26. 西の隣国の求めるもの①
声のした方を見ると、きちんとした身なりの威厳ある老齢男性が立っていた。護衛らしき騎士服の男性を数人従えていることから、かなりの身分の人物であることが窺えた。
「公爵家の嫡男ご夫婦に辺境伯家のご嫡男、そして辺境伯家から伯爵家に嫁がれたご長女とお見受けする。はじめまして、私は西の隣国で外務大臣を務めている者だ。この度は我が国の者が非礼を働いたようで大変申し訳ない」
「が、外務大臣………」
神聖教の関係者と自分の護衛らの後ろに隠れていた神子が、愕然とした表情を隠しきれずに呟いた。
神子にちらりと視線を送った西の隣国の外務大臣は、大層冷ややかな目をしたまま告げた。
「立場を弁えて貰わねば困るぞ神子どの。其方は神子である以前に、国から爵位を賜った一伯爵家のご令嬢にすぎないという自覚をもって行動するように」
「…っは、い…。申し訳、ありません……」
ぴしゃりと神子に釘を刺した外務大臣は、自らの護衛に神子を回収するようにと指示を出している。
宗教関連は大変センシティブなお話であり、他国が口を挟めるようなものではない。クレームひとつにも配慮が求められ、まあ要するにとても面倒くさい。
だが、さきほどの西の隣国の外務大臣の発言から、国教・神聖教の正しい姿が浮き彫りになった。
西の隣国にとって国教は、政治と切り離された不可侵な存在ではない。神官長だろうが神子だろうが、爵位を賜っている以上は国の意向には従わなければならないのだということが推し量れてしまう。
西の隣国の外務大臣は、ぐるりと周囲を見回した。
あちらこちらに見られる地面の陥没と、もう見るからにその陥没に合致するサイズの巨大ハンマーを携えているジークヴェルト。
鳥籠の中の魔獣が唸り声を上げた瞬間、手にしている木の枝っぽいものを的確に急所に突き刺して魔獣を黙らせるシンディ。(※尚、ザイは速やかに民衆に紛れ、モブに擬態している)
その様子に、西の隣国の外務大臣は深く頷きながら感嘆の声を上げた。
「―――――これは聞きしに勝る実力をお持ちのようだ。貴国の辺境伯家のご尽力に心から敬意を表する」
「…ああそりゃどうも?」
如何にも腹に一物を抱えてそうな老獪の賞賛に、ジークヴェルトは訝し気な表情を浮かべた。ジークヴェルトは人間の機微を読むことなぞ出来ないが、野生の勘がその本領を発揮してみせており、胡散臭さをしっかり察知している。
「しかし、国民の皆様は、随分とディアナ様のことがお気に召さないようですな。ディアナ様、この国は大層居心地が悪いのではありませんか?」
「…ほえ?わたし?」
あんま自分には関係ないと思っていたディアナは、突如話を向けられて返答に困った。
確かに国民の皆さんからは良く思われていない。ディアナ自身は気にしてないけど、公爵家のことを思うと好ましい状況ではないんだろうなとは思う。
…でも何だか、それをそのまま口にしてはいけない気がして、ディアナは口を噤んだ。
「国民の皆さんは、ラキルス殿には末姫様を慕い続けて欲しいとお思いなのでしょう?和睦のための婚約解消は止むを得ないとしても、気持ちは変わらないでいて欲しいと。ディアナ様には、形だけの妻として公爵家で冷遇されて欲しいとお思いのようですよ?」
「…っ」
人々は息を呑んで固まった。
それは紛れもなく彼らの本音だったのだから。
ディアナとしては、まあ今更ショックは受けないけれども苦笑するくらいしか反応の返しようがないし、辺境伯家の面々とラキルスは不快感を露わに顔を顰めている。
ラキルスが口を開くのを妨げるかのように、西の隣国の外務大臣は更に言葉を重ねる。
「このままこの国にいても、あなたの献身は何ら報われず、評価もされないまま、針の筵になって行くだけではないですか? ―――――そこで提案なのですが…どうでしょうディアナ様、我が国にいらっしゃいませんか?」
「…へ………?」
ぽかんと口を空けて呆けるディアナに、西の隣国の外務大臣はにこりと微笑みかけてお構いなしに続ける。
「我が国は、王都も常に魔獣の脅威に晒されておりましてね。魔獣に立ち向かう辺境伯家への敬意と恩義を欠かさないのですよ。我が国はあなたを心から歓迎し、最大級の待遇をお約束しましょう」
ラキルスはディアナを背に庇うように、前に進み出た。
「彼女は私の妻です。勝手なことをして頂いては困ります」
西の隣国の外務大臣は、悪びれた様子など少しも見せずに、ラキルスに儀礼的に微笑みかけた。
「ああ、ラキルス殿のお気持ちは、私は重々承知しておりますよ?でも、貴族とは支えてくれる民あってのものですから、民の声が大きければ大きいほど、それを捻じ伏せるわけにもいかなくなる。ラキルス殿には公爵家の人間として民意に応える義務がございましょう?」
その含みのある表現は、「民が強く望めば、ラキルスも従うしかなくなるよ」と、この場を取り巻く民衆を扇動しているかのように聞こえた。
「―――――私と妻のことを探っていたのは、貴方がたですね?」
ラキルスの静かな問いかけに、西の隣国の外務大臣は堪えきれずに「ははっ」と声を漏らし、「平和ボケしているのは庶民だけのようだ」と小さく零した。
「ご気分を害されたようでしたらお詫び申し上げます。ですが、我が国は貴国のように安全で平和な国ではございません故、魔獣対策に関する情報収集は欠かせないのですよ。ディアナ様の北でのご活躍、大変興味深く拝聴しましたよ」
その言葉に、ラキルスは理解した。
西の隣国は、ディアナとラキルスが北の隣国で遭遇した、例の『寄生虫に似た魔獣』の一件を把握しているのだと。
そして、未知の魔獣と相対しても臨機応変に対処してのけたディアナの才能に目を付けたのだと。
あわよくば自国に引き入れられないかと、ディアナとラキルスの関係、二人に関する国民感情までも調べた上げた上で、ここにいるのだと。
「ディアナ様。この国は辺境伯家により強固に守られてるので何の心配もいらないでしょう?魔獣の森からの侵略は辺境伯領にてお兄様が、王都のことはお姉様が守ってくださる。そしてディアナ様が我が国で魔獣の対処にあたってくだされば、我が国民から多大なる感謝と敬意を捧げられるだけでなく、西からの脅威がなくなることで祖国に貢献することまでできる。悪いお話ではないと思いませんか?国民の皆様もそう思いますでしょう?」
西の隣国の外務大臣は、さすがに要職に就いているだけのことはあるようで、大勢の民を前に説得力ある言葉を並べることに手慣れていた。
初めての魔獣との遭遇による恐怖や動揺も相まって、何が何だか理解しきれていなかった民衆たちは、だんだんと外務大臣の言葉に感化されはじめてしまっていた。
「そうだ、我々にだって願いを語る権利はある」
「我々の声が集まれば、ラキルス様も耳を傾けてくれるに違いない」
「自分達の思いを届けなければ…!」
「奥方もムコーで大切にして貰えるってハナシだし、悪いことなんか何もないじゃないか」
徐々に高まって行く民衆の声に、ぽかんとしたままだったディアナがやっと我に返り、雲行きが怪しいことを察してあたふたし始める。
「え、あの…えーと、わたしはラキと一緒に頑張りたいので、隣国には行きません」
とりあえずさっくり断ってみたディアナだが、それはむしろ火に油を注いだようなものだった。




