27. 西の隣国の求めるもの②
人々には、せっかくの西の隣国の外務大臣の厚意を、ディアナが無下にしているかのように感じられたらしい。
ただ思い思いのことを口にしていただけだった民衆が、堰を切ったかのように、ディアナに対して批判の声を上げはじめたのだ。
「西の隣国は助けを求めているのに、見捨てるのか!」
「人の心はないのか!」
「あんた自分のことしか考えないんだな!」
「末姫様とラキルス様は、国のために涙をのんで婚約を解消してるんだぞ!!」
喧々囂々責め立てて来る民衆と、さも不憫そうな目で「ほら、これがこの国の人たちの本音ですよ」と語り掛けてくる西の隣国の外務大臣。
さすがのディアナも、こんなに大勢に取り囲まれて一斉攻撃をくらったことはない。気の小さい女性なら、圧に耐えきれずに泣きだしたりするんだろうな、なんて、現実逃避のつもりはないが、思わずぼんやり考えてしまったりもする。
…まあ、彼らの言い分は分からんでもない。
末姫は確かに、国のためを思って自分の思いを必死に殺し、ラキルスとの婚約解消を決断した。それは分かってる。ディアナも実際にこの目で、苦しそうな末姫の表情を目にしたのでよく知っている。
―――――でも。
ディアナは、ラキルスとここで頑張っていきたいと心から思っているのだ。
ラキルスから嫌がられてるならまだしも、ラキルスもディアナと一緒に頑張ると言ってくれている。ディアナには、これが『自分本位な振る舞い』とは思えないのだが、それはディアナが人非人だからってことなんだろうか。
もしそうだとしても、他人の言うことになんか踊らされてあげない。ディアナが聞くべきなのは誰の声なのかなんて考えるまでもない。ディアナだって、ちったぁ学習してるのだ。
「わたしは、旦那さまから惑わされるなって言われてるので、惑わされてあげません!旦那さまが一緒に頑張るって言ったからには、誰が何を言おうが、最後までわたしと一緒に頑張ってくれるんです!絶対っ!!」
ディアナは全力で言い切ってやった。ヤジ?ブーイング?どんと来いである。ディアナが信じるべきは、西の隣国の外務大臣でも国民の皆様でもなくラキルスなんだから、誰から何をどれだけ言われようが、一切聞いてあげるつもりなぞない。
「どうだ!」言わんばかりにふんぞり返るディアナの堂々とした佇まいに、ラキルスはふっと表情を緩める。こんなときすら、ディアナは自然とラキルスを微笑ませるのだ。ラキルスは、あの類稀なる投擲コントロールよりも、臨機応変な対応力よりも、何よりもこういうところが、ディアナの最も秀でた才能だと思っている。
そして、ラキルスは西の隣国の外務大臣にきっぱりと告げた。
「妻はお断りしているのですから、話はここまでです。そもそも、貴国の国防は貴国が責任をもって対処すべきことであり、その役目を、他国の人間である我が妻に求めること自体が間違っています。どうぞお引き取りください」
西の隣国の外務大臣は小さく肩を竦めて、
「おやおや。そう言われてしまうと返す言葉がありませんな。しかし、本当に国民の皆様の切なる声にお応えしなくてもよろしいのですかな?」
と、まだ付け入る隙がないかを探るような様子を見せていたが、ラキルスは冷静さを保ったままだった。
「私は、扇動されるがままに流される罪深さを知っていますから」
ラキルスは、それ以上のことを語ろうとはしなかった。
もう既にラキルスは割り切っていたのだ。
彼らが見ているのは幻のラキルスなんだから、結局、リアルなラキルスは民意に応えられる存在ではない。このラキルスがお気に召さないのであれば、ラキルスは公爵家の当主になるべきではないってことで、もういいと。
ラキルスは、民衆に清冽な視線をちらりと送ったっきり背を向け、その後は決して振り返ることはなかった。
そんなラキルスの様子に、ふと冷静さを取り戻す人が出始める。
「他国の人の言うことにいいように乗せられてしまったような気がするけど、果たして問題なかったのだろうか?」
「これがもし良からぬ企みの一端だったとしたら、自分たちはその片棒を担がされたことになるのでは?」
「ラキルス様の奥方、他国からあんなに熱心に乞われるなんて、相当凄い人ってことでは?そんな人を流出させてしまったら、もしかして困るのはこっちの方なんじゃ…?」
「そもそもラキルス様、奥方のこと大切にしたい人だって言ってたよな…?」
「でも、でも、末姫様は………」
そのとき、モブを装って民衆に紛れていたザイが、渾身の一撃を放った。
「つーか、ラキルス様は既に妻帯者なんだぞ?奥さんがいるのに他人の婚約者に横恋慕する男なんてクズじゃね?それは国民が好感を持って見守って来た『誠実で清廉潔白なラキルス様』なのか?」
「………!!」
それは、人々の中の確かな矛盾を抉りに抉る一撃だった。
みんなの理想の、憧れのカップルだった末姫とラキルスには、ずっと思い合っていて欲しい。だが、既に姫には新たな婚約者が、ラキルスには妻がいる。
自分達は、誠実であろうとしているラキルスに、これからの人生を共にしていく奥方を蔑ろにするクズみたいな人間になることを、民意を楯に強要しようとしている。
(………あれ…?人でなしはどっちなんだ…?)
人々が、じわじわと苦い思いを噛み締め始めていたところに、ジークヴェルトとシンディの追撃が炸裂する。
「こっちの都合も考えずに一方的に頼んできた迷惑なヤツに断りを入れたら、見捨てたってことになるのか?」
「この人達はそう言ってるわね?頼まれたことを断るヤツは、それが筋違いだろうが無茶振りだろうがそこは関係なく、『自分のことしか考えてない人の心がないヤツ』ってことになるらしいわ」
「言ったもん勝ちってことだな?じゃあ、お前ら全員、今すぐ辺境に来て魔獣を討伐してくれ!辺境は助けを求めている!よろしく頼む!」
重たい空気なんか一切読まずにズバーンと言い放ったジークヴェルトに、人々は凍り付いた。
とんでもない無茶振りである。そんなの王立騎士団だってちょっと無理なんじゃないかってくらいの凄まじい無茶振りである。そんなん只の庶民に要求する方がおかしい。
「な、な、何を…」
「俺たちは素人で」
「そんなこと出来るわけが…」
だがもちろん、ジークヴェルトは民衆の動揺なんかに配慮しない。なぜなら、言い出したのはこいつらだから。
断った人間を責めるからには、自分達だって断ってはならない。他人には強要しておいて、言い出しっぺが不参加を決め込むなど断じて許されない。言ったからには何としてでもやり遂げてみせろ。それが脳筋ってもんなのだ。
「なんだ?俺らには命がけで戦わせておいて、自分達は他人面で、安全なところでぬくぬくしてるつもりか?とんだ人でなしだな!」
「うっ………」
実際に命がけで戦っている辺境伯家の人間からそう言われてしまうと、確かに人でなしでしかないように思える。
更に今回の場合、ただ無茶振りを躱そうとしたってだけで済まないかもしれない。実際に戦場に立っている人を相手に戦いを拒否する姿勢を示したが故に、「じゃあ辺境伯家もおめー達のことなんか知らんわ!」と返されて魔獣討伐を放棄されたら本気で国が終わる。
この国の平和は、間違いなく辺境伯家の貢献によって成り立っているのだと、国民たちは初めて深く深く痛感した。
「大変申し訳ありませんでした………!!」
「想像力が足りないばかりに理不尽なことを言いました…」
「どうかお許しください!!」
必死に謝罪する民衆を前に、「謝らんでいいからまあやってみろ。やれば出来る!出来るまでやればいつか出来る!」とか宣い、まったく容赦してくれる気配の見えない辺境伯家の伝説の脳筋。
こういうとき助けに入ってくれる理知的な人物と言ったらラキルスになるワケだが、そのラキルスは完全に民衆に背を向け、関わるつもりがないことを明確に示している。詰みである。
「ははは。ディアナ様の勧誘は断念するしかなさそうですな。残念ですが正直ダメモトでしたから、我々はここで退きましょう。神子の不始末はきちんと対処しますのでご安心を」
西の隣国の外務大臣は、「ディアナを引き入れられないのであれば、他国民のゴタゴタに最後まで付き合う義理はない」とでも言いたげに、あっさりと去って行った。
キツネ型魔獣のことには触れもせず、この国の民衆の心を煽るだけ煽って素知らぬ顔を通そうとする西の隣国の外務大臣を、それでもラキルスは黙って見送った。
言いようのない思いは勿論あるが、他国の要職を担う人物に一貴族の息子風情が何を吠えようが、しょせん暖簾に腕押しってもんだろう。この件は、国にしっかり対応してもらわねばなるまい。
「よし!グダグダ言うヤツぁ全員まとめてかかってこい!この俺が受けて立とう!」
「勘弁してください!ごめんなさい!!」
相手が脳筋でなかったとしても、話が通じるかどうかはまた別問題。それなら脳筋の方が遥かに付き合いやすいと、最近ラキルスは思っている。
お陰様でラキルスは、既に脳筋には適応済みなのだ。
王都の皆さんとは違ってね。
今回は戦える人が沢山いるので、ラキルスは頭脳労働のみです。
ヒーロー感が薄いですが、うちのラキルスはそういう立ち位置なんです…。
不憫ヒーローではありません。戦えないだけです。




