28. 甘えたいと思える人
シンディが後始末を請け負ってくれたので、ディアナはラキルスとともに一足先に現場を後にした。
シンディの言う『後始末』とは、ザイが裏で動くことにより王家に話が回り、国としてきちんと対応させることを意味している。もちろんディアナはそんなこと分かっちゃいなかったが、ラキルスには理解できていたので、素直に丸っとお任せすることにした。
今回は、物理の意味では難しい敵ではなかったはずなのだが、不特定多数の考え方の違う人間を相手にしなければならなかったせいか、思いのほか疲れている気がする。体ではなく、たぶん気持ちの方が。こういうのを気疲れと言うのだろう。
ディアナは別に、ショックを受けたわけでも傷ついたわけでもなく、「あれが堪えたんだろうな」と思い当たるものがあるわけでもないのだが…
なんだろう。
ディアナは何だか無性に、ラキルスに甘えたいような気持ちになった。
「ラキ…、あの…」
「ん?」
「えと…あのね」
「うん」
基本的にあまり何も考えずにポンポン発言するディアナだが、たまに言い淀むときがある。それは大抵、ディアナがそれまでの人生で口にしたことがない類の事柄であり、自分が言ってしまってもいいものなのやら判断に迷うときなのだ。
人よりメンタルが強く、大抵のことがへっちゃらなディアナは、人と同じ目線に立てていないであろうことを自覚している。ディアナの発言により、相手に嫌な思いをさせてしまわないかという部分には、全くもって自信がない。
特に、恋愛方面は経験値が足りないから、殊更自信がない。
だから、恥ずかしさのあまり躊躇しているわけではなく、声にするまでにディアナなりの葛藤があるのだ。
そんなディアナを、ラキルスは穏やかな気持ちで見つめている。
ディアナが口を開いた時点で、自分の心の中だけに留めておくという選択肢は既に排除されていると考えていいだろう。ただ、「ラキルスが困るかもしれない」みたいなことを必要以上に考えて、どう表現したらいいものやら必死に考えてるところに違いない。
(―――――きっと、かわいいお願いでしかないんだろうな…)
ディアナから見ればヒョロくて弱いかもしれないが、ラキルスとて男なのだ。
強くてカッコよくて、自分の力だけで歩いていける妻であろうが、時には甘えて欲しいと思っていたりする。
お陰様でディアナから頼って貰える場面も増えてきたことだし、そういう存在になって行けていると信じている。
ラキルスは、「我ながら自惚れてるな」とは思いつつも、真摯にディアナと向き合ってきたという自負から泰然と構えて、下手に急かしたりすることなく、ただゆったりとディアナの言葉を待っていた。
そろ~っと顔を上げたディアナは、まだ少し自信なさげに眉を八の字に下げ、それでもちゃんとラキルスの目を見ながら、やっとのことで言葉を紡ぎ出した。
「ぎゅってしてもいいですか…?」
悩みに悩んで口にしたその内容が何とも可愛く思えて、ラキルスは声は出さずに、少し震えるくらいに小さく笑った。
「許可なんか取らなくても、いつでもいいですよ?」
ディアナはまだ不安の色が消せない瞳で、ラキルスの真意を見落とさないようにか決して目を逸らすことなく、じっと見つめている。
「ほんと…?」
その揺れる瞳に、ラキルスは言葉足らずを自省する。
不安なのはきっと、「ラキルスは本当は渋々了承したんじゃないか」みたいなことではなく、「いつでも」を言葉の通り受け取っていいのかどうかなのだろう。ディアナは何気に空気を読むからそういう心配はしていないのだが、せっかく甘えてくれたディアナに否定的な言葉を使いたくなくて、綺麗に纏めすぎてしまった感は否めない。やっぱりラキルスは、ディアナ相手に格好つけようとしたら駄目らしい。
「そりゃまあさすがに謁見中とかはマズイけど、プライベートならいつでも」
「…そっ…かぁ…」
心底ほっとしたように硬かった表情を緩めるディアナに、ラキルスも人心地が付いたことで、同じことを訊いてみようかなという気持ちが湧いてきた。
「私も、奥さんをぎゅってしてもいいですか?」
「っ、うん!」
ディアナは弾かれたように即答する。
考える時間なんか必要ないと全身で伝えてくれているようで、ラキルスの気持ちは高揚するよりも、深く穏やかになっていく。
「いつでも?」
「いつでも!」
「手刀とか食らわさない?」
「うん。しないよ?」
「そっか。…ありがとう」
そしてラキルスは腕を開いて、「どうぞ?」と言わんばかりに、小さく顔を横に傾けながら微笑んだ。
ディアナは、吸い寄せられるように近づくと、そ~っとラキルスの背中に腕を回して、ちょっとだけ力を込めてきゅっと胸元に抱きついてみた。
ラキルスは、優しくぽんぽんとディアナのアタマに手を置き、反対側の手は背中に回してふんわりと包み込んだ。
ラキルスの体は薄っぺたくて、ひょろっちくて、逞しさや頼もしさはちっとも感じられない。
―――――だけどディアナは、そんなラキルスの側が、どこよりも何よりも安心する。
ラキルスは物理的な意味ではちっとも強くはないけれども、それでも、なんのかんのディアナが甘えたいのはラキルスなのだ。
子供の頃からずっと頼ってきた大好きな兄と姉がすぐ側にいるのに、今ディアナが甘えたいと思うのはラキルスなのだ。
そして思う。
これって、ちゃんと『夫婦』になって来れてるってことなんじゃないかな、と。
相も変わらず、ディアナの周りは何かが起こって、戦わなければならない状況に陥ることもあるし、まあ自分でもそういう手段を選びがちだという自覚もある。
ディアナはラキルスより圧倒的に強いけど、ラキルスはそんなディアナに引くこともないし、弱い自分を卑下することもない。
強くあろうとするディアナをいつも尊重してくれて
一人でも問題ないときは口を挟まず好きにさせてくれるけど、問題ありそうなときはサポートしてくれて
頼りたくなったり甘えたくなったときは、心置きなくそうさせてくれる。
学習能力が低くてあんま進歩しないディアナを根気強く見守ってくれて、いつもさりげなく寄り添ってくれてる。
こんなディアナと、一緒に頑張りたいって言ってくれる。
そんなラキルスだから、ディアナも一緒に頑張っていきたいと心から思っている。
「…ラキルスさん」
突如、いつもは愛称呼びなのにきちんとファーストネームで呼びかけて来たディアナに、ラキルスは目を丸くした。
しかも、未だにラキルスのファーストネームをフルに口にする必要があるときは『リス』か『ルス』か『レス』か間違えないように確認し直しているきらいがあるのに、例の謎の歌を口ずさんだ気配もなく、とてもすんなりと口にしていた。
「はい何でしょうディアナさん」
ラキルスは、溢れる笑みを隠そうとせず返事をした。
そして、ふっと零れた息遣いからラキルスが笑ったことがしっかり伝わってきていたディアナも、ついつられてクスクス笑い出してしまう。
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
恭しいご挨拶のはずが、どうにも緩くなってしまうことが妙に可笑しくて、ディアナとラキルスは、そのまま二人してクスクスと笑い続けていた。
何かちっとも畏まった形にならなかったけど、そんなところも自分達らしいかなと思えるから
格好なんかつかなくていいから、こんな風に笑いながら、二人で一緒に歩いていけたらいいな、なんて、ディアナは思っている。
これからも、ずっと。
誤字脱字報告ありがとうございます。
一目瞭然なものはすぐに反映させていただいてますが、
漢字や言葉の使い方は、ちゃんと理解した上で反映させていただきたく、
ペンディングになっていることをご容赦ください。
(執筆が行き詰まったときに勉強したいと思っております)
次回、最終話です。




