第1章・後編:ルーシファー家のクソガキ
古の香りと囁きが交差する市場の片隅で、ひとつの出会いが静かに運命を動かし始める。
忘れられた記憶、癒えぬ傷、そして見えない視線。
日常の隙間に差し込む不可解な言葉が、心の奥に火を灯す。
それは始まりの予兆か、それとも崩壊の合図か。
世界の輪郭が揺らぎ始めた時、選択は静かに迫ってくる。
《《第三幕:観察者からの警告》》
通りには、焼けた香と濡れた土の甘酸っぱい香りが漂っていた。
建物は質素ながらも独自の美しさを持っていた。 古代のシンボルが彫られた木製の屋台、風がなくても優しく揺れる魔法のリネンの布。 人々は狭い通路をすり抜け、ありえない色合いで輝く液体の入ったガラス瓶を運んでいた。
鍋から立ち上る蒸気は、まるで見えない意志に従うかのように、ゆっくりと漂う金色の霧を形成していた。 空気中には、忘れ去られた言語の言葉が市場のささやきと混ざり合い、小さな銅製のオートマトンが人間のような繊細さで余分な熱を集めていた。
その秩序ある混沌の中で、私の目は何かを探していた。
生きたインクで書かれたラベルは、読まれると震えていた。 自ら動く葉を持つ植物は、まるで私を見つめているかのようだった。 しわだらけの手が、強引な優しさで私を引っ張った。 子供たちは火花のように走り回り、注射されたばかりの注射器の金属がまだ皮膚の下で脈打っていた。
さらに進むと、緋色の葉で覆われた屋台が私の注意を引いた。 それらは鼓動していた...まるで呼吸しているかのように。
「医療には詳しくないけど、その植物は君が求めているものじゃないと思うよ。 」
声は横から、低く、しかしはっきりと聞こえた。 私はゆっくりと頭を回し、自動的に眉をひそめた。
私と同じ年頃の少年だった。 側面がきれいに刈り込まれ、後ろが長めの波打つ髪。 白い笠が顔の一部を影にしていた。
呼吸に合わせて動くような赤い模様が描かれたベージュのコート。 足首までの白いズボン。 裸足で、まるで地面の一部であるかのようだった。
彼の目は上向きの曲線を持ち、下に柔らかな線があり、世界を軽やかに背負っているようだった。 それでも、彼の目は笑っていた。 悲しみを見てきたが、それを笑い飛ばすことを選んだ者の目だった。
「誰かが何か聞いたか? おせっかい。 」
「まあまあ、落ち着いて! 敵じゃないよ。 」彼は冗談めかして手を挙げた。 「ただ、それが君の問題の解決にはならないと思っただけさ。 」
「君は、私がこれらの植物を何のために買っているかも知らないだろう。だから黙っていてくれ。 」
彼は軽く笑い、まるでハーブと友達になろうとしているかのようにカウンターを見た。
「リラックスしなよ。ただ、君に直接会いたかっただけさ。 」
私は葉を一枚取り、指の間で潰し、その質感を感じた。
「もう知ってるよ。“ルーシファーのバスタード”。“病弱な子供”。そんなコメントはもう聞き飽きたよ、友よ。 」
「いや、そうじゃない。別の手段で君を知っているんだ。 」
「有名人だってことは知ってる。もう行ってくれ。 」
「(笑いながら)兄弟、君は生まれたときから怒りに満ちているようだね。少し肩の力を抜いたらどうだい? それが君の特別になりたい方法かい? 」
私の手は植物の上で凍りついた。
私の目は、初めて彼に異なる重みで向けられた。
「どうしてそれを知っている? 」
彼は自然な笑顔を広げた。
「私はただの観察者さ。君が特別になることは知っている...でも、進む道によっては、君が望む形ではないかもしれない。 」
「私を観察しているのか? 正気を失ったのか? 」
彼は背を向け、屋台と人々の群れの中に消え始めた。
「私の名前はネイカ・ジン。後でちゃんと文句を言いたいなら覚えておいて。 」
「ネイカ・ジン...? 君はRPGの魔法使いか何かか? 」
彼は最後に一度だけ笑い、人々の海の中に消えていった。
「私はただ、エキオーガの旅を見たいだけさ。 」
私は立ち尽くし、彼が消えた場所をじっと見つめていた。
通りの音が再び大きくなった。
植物の匂いは、腐敗していた。
私は手の中の葉を見つめ直した。
「ふっ。世の中には変わり者がいるものだ。 」
しかし、何かが内側で...燃えていた。
不思議なことに、何故かあの少年の助言に従うことにした。
「高血圧の人に効く薬草を知っていますか? 」
売り手は細めた目で私を見た。
そして、切り刻まれた紫色の植物を指差した。
「これがとても良いと聞いたことがあります。 」
私の目は、あの男が置いていった金貨に向かった。
彼は誰だったのか? なぜ私を助けたのか?
まあ、私はその金貨を取り、売り手に渡した。
「これをください。 」
家に戻る。
家に入るとすぐに、リビングのふかふかのカーペットを踏んだ。
私は直接、赤みがかったカーテンのある窓から薄暗く照らされた寝室へ向かった。
母は寝室の大きなベッドに横たわっていた。 広がる赤いカーテンが周囲を囲んでいた。 私は彼女の顔だけを見ることができた。
「愛しい人? 戻ってきてくれたの? 」
彼女は父を決して忘れない。 私が彼女から平手打ちを受けてから五年が過ぎたが、彼女のその男への渇望は増すばかりだった。
「違うよ、お母さん。僕だよ、エゴウ、あなたの息子だ。」
「私に…息子がいるの?」
それを聞くと、胸が痛む。
思い出すのは、五年前、病院へ行った時のことだ。
彼女はベッドに横たわっていて、いくつもの機械が身体を監視していた。
医者たちは、絶望したような顔をしていた。
「申し訳ありませんが…蓄積されたストレスが彼女にとって致命的でした。これは…回復不可能なトラウマかもしれません。」
その声には哀しみが込められていたけど、どこか機械的で…まるで何度も繰り返してきた言葉のようだった。
プライダは拳を握りしめて言った。
「お父さんに捨てられてから、ずっとストレスを溜めてきたんです。これからは…休ませてあげてください。」
プライダの言葉に、僕は罪悪感を覚えた。でも…本当に僕のせいなのか?
そして今に戻る。
「そうだよ、お母さん。あなたにはルーシファー・エゴウっていう息子がいるんだ。」
カーテンを開けると、彼女は大きくて厚い毛布に包まれていた。トラウマのせいか、髪の一部が白くなっていた。
「あなたは…私の夫と同じ名前を持ってるのね…」
彼女はキラキラした笑顔を見せた。捨てた男の名前に、こんなにも喜んで…
僕は彼女のために作った植物のビタミンジュースを手渡した。
彼女はそれを丁寧に受け取った。
「あなた、私の夫に似てるわ。…もしかして、本当に私の息子なの?」
「うん、お母さん。何度も言ってるよ、僕はエゴウ・ルーシファーだ。」
僕の声は、毎日この会話を繰り返しているせいで、すでに疲れ果てていた。
彼女は、こんなにも大事な情報を一瞬で忘れてしまう。
「私の愛しい人はどこ?」
「知らないよ。」
彼女はビタミンを一口飲んだ。
「あなた、誰?」
深く息を吐いた。
数時間後、僕は自分の場所に戻ることにした。唯一、心が安らげる場所だ。
第七の山の広大な草むらを通り抜けた。巨大な岩壁の“ポータル”をくぐる。
そして――滝の世界。
透き通った湖、大理石の岩、羽のように穏やかな滝。僕にとって、ジェネシスで最も美しい景色。
地平線の向こうには、病者の世界の下に広がる黒い雲の海。
信じられないけど…この巨大な山々が、僕たちを超自然ウイルスから救う唯一の希望なんだ。
少なくとも、僕はこの場所に生まれたという点で…宇宙から選ばれた存在なのかもしれない。
僕は崖の縁に座った。最も高い滝が下界へと流れ落ちている場所だ。
水平線を見つめながら、僕は注射器で自分の手首にインフルエンザを打ち込んだ。
ウイルスが身体を駆け巡る感覚――それは、快感が全身に広がるようだった。
目を閉じて儀式に集中し、「生きている」ことを感じようとしたそのとき――
異様な臭いが鼻を突いた。
苦く、汚れた匂い。滝の清らかな香りとは、真逆だった。
ゆっくりと目を開けた。最初に見えたのは――雲の奥から立ち上る、巨大な黒煙。
脳がフリーズした。
「なんだ…これ…ッ!」
轟音。
閃光。
静寂。
闇。
耳の奥で、強烈なノイズが響いていた。
重たいまぶたを開ける。
視界はぼやけていた。
炎の海が、僕の安らぎの場所を飲み込んでいくのが見えた。
そして――目の前に男がいた。白い髪しか見えなかった。
目を閉じた。
また開ける。
彼はいなかった。
再び目を閉じる直前――鼻の奥が焼けるように痛んで、視界が狂っていくのを感じた。
目を閉じた。
そして、世界は…沈黙した。
読んでくださり、ありがとうございました。
この第三幕では、静かな市場の喧騒の中に潜む「違和感」や、「見られている」という感覚が物語の軸となりました。誰かが自分を知っている。けれど自分はその「誰か」を知らない。そんな不均衡な関係性が、やがて主人公の内面に火を灯していきます。
ルーシファー・エゴウという少年が抱える葛藤や、母との断絶、そして「観察者」ネイカ・ジンとの出会いは、ただの出来事ではなく、彼自身の世界のあり方を問い直す鏡でもあります。
人は、自分という存在を他者に見つめられることで、初めて「存在の輪郭」を知るのかもしれません。
それが優しさであれ、警告であれ。
次の幕では、今まで静かに積み重ねられてきた違和感が、やがて形を成していきます。
果たしてそれは救いなのか、破滅なのか。
どうか、彼の歩む道を、少しだけ見守っていてください。
また次の頁でお会いしましょう。