし、仕事中は留守番の小学生の子どもたちも心配だもの。春休みだしね、公園で遊ぶ子も多いだろうし」
「ありがとうございます。男の特徴は165センチくらいで、白マスクに─────」
私は特徴を出来るだけ詳しくお知らせし、女性はテキパキと不審者情報を報告送信した。
「ヨシ、送信完了! あら? あなたの猫ちゃんなの? かわいいわね〜。うちも飼ってるの。犬だけど。アハハ・・・あら!? ウソみたい、この子ミケのオスじゃないの? 珍しいわよね。初めて実物見たわ!」
───えっっ? 私の猫って?
いつの間にか、あの三毛猫が私の横にきちんと座ってる。狛犬みたいに姿勢良く。
びっくりしたぁ・・・
この人、私の猫だと勘違いしてるけど、ま、いっか。
この子、凶暴な猫の可能性もあったけど、やはりいい子みたい。この女性には素直に頭を撫でられてる。気持ち良さげな顔して。やっぱ、悪を見抜いた賢い子なんだ。特別な生まれの猫だけあるね。
「縁起がいいのよね。ありがとう、ミケちゃん。撫でられたしご利益があるかしら♡ あなたは猫とお散歩中だったのね。じゃ、不審者はどこにいるか知れないし気をつけて帰るのよ」
親切な女の人は、軽く手を振って急ぎ足で駅の方へ向かって行った。
「はい。ありがとうございました」
私はペコリと頭を下げる。
「・・・あっ!!」
私の足元に! こんなところにおばあちゃんの形見の鈴が転がってた。猫が暴れた拍子に運良く茂みから出て来たのかも。
ホッとした。見つかって良かったぁ・・・
・・・って、あれ? あの三毛猫がいつの間にかいなくなってる。ほんの一瞬目を離した隙に。
急に現れたり消えたり、猫は気まぐれだね。
あの猫、どこの子なんだろう?
私の恩猫。
それがすっごく珍しい三毛猫の男の子だったなんて、こんなことって奇跡的だよね! うふ♡
あ! もしかして私の苦しみを知った夜明けの神様のお使いかも?
────私、あの子に運命を感じる。
朝、またここに来ればまたあの子に会えるかな? 学校休みの日なら来れるし。早起きはつらいけど、私にはあの子にまた会うって目的があるから大丈夫だ。
*
────思い出す。
みけかわと初めて出会った日のこと。
夜明けの神様には会えなかったけど、あの日私は、みけかわと出会ったの。