みけかわ記念日
ああ、真夜中12時を過ぎたら、例の記念日か・・・
今日は5月最後の金曜日の夜。午前0時まであと数分。
今夜は夜勤だ。
ありがたいことに、今夜は今んとこ俺の出番はない。
狭い待機部屋のソファーで1人寝転ぶ。
入院中の様々な動物たちの声が、時折ここまで響いて来る。
ああ、この声はラグドールの女の子、きなこちゃんだな。毛球で消化管が詰まってしまって除去手術した子。飼い主を呼んで寂しがってる。大丈夫だよ。明日診察して問題なければ家に帰れる。
ちょっと覗きに行って安心させてやろう。
夜の病院の薄暗い廊下に俺の足音がコツコツ響く。
第一診察室は灯りがついていて、他の先生が急患を診察しているようだ。
俺は浪人したし最短より1年多くかかったけど、無事に獣医師の免許を取得している。
今年でもう28歳だ。時が経つのは早い。
今はわりと大き目な動物病院にてローテーションに組み込まれ、たまに出向などもしながら、猫のみならず、様々な動物の診察に携わっている。まだ腕は未熟だし、奨学金の返済もあるし、独立なんていつのことになることかでまだまだ見通しは立たない。
12時過ぎたら俺たちの特別な日。彼女、元気かな?
────今夜は特別思い出す。
中学1年の時の同級生女子との約束。ドキドキを必死で隠しながらの指切り。
少年だった俺。
彼女の名は忘れもしない河合美咲。
結構な強気な女の子だったけど、内面は繊細な子だった。俺は彼女を知る度に、話す度に、次第に意識するようになって行った。
結局俺は、河合美咲が好きだったんだ。
けど、心のどこかで好きだとは意識しないようにしていた。俺には不釣り合いだと知っていたから。
中2で河合とクラスが変わってから、急激に距離が離れて行った。学校で会うこともあんまなくなって。
たまに校内ですれ違って、元気?って声をかけ合うくらいで。
河合の拉致未遂事件が起こった、5月の終わりの土曜日。みけかわことミツハシさんの命日。
その日を俺たちは「みけかわ記念日」と決めた。
毎年、みけかわ記念日には河合から短いメッセージが届く。
それは明日、来るだろう。
事件後の少し落ち着いた時、河合に誘われて「みけかわ」ことミツハシさんが亡くなった場所に二人で祈りを捧げたが、事件翌年からは誘われることはなかった。
あれからみけかわ記念日には、緑道のあの場所に毎年、小さな花束が捧げられていたのを俺は知っている。
たぶん河合は俺の負担になるのを嫌って声をかけてくれないんだろうと思った。けど、一抹の寂しさは誤魔化せなかった。
俺から誘えば良かったのかも知れないが、もしかして河合は事件自体のことは忘れてしまいたいと思っているのかもしれなかったし、俺から声はかけるのも躊躇われた。
本当は俺の存在も消してしまいたいのかも知れなかった。
けれど、それは俺と未来の約束した指切りとは矛盾。
彼女の気持ちを考えてみたけれど、ただ当時は俺への恩義と俺の謎が気になるがためにずっと繋がっていようと約束をしたのだろう。
俺たちはまだ未熟で少年少女だった。
彼女は未だに俺の謎を気にしてる? 約束の指切り以来、俺の秘密を探ろうとする気配は全くない。
俺は高校を卒業するまでは1人、河合の残した花束の痕跡を確認した後は、ミツハシさんと出会った神社に行ってお参りしていたけれど、遠方の大学に入学して一人暮らしを初めてからは、行けてないのが現状だった。
忘れることなど決してないけれど、俺の中1の夏の記憶は遠くへ流されて行く。
束の間の物思いは醒め、俺の足は犬猫たちの介護室の前で止まる。
入院中の動物たちが休んでいる、ケージが並ぶ薄明かりの病室に入る。
きなこがひときわ悲しげな声で人間を呼んでる。
ケージの中でうっすら光る、美しき青い2つの目。
「やあ、きなこちゃん。こんばんは」
「にゃーにゃーにゃー」
『特に変わった症状は出てないですか?』
『早くお家に帰りたいにゃ』
『明日には帰れるよ。今夜はちゃんと休んで』
「にゃ?」
「ほんとだよ」
────そう、実は俺は未だに猫語が喋れるし理解出来る。
猫語を使わなくても猫は人間の言葉を大概は理解している。もちろん難しい言葉はわかっていないけどね。
俺は、たくさんの猫に出会って来たけれど、ミツハシさんのような高度な知識と知性を持った猫にはお目にかかっていない。やはりミツハシさんは特別な猫だったんだ。
事件の日、人間の言葉を取り戻してもなぜか猫語は俺から消えてなかった。
俺はその事をひたすら隠してここまで来た。
本当なら人間の言葉を取り戻したら猫語は消えるはずだった。消えなかった理由は はっきりは分からないけど、俺がこの状態を望んでいるからだろうと思う。
俺に猫語が残されたのは、河合のおばあちゃんからのお礼だと思う。俺が体を張って孫の河合美咲を助けたから。ミツハシさんからのメッセージも彼女にちゃんと伝えたし。
シャララ、シャララ・・・
俺の院内用携帯が鳴った。呼び出しだ。猫の急患が来るようだ。
よし、俺の出番だ!
猫を救うのが俺の使命。
河合を拉致した犯人の車に跳ね飛ばされるはずだった俺を救ったのは猫。
轢かれそうになった俺を助けるために、河合を助けるために、ミツハシさんは捨て身で車の前に飛び出した。
結局俺は自ら車に飛びついてひかれてしまったけれど、片脚の骨折くらいで済んだ。
俺の人生を決定づけたのは、三毛猫のミツハシさんだ────




