婚約破棄の現場に『俺バカだからよく分からねえけど……』系の奴が乱入してきた
天井に豪奢なシャンデリアが灯り、大勢の貴族で賑わうパーティー会場でそれは起こった。
「ミイネ・リッシュ、お前との婚約を破棄する!」
伯爵家の令息マーカス・ウィンブルが突如、男爵家の令嬢ミイネ・リッシュに婚約破棄を言い渡したのである。
ミイネはうなじを隠すほどの長さの艶やかな栗色の髪を持ち、素朴な可愛らしさのある令嬢だったが、さすがに愕然としていた。
「そ、そんな……」
「一時の気の迷いでお前と婚約してしまったが、やっぱり僕にはもっと相応しい相手がいると思うのでね。悪く思わないでくれたまえ」
マーカスは金髪の美丈夫で、自分の容姿に自信があるのか、誇らしげに佇んでいる。
その時だった。
「あんたらのやり取り、ずっと見てたんだけど……」
突然、一人の青年が割って入ってきた。
短い黒髪で、顔立ちは凛々しいが、服装は白のタンクトップにグレーの長ズボンというあまりにも場違いな出で立ちだった。
マーカスは目を尖らせる。
「誰だ、お前は!?」
「俺はダドルってんだ。大工の親方やらしてもらってる」
ダドルのフルネームはダドル・ベンダー。
まだ若いのに“親方”というポジションにいるのは、腕と人望がある証拠である。
ただしマーカスからすれば、腕があろうとなかろうと、大工は大工。平民に変わりはない。
「なんで大工風情がこんなところにいるんだ!」
「今日は俺、会場の修繕を頼まれててさ。向こうの通路、雨漏りするらしくて」
「だったら粛々と自分の仕事をしていろ! ここはお前のような下賤な輩が来ていい場所じゃないんだよ!」
次々に毒のある言葉を浴びせられるが、ダドルは怯まない。
「確かに俺はガキの頃から大工修業やってて、学校も通ってなくて、かろうじて文字は読めるって程度の学しかなくて、ようするにバカだけどよ……」
「ふん、バカなりに弁えてはいるのか。ならさっさと……」
「俺バカだからよく分からねえけど、婚約破棄って結構ヤバイことなんじゃねえか?」
「な、なんだと?」
不吉なことを言われ、マーカスは狼狽する。
「ヤバイってどういうことだよ」
「いやさ、貴族同士の結婚ってようするに家同士で結びつく契約だろ? 互いに領地もあるだろうし、個人の裁量でどうにかしていいもんじゃないはずだ。なのにこんな公衆の面前で、婚約を破棄するなんて言ったら、あんたヤバイ立場になるんじゃねえの?」
「例えばどうなると言うんだ」
「例えばこのお嬢ちゃんの家から慰謝料を請求されるとか、せっかく結んだ家同士の契約をパーにしたってことであんたも自分んちから勘当されるぐらいはしそうだし、それにこんなとこで婚約破棄したって風評が立ったら、あんたと結婚したがる奴なんていなくなるだろ」
ダドルの説明で、マーカスは青ざめていく。
自分のやったことの愚かさをようやく悟ったらしい。
「ま、待て……。ミイネ、さっきの発言はやっぱり……」
「俺バカだからよく分からねえけど、それは通らねえんじゃねえかな」
「なにい……?」
「婚約破棄して、舌の根も乾かないうちにやっぱりやめるって、こんなの通るわけねえだろ。大工仕事やっててそんなことしたら、仕事なくなっちまうよ。ましてやあんた貴族なんだから、もうちょっと自分の言葉には責任持つべきなんじゃねえの?」
「う、ぐぐ……」
マーカスは何も反論できず、黙り込んでしまう。
「そっちのお嬢ちゃんはどうだい。まだこいつと結婚したいかい?」
ダドルの問いに、ミイネはきっぱり「いいえ」と答える。
当然のことであり、しかも大勢の証人もいる。
もはやマーカスは自分の行いから逃れることはできない。それでも逃げるように会場から立ち去っていった。
ミイネはダドルに深く頭を下げる。
「ありがとうございました……」
「いや、礼を言われるようなことはしてねえけどよ」
「いえ、マーカス様があなたに言い負かされるところを見て、ちょっと胸がすいたので……」
「そうかい。なら、よかった」
しかし、ミイネは落ち込んだ様子だ。
これほど大きなパーティーで、婚約破棄を突きつけられ、辱められたのだから無理はない。
「俺バカだからよく分からねえけど、あんたは婚約破棄されて悔しいと思うんじゃなく、あんなのと結婚しなくてよかった、と思えばいいんじゃねえか?」
「え……」
「だってこんな場所で婚約破棄なんて言い出す奴だぜ? あんたのことをアクセサリーぐらいにしか思ってねえ。あんなのと結婚してもきっと不幸だったろ」
「それは、そうかもしれませんね」
笑顔を取り戻したミイネを見て、ダドルも安心する。
「それじゃ俺は仕事に戻るわ。元気でな!」
「はいっ!」
その後、マーカスがパーティーで派手に婚約破棄を宣言した件は世間に広まった。
ミイネの実家は娘の名誉を著しく傷つけたとして、ウィンブル家に厳重に抗議。慰謝料請求なども容赦なく行った。
マーカスの父は息子をこのままにしておいては傷が広がるばかりだと彼を勘当。
自暴自棄になったマーカスは下らない傷害事件を起こし、逮捕され、鉱山送りとなった。
この顛末を知ったダドルはこうつぶやいた。
「俺バカだからよく分からねえけど、自業自得ってやつじゃねえかな」
***
一方のミイネは再び結婚相手を求めて夜会に参加する日々を送っていたが、こちらも結果は芳しくなかった。
ミイネに非はないとはいえ「婚約破棄された女」という経歴がついたことは大きなハンデとなってしまった。
婚約者だったマーカスの末路が悲惨だったこともあり、どこか疫病神のように見られるようになってしまった部分もある。
ミイネが悩みながら歩いていると、大工仕事をしているダドルを見つけた。
「あなたは……ダドルさん!」
「おう、いつぞやの嬢ちゃん!」
汗まみれで仕事をこなしているダドルは、ミイネが普段会う令息たちとは全く違うタイプの人間であり、どこか輝いて見えた。
「俺になにか用か?」
「ええ。ちょっとお話をしたくて……」
特に用はなかったが、ついこう答えてしまう。
「ちょっと待っててくれ。今やってる仕事を片付けたら、休憩できるから」
15分ほどして、ダドルはミイネのために時間を空けてくれた。
「で、話って?」
「あの時はありがとうございました」
「いや、俺は大したことはしてねえけど。それより、あれからどうだい? 結婚相手は見つかったかい?」
ダドルから話を振られ、ミイネは自分の現況をありのままに語る。
「私は婚約破棄された身、いわば手垢のついた“中古品”なんです。こんな私を選んでくれる人なんていません……」
これを聞いて、ダドルは神妙な顔つきになる。
「俺バカだからよく分からねえけど、中古品って別に悪いもんじゃねえと思うんだけどな」
「え……?」
「俺が使ってる大工道具、全部死んじまった先代親方のおさがりなんだけどよ。あの人が使い込んだだけあってすげえ使いやすいんだ。俺の手にもよく馴染んで、いい仕事してくれる。だからあんたも、そんなに自分を卑下するこたぁないんじゃねえかな」
ダドルの励ましに、ミイネは思わず涙する。
「あ、わりぃ。変なこと言っちゃったかな」
「いえ、違います……。嬉しいんです……。卑下するな、とおっしゃってくれて……」
「そうかい……。なら、よかった」
社交界では貴族が愚痴や弱音をこぼすことはご法度とされている。貴族は常に自信に満ち溢れ、堂々としているべきという不文律があるためだ。そういった言葉を吐くことは自分の商品価値を下げてしまうことになりかねない。
だからダドルのように自分の弱い部分をさらけ出すことのできる相手は貴重だった。
「俺バカだからよく分からねえけど、愚痴りたくなったらまた来な。相手になるぜ」
「はい、ありがとうございます!」
***
それからというもの、ミイネはダドルに会いに行くことが増えた。
大工仕事を見せてもらい――
「わぁっ、ものすごく早く釘を打てるんですね!」
「まあね。これぐらいでないと、親方は務まらねえからな」
時には弁当を持っていき――
「よかったら、食べて下さい!」
「おっ、ありがてえ! あんたの弁当マジでうめえよ!」
ダドルの仲間たちにも受け入れられていった。
「いやー、ミイネちゃんが来るとやる気出るよ」
「優しいし、明るいし、料理上手いし……」
「俺ら全員あんたのファンだぜ!」
「ふふっ、ありがとうございます!」
ミイネにあまりにも気軽に接する男たちに、ダドルは呆れたような表情になる。
「すまねえ……。俺含めみんな、貴族に対する礼儀を知らなくてよ」
「いえ、いいんですよ。ダドルさんのお役に立てて嬉しいんです!」
「ミイネ……」
二人はいつしか恋に落ちていた。
そしてある夜、仕事を終えたダドルがミイネに思いを告げる。
「俺バカだからこういう気持ちはストレートに言うしかねえんだ……俺、あんたのことが好きだ!」
少し間を置いてから、ミイネは微笑む。
「私もですよ、ダドルさん」
「……ミイネっ!」
ダドルはミイネを思いきり抱き締め、ミイネはそれを受け入れた。
ほんの少し痛みさえ覚える熱い抱擁であったが、ミイネはむしろその力強さにダドルの逞しさを感じることができ、非常に心地よかった。
しかし、二人は貴族と平民。このまますんなり結ばれる――というわけにはいかない。本来身分違いの恋には非常に高いハードルが課される。
だが、この時ばかりはミイネが婚約破棄の一件で社交界から敬遠されていたことが幸いした。
さらにダドルが腕のいい大工で、富裕層からも注文を受けていることも追い風となり、ミイネはダドルに嫁ぐことが認められた。
こうしてミイネは晴れてダドルの妻となったのである。
***
ミイネと結婚したダドルは今まで以上に張り切って仕事をこなした。
ミイネもまた、そんなダドルを献身的に支えた。
結果、ダドルは宮殿の増築や要地の砦建設など、国家プロジェクト級の重要な仕事を任されるようになり、王家からも認められるほどになった。
そして、王の計らいで、異例の爵位贈呈を受けられることになった。
勲章の授与式では、ダドルは滅多に見せないスーツ姿で国王直々に勲章を授けられた。
ダドルは胸の勲章をミイネに見せつつ、頭をかく。
「いいのかな。俺みたいなのが男爵になって……」
「いいのよ。あなたはそれだけのことをしたんだから。卑下しちゃダメ」
「へへ、いつだったかとは立場が逆だな」
さらに、嬉しい知らせがもう一つ。
「それとね……授与式が終わったら言おうと思ってたんだけど、赤ちゃん、できたの」
お腹をさするミイネにダドルは目を丸くする。
「マジかよ!?」
「ホントよ。だから、これからも頑張ってね、パパ」
ミイネの言葉にダドルはうなずく。
「ああ。俺バカだからよく分からねえけど、こういうのを幸せっていうんだろうな」
「ふふっ、そしてそんなあなたと一緒になった私も、きっと大バカね」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。