29. 愛するつもりは
あの後、西の隣国との話し合いは国が責任をもって担うことになり、神子のことも外務大臣のこともキツネ型魔獣のこともネチネチやってくれると約束してくれたそうだ。
必要以上に揉めても良いことはないので、落としどころを探りつつの交渉になっていくのだろう。
まあこちらも、(証拠は残していないとは言え)人的被害を厭わずに敢えて王都に魔獣を放っている上に、道を破壊したりチャクラムやらレンガやらをぶっ放したりと好き放題やっちゃってるので、あまり煩く言うつもりはない。
ジークヴェルトは、「腹に据えかねる結果になったら、魔獣の森の内部(の、西の隣国にほど近い場所)で暴れるつもりだから、まあ任せとけ」と言い置いて、一旦は辺境伯領へと帰って行った。
またいつでも来れるようにと、ハンマーは公爵家に置き去りにして行ったのだが、対応力を上げている公爵家の使用人たちは、『辺境伯家からの預託物』との張り紙をつけてするっと物置に収めていた。
キツネ型魔獣は、王都で処分してもその後の処理が面倒くさそうだったため、ジークヴェルトが辺境へ戻る際に引き取って行った。
でも、さすがに今回の件では、「王都の人たちの魔獣に関する理解のなさは、到底見過ごせないレベルだ」と言わざるを得ないので、ここはひとつ、ディアナが公爵家に持ち込んだ魔獣の剥製を博物館に展示して、しっかり耐性つけてもらおうと思う。いつぞやの警備員さん、今度は泣き言は聞いてあげません。
王都の人々は、噂に翻弄された自分達を深く顧みることになったらしい。
あの後、モブに紛れたザイが、
「俺は、誰かから『君の妻には他に思い合う人がいる』なんて聞かされたら、不誠実な妻を大切にしたいとは思えなくなるけどなあ。北の隣国の王太子殿下はどうかな?末姫様とラキルス様の噂を耳にしたら俺みたいに思ったりしないかな?末姫様、嫁ぎ先で蔑ろにされたりしないといいけど…」
と、民衆の心に楔を打ちにかかったことが、殊の外効いたらしい。
もし末姫が不幸になるようなことがあったら、それは、自分たちが『憧れの理想のカップル』を壊されたくないがために押し付けた『歪んだ理想』が原因ってことになってしまうのではないか?
自分たちは、品位ある清らかなカップルに理想を見ていたんであって、『一途』って言葉を免罪符に堂々と不貞を働き、正式に認められた、何の罪もない相手を蔑ろにするような二人に、本当に『理想』を見ているのだろうか?
そして、民意を楯に、そんな振る舞いを高貴なお二人に強制しようとしている自分達は、果たして良識ある真っ当な人間だと言えるのだろうか?
しかもよくよく思い返してみれば、末姫もラキルスも、新たな婚約・婚姻に対して不満を零しているなどという噂は聞いた覚えがない。自分たちが勝手に不憫に感じてしまっていただけで、当の二人はきちんと、誠意ある理性的な対応を取っている。
ラキルスに至っては、妻を責めたてようとする人々に背を向けて、きっぱりと拒絶の意を示していた。自分たちの方こそが拒絶されたのだ。
こいつぁ完全に余計なお世話、いらんお節介でしかないという現実に、やっと民衆も気づいたのだ。
末姫を不幸にしたいわけでも、ラキルスを不誠実な人扱いしたいわけでもない人々は、『末姫とラキルス』という理想のカップルはもう成立しえないのだという現実を受け入れ、ディアナに対する誹謗中傷も鳴りを潜めることになって行った。
「何か、ザイお義兄様の裏方っぷりが凄い………」
ザイが、モブに紛れてさりげなく人心操術をかましていたことを聞かされたディアナは、驚きの声を上げていた。
ザイの本業が諜報や裏工作だなんて知らないので、暗躍のプロが垣間見せたその手腕の片鱗に脱帽するのみだ。
「派手に暴れるだけが力じゃないってことよ」
「確かに~…。ラキだって弱っちいけど凄いもんね!」
「結局ラキルスの惚気かい!」
ザイを褒めていたかと思いきや、あっさりとラキルスを持ち上げはじめるディアナに、ザイはがっくりと項垂れる。ディアナのベクトルが最後にどこに向かうのかなんて、ザイとて分かっちゃいるけれど、ふともの哀しくなることもあるのだ。
「嫁よ!俺もこれを所望する!さあ惚気てくれ!」
「ワ~スゴイデスネ~ザイクン」
「なんで棒読み―――――!!」
でもザイは一瞬で切り替えて、「これが人徳ってヤツなのか?さすがだなラキルス」とか言いながらラキルスをうりうりしている。
そんなザイを眺めつつ、シンディはクスクスと自然体で笑っている。そこには何の含みもなくて、シンディがザイとの会話を純粋に楽しんでいる様子が窺えた。
「お姉さまは、ザイお義兄様と結婚して幸せ?」
答えを確信した上で尋ねているに違いない、期待に瞳をキラキラさせているディアナに、シンディもにっこりと微笑みながら「そうね」と軽く返した。
しっかり聞いていたらしいザイが思いっきり驚いた顔をして、勢いよく振り返ったのは目の端に捉えていたが、シンディは冗談めかして誤魔化したりしようとはせず、真っ直ぐに言葉にした。
「ザイはね、『お前にはこういう要素が足りない』とか『もうちょい可愛げが欲しい』とかはちょいちょい言って来るけど、『おまえじゃ嫌だ』とか『あの子の方が良かった』とは絶対に言わないの。嫁が私であることに異議はないのよ」
本人の前ではいい顔しておいて、裏では好き放題に文句言ってる人なんていくらでもいる。
でもザイは、何気にがっつり嫁を自慢している。「さすが俺の嫁!」みたいな、自己愛高めのコメントに紛れさせているので若干わかりにくい部分もあるが、間違いなくシンディを褒めている。
裏で零している本音が賞賛だなんて、蝶よ花よと可愛がられることよりも遥かに、シンディには喜ばしい。シンディは、ザイのそんなところが気に入っていたりするのだ。
「ザイって、弱いし地味だし騒がしいけど…。でも、私の夫はザイがいいわ」
ザイを横目に見ながら、いつも通りの飄々とした表情で「照れくささに負けて、姉の幸せを喜ばんとしている可愛い妹に不幸自慢するような、悪趣味な人間じゃないのよ」とでも言いたげにハッキリと本音を語ったシンディに、ぽかんとしたまま固まっていたザイも、感極まってふるふるし始める。
「さすが俺の嫁…。俺の価値をちゃんと分かってくれてる…。俺、泣いちゃおうかな…」
「さすがザイ先輩ですね。先輩の人徳ですよ」
「ありがとう義弟よ―――――!」
シンディとザイも、本音をぶつけ合って、嫌な面よりも良い面に目を向けて、二人なりの形を作って行ってるんだなあと感じ、ディアナはほっこりとした気持ちになる。
強いとか弱いとか、似てるとか似てないとか、違いは色々あって当たり前なのだ。
ディアナとラキルスは、性格的にも能力的にも全然似てないし、合わないところもいっぱいあるんだろうけど、折り合いのつけ方は分かってきた気がする。
こうやって、もっともっと『夫婦』になって行けると思う。
―――――そして、ディアナはちょっと欲張りになった自分にも気づいている。
以前は思いもしなかったことを、今は望むようになってしまっているのだ。
それは、もしかしたらとても贅沢で
でも、たぶんきっと 望んでいいもの。
ラキルスだったら、叶えてくれると思えるもの。
「あのねラキ」
「うん?」
ディアナが話しかけると、ラキルスはいつも、顔をあげてディアナの方に目を向けてくれる。
話を聞いてくれるつもりがあることを、ちゃんと態度で示してくれる。
だからディアナも安心して、言いたいことが言える。
「わたしね、ラキと結婚した当初は、『例え旦那さまから愛されなくても信頼関係さえ築ければそれでいいや』って本気で思ってたんだけど…」
ラキルスの目は、「あ~…そんなカンジだったよね…」と雄弁に語っている。
そして、穏やかな瞳を少し細めて語り掛けてくるのだ。「でも今はそうじゃないでしょ?」と。
…うん。そうなのだ。
今はそうは思わなくなったのだ。
それは、間違いなくラキルスのおかげ。
本音を見せて欲しいと言ったディアナに、言葉だけじゃなく表情や態度で伝える努力を、律儀に誠実に続けてくれたおかげ。
だからディアナも
贅沢なこの望みを ちゃんと伝えようと思うのだ。
「やっぱりわたし、旦那さまからは愛されたいな」
ラキルスは、いつも穏やかなその瞳を更に深くしながら、ふわりと表情をほころばせた。
「私はずっとそのつもりでいるんだけど、やっとディアナの中で覚悟が決まったってことかな?」
ディアナは、ぱちくりと数回瞬きをして、その言葉の意味を噛み締める。
(そっか…。確かにわたし、どこかで自分とは違う世界のお話みたいに思ってたかも……)
実際、ザイから「ラキルスが神子からナンパされていた」と聞いたとき、「ラキルスは、ディアナとは異なる華やかな世界の住人なんだな」なんて考えていた。
愛とか恋とか、そういうのは自分には縁がないと無意識のうちに線を引いてしまっていて、当事者になる心構えができていなかったのはディアナの方だったらしい。
(もしかしてラキは、わたしの心が追いつくまで待っててくれたのかな…?)
ディアナの変化に気づいたのだろう。
ラキルスは、芽吹きはじめた蕾に注がれる春の陽射しみたいに、あたたかい微笑みでディアナを包み込みながら、変にプレッシャーにならないようにと敢えて口にしないでいた言葉を紡いだ。
「私も、奥さんからは愛されたいんだけどな」
伝えることは大切なこと。
でも、伝えたらそこで終わりではない。
相手に求めるだけじゃきっと駄目で、自分からも与えなきゃ、いつかどこかに綻びが生じてしまうのだろう。
ディアナは、一方的に自分の要求を突き付けて、自分は享受するだけなんて、歪な関係を望んでいるわけではない。
ラキルスの望みも叶えて行ける存在になりたい。
だから、求めたいそれは
ラキルスに欲するだけでなく、ディアナからも惜しみなく捧げたいから…
ちゃんと 言葉で伝えていかなきゃね。
「愛するつもりは、わたしもあります!」
これにて第3章完結です。
第1章、第2章に比べて大分長くなりましたが、
最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。
こんなに長くひとつの作品を書くことができたのも、
ひとえに読んでくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
遅筆かつボツの多い作者・真朱ですが、
長々潜伏させていただいた甲斐あって、次作の目途は一応ついているのですが、
なろうさんでニーズがあるのかという、そもそもの部分で悩んでいます…。
転生も婚約破棄も魔法も戦いも、ざまあと呼べるほどのものもない、
異世界要素といったら王子と騎士が出て来ることくらいしかない、
溺愛系ですらない恋愛モノのニーズってありますかね…?
(本人は書きたかった要素が書けたので自己満足できてますが…)




