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08. 観察対象・夫


ディアナは、ちょっとしくじったなと思っていることがある。

『驚かせてぎゃーと言わせよう』作戦にあたって、しょっぱなから顔出ししてしまったことだ。


何かもっと別な手段をとっていれば、ディアナの思惑を悟られないように裏工作もできた気がするのだが、そのへん脳筋を丸出しにしすぎてしまった。


カエルのときもラキルスに気づかれてたような雰囲気があった。

まあ、あれは座った位置が悪かったのもある。いくら気配を消していても、対角の席の動きは視界の端に何となく入るものだ。


となると、ぼちぼち警戒されていても何ら不思議ではない。

これからの作戦は、あまり数を打つことはできないと思っておくべきだろう。

これぞという渾身のビビらせをお見舞いするためには、厳重に事前調査を重ねておく必要がある。


ということで、ディアナは夫の観察をすることにした。



朝食後、ラキルスは義父の手伝いをするという。

「面白くはないと思うが、興味があるならいてくれても構わない」とのことだったので、観察のためにも遠慮なく同席させてもらうことにする。


露骨に観察するのは流石にまずかろうと、一応、刺繍なんぞ手にしてみる。ディアナはコンマミリ単位の精巧なコントロールを可能にするスキルと感覚の持ち主なので、指先は超絶器用である。美的センスがアカンので、そちらの方面で名を馳せてきてはいないが、図案と色指定があれば実はマシーンばりに仕上げてのける。


おもちゃのカエルのコントロールの応用とでも言えばいいのか、ディアナは刺繍にはノールックながら感覚のみでザクザク刺し続け、何気に芸術作品を生み出しつつ、ラキルスの行動をつぶさに観察していた。

ラキルスも、ディアナが刺繍に没頭している風だったこともあり、執務に集中しだした。途中でディアナがするっと気配を消したこともあり、おそらく存在が抜け落ちたことだろう。書類を片手に読み耽っている。


いつの間にかディアナの刺繍の糸が尽きていたので、それなりに時間が過ぎたはずなのだが、その間ラキルスは、ずっと黙々と書類を眺め続けているだけだった。


(―――――あれは何をしてるんだろう………)


はっきり言おう。ディアナにはさっぱりわからない。

公爵家の執務が、辺境伯家とは異なるものであろうことは想像がつくが、紙を眺め続けることが執務になるのだろうか。

しかもだ。朝食後からずっと。ず―――っと、ああである。


ディアナにとって、書類とは『サインをするもの』という認識である。

書類を裁くということは、とにかく全ての紙にサインしていくことであり、それがデスクワークってもんだと思っている。(※あくまでディアナの解釈にすぎず、もちろん正解ではない)


なのに何故、紙を眺め続けているんだろう。手は動かさないでいいのか。

そもそもラキルスは、公爵家を継ぐための手伝いをしているはずなのに、義父と会話もしないで何をどう引き継いでるんだろう。見取り稽古的なことなのだろうか。


(誰かと会話することもなく、一日中たった一人で紙を眺めて過ごすとか、なんの拷問??)


別にディアナは短気というわけではない。

魔獣の相手は、持久戦になだれ込むこともある。急いては事を仕損じる。寛容に、鷹揚に構えることだってできる。

…できるのだが、理解できるかどうかはまた別のお話なのだ。


「紙を見続けるのが仕事なの………?」


耐えきれずに、ついディアナは訊いてしまった。

ディアナの存在を意識の外に置いていたラキルスは驚いたように顔を上げたが、表情には変化は感じられなかった。相変わらずの手強さである。


「これは報告書なんだ。書かれている内容に矛盾がないかを確認している」

「…矛盾…」

「そう。不正の可能性を見落とさないようにね」

「……不正……」


それは鉄拳制裁かませばいいってお話ではないのですか…?


「書類って、こう、しゅぱぱぱって次々サインしていくんじゃないの…?」

「注文書や納品書ならそうかもしれないけど、報告書は百枚読んで最後にひとつサインするイメージかな」

「ひゃく………っ!?」


脳筋には信じがたい苦行に、ディアナは舌を巻いた。


聞かなければ良かった。拷問だ。やっぱり拷問だった。

ラキルスはこの手の拷問に慣らされすぎてるせいで、簡単には叫ばないんだ!

ほんともう、なんて哀れな…!


何とかしてあげたい気持ちが湧き上がる一方で、ディアナは手詰まりにも陥っていた。


朝食後から今に至るまでの間、ラキルスの行動はワンパターンしかなかった。

つまり、『紙を眺める』オンリーである。

この状況でどうやって得手不得手を掴めと言うのだ。誰かと会話くらいしてくれないと糸口を探ることすらできないではないか。


そもそもディアナは、魔獣を相手に大声で連携とったりしながら戦うのが主なお仕事の、辺境伯家の出身なのだ。黙々と机に向かう文化なんかないのだ。脳筋への配慮が足りないにも程がある。(※ディアナには覚えがないだけで、辺境伯家であろうとも間違いなく誰かがやっている。母や兄嫁が担当しているものと思われる)


さすがに理不尽な主張だってことは分かっているので、一応口には出さないが、かといって大人しく溜飲を下げることも難しく。

ディアナが、密やかに恨みがましい視線を送ることで何とか気持ちの折り合いをつけようとしていたところ、何か感じたらしいラキルスがふと顔を上げた。


ジト目のディアナに気づき僅かに怯んだような感じもするが、すぐにいつもの微笑みの仮面をまとい、ディアナに話しかけてくる。


「退屈な思いをさせてしまったかな。慣れない環境に身を置いているディアナに対して気が回らず、申し訳なかった。この後、敷地内などを案内するから、もう少しだけ待っていてくれ。この書類だけ片づけてしまうから」

「! はい!!」


瞬間、ディアナの表情は、ぱあっと音が聞こえそうなほど輝いた。


いっしょに行動できるのであれば、探りを入れる機会もあるはず。

何より、じっと座ってるだけじゃないってだけでも嬉しい。


ディアナは喜び勇んで首をぶんぶんと縦に振った。


そんなディアナを目の当たりにしたラキルスは、口許を少し緩めていたのだが、喜びのあまり思考が明後日に飛んで行っていたディアナは、残念ながらそれには気づかなかった。




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