09. 鉄壁の微笑み
一仕事終えた後、ラキルスは約束どおり、公爵邸の敷地内を案内してくれた。
公爵邸は、王都の一等地にありながら、相当な広さを誇っている。
敷地内には、本邸のほかに、追々ディアナ達の新居となる予定の別棟や、使用人たちの居住棟、ギャラリー兼物置きみたいな小さめの建物まであり、やはり辺境伯家とは全く趣が異なる。
建物内も見せてもらい、部屋の用途や配置なども記憶していく。
『どうせ記憶力なんかないでしょ』とか思われるのは心外である。確かにまあ、ディアナは歴史なんかを覚えるのはちっとも得意ではないが、地理地形や、天候が変化する条件や兆し、動植物の生態や習性など、実用性のあることは細かいところまでしっかり覚えられる。
ちなみに、ディアナの特技は、人の動きのクセや特徴などを捉えることである。わずかなクセもしっかり記憶しているので変装してたって見破れるのだが、残念ながらその特技が役立つ場面は今のところ訪れていない。
厩舎を見て『もし食べ物に困ったら、この馬を屈服させて狩りに出よう』と考えたり、敷地内に小川が流れているのを発見し、『たどって行けば釣りができるかも』とか考えたりと、敷地散策はそれなりに得るものがあった。
が、ラキルスの観察は思うようには進んでいない。
並んで歩きながらも、ディアナは横目でしっかりとラキルスの表情の変化などをウォッチしていたのだが、なんともまあ信じ難いまでの鉄仮面っぷりだったのだ。
ラキルスは本当に、常に淡々としている。
表情は、いつでもどこでもどんなときでも、作り物の薄ら笑い。
好きも嫌いも苦手も何もかも、とにかく全て作り笑いしか浮かべない。
『是』も示さないが、『非』も示さない。一貫して、紛い物に徹している。
掴みどころがないというか、掴ませないというか―――――。
(………そういうことか…っ)
ディアナは、ラキルスの薄ら笑いの真の実力に、いまやっと気が付いた。
無理して笑っているとしか思えない、つくりものの笑顔。
好意的な感情を察知できない代わりとでも言うべきか、不快感も察知させることはない。
苦手を悟らせないことで、弱みを封じ込め、隙を突かせない。
これが噂に聞くところの『腹芸』ってもののような気がする。
腹芸。それは武器として誇れるものだった気がする。
―――――社交界という戦場では、だが。
(ああそう。そうですか。ここは戦場ですか。妻は敵なんですか)
ディアナの中に、寂しさとも悲しみとも知れない何かがじわりと湧き上がり、薄く小さいシャボンの泡のように、いつの間にかしぼんで、消えてなくなっていった。微かな音すら立てることなく。
そしてディアナは、静かにぶちギレた。
(イビるつもりはないとか、我慢してるわけじゃないとか、綺麗事で塗り固めてるだけで、結局のところ信用するつもりはないってことなのね?…そっちがそういうつもりなら、もう絶対怖がるに決まってるものを繰り出してやろうじゃないの…)
辺境伯家で育ち、並大抵の胆力ではないディアナが、『必ず怖がる』と見做すようなものなど、普通人にしてみたらトラウマレベルということになる。
だが、ディアナはそれを承知で、ラキルスへの情けを捨て去った。
だって、ヤツは腹芸を使うのだ。
妻になったはずの、一生を共にすることになるであろうディアナにまで、彼奴めが腹芸使ってきやがるのだ。
ディアナはディアナなりに、沸々としているものを発散して、すっきりさっぱりして、延いては良い関係を構築していきたいと思ってあれこれ画策しているというのに、ラキルスは表面上丸くおさめることだけを優先して、根本的な解決に踏み出す気がないのだ。
そりゃ、この結婚は王命によるものでしかない。
ラキルスはずっと姫を大事にしていたわけで、婚約が白紙になったことも、ディアナと結婚しなければならなくなったことも、不本意だったってことは想像に難くない。
けれど、王命という絶対のものだからこそ、ディアナとラキルスは共に生きていくしかないのだから、どうせなら信頼し合える関係性を築きたいと思うのはおかしいことだろうか。
いや、おかしくない。
おかしいと言われたって納得なんかできない。
ラキルスが姫を思い続けたいのなら、それでいいと思う。
姫を忘れてくれとか、ディアナのことを愛してくれとか言いたいわけじゃない。
夫婦の形と言ったって色々で、決まった型にはまらなきゃいけないなんて決まりはないんだから、仕事上のパートナーみたいな関係でもいいはずだと、ディアナはちゃんと割り切っている。
同志としてでいいから、共に生きる存在として信頼はし合いたいという、そんなに高望みとも言えないくらいの望みすら拒否すると言うのであれば、ディアナとて黙っちゃいない。
あまりにラキルスが不憫だから、ディアナまであれやこれや言わんといてあげたかったけど、ぼちぼち腹に据えかねるところまで来ちゃったのだ。
ディアナはこうして、八つ当たりの一撃をくらわす決意を固めた。
そこに容赦はない。