25. 次なる敵は自国民②
活気の消えた街に、鳥籠の中で暴れる魔獣の唸り声と、鳥籠の柵の部分にぶつかることによって生じるガシャガシャという音が、やたらと響いて聞こえている。
人々には、先ほどまでの信じがたい光景が、決して夢や幻ではないことを証明しているかのように感じられていた。
「魔獣って…本当にいたんだな………」
誰かがポツンと零した一言が呼び水になり、一人また一人と口を開き始め、徐々に周囲にはざわめきが広がり始める。
「魔獣が西の隣国から入り込んできてるらしいって噂は本当だったんだな」
「ほんとだな。噂もあながち出鱈目じゃないってことだ」
「軽く聞き流してちゃいけないのかもしれない」
口々に感じたことなどを語らっていた人々だが、次第に様相が変化しはじめる。
「ラキルス様の隣の女性、奥さんだよな?短い髪を平気で晒して公爵家の顔に泥を塗っているって噂も事実だったんだな」
「辺境伯家の長男の『とんでもない脳筋』って噂も事実だしな?あんな巨大なハンマー振り回して地面に穴あけまくってさ。これじゃしばらく馬車が通れないじゃないか」
「確かに。あそこまで野蛮だったなんて…」
「ってことは、例のラキルス様の噂も本当なんじゃ…?」
突如降りかかった『魔獣の脅威』という不条理に対する遣り切れない思い。何故、ただいつも通りの生活を送っていただけの自分たちの平穏が脅かされなければならないのか。人々は無意識のうちに、その気持ちのはけ口を求め始めていた。
日頃から抱えていた不満があるのであれば、矛先はいとも簡単にそちらに向かっていく。
何せ、その不満をぶつけたい相手は、いま目の前にいるのだから。
「そうだよ。ラキルス様にあんな不気味なお面被らせるなんて、まるで敬意が感じられないじゃないか」
「ラキルス様の立場ってもんを全く理解していない。生まれ持つ品性の違いが見えるってもんだよな!」
「あんな暴力的な姿を見せられたら、公爵家が『逆らったら何されるかわからない』と思うのは当然のことだ。本当は結婚なんかしたくなくても、断れるはずがないよな」
「そうだ。ラキルス様が不憫だ!」
「末姫さまとの婚約の件は仕方なかったとしても、ラキルス様が無理矢理結婚させられなきゃいけない理由なんかないじゃないか!」
口々に辺境伯家を悪し様に言い始める民衆に、ジークヴェルトは苛立ちを募らせていた。
「ああ?なんだこの野郎。やる気なら受けて立つぞ」
そんなジークヴェルトに負けないくらい沸々としたものを抱えていたのはラキルスだった。
別にラキルスは嫌々結婚したわけではない。王命ではあったが、諸々の事情を鑑みて本人も納得した上で了承しており、憐れまれる覚えはないし、辺境伯家がやり玉に挙げられる覚えはもっとない。有無を言わせても貰えずに巻き添えを食ったのは、むしろ辺境伯家の方なのだから。
そんなラキルスの耳にぽつりと、ディアナの呟きが届いた。
「ごめん なさい」
ラキルスはハッとしたようにディアナの方を振り返ったが、小さく息を吞んで動きを止めた。
声のトーンから、遠慮して縮こまっているかのように思えたディアナは、しっかりと顔を上げて、強い目を周囲に向けていた。
それは、決して揺るがない確固たる意思を感じさせるものだった。
「皆さんがわたしを気に入らない理由も、不満に思う気持ちも、分からないわけじゃないです。―――――でも、わたしは身を引いたりしないんです。ごめんなさい!!」
謝罪を口にしながらも、恐縮した様子なんかこれっぽっちも見せず、正々堂々胸を張って断言してのけるディアナに、ラキルスの沸々としていた思いは一瞬で霧散した。
自分にとって譲れないものは絶対に譲らない。
例え味方がいなくても譲らない。
そうハッキリと示したディアナの姿に、ラキルスは冷静な自分を取り戻した。
ディアナとラキルスだって、最初から順風満帆だったわけではない。ディアナに言わせたらラキルスは、ヒョロいわ弱いわ本音を見せないわと散々な評価で、決して好感度が高くはなかったことも察している。
それでも、胸の内に諸々抱えたまま表面上だけ上手くやっていくよりも、イマイチな面も含めて気持ちをぶつけ合って、『お互いに理解するための努力をしよう』という考え方を知って、ラキルスもカッコ悪さを晒しながら正面から向き合ってきたからこそ、ディアナから「譲らない」と断言して貰えるところまで来られたと思う。
ラキルスには、皆さんに知っておいてもらいたいことも、言いたいことも、沢山ある。
ディアナの髪の毛が短いのはラキルスのせいであり、ディアナが詰られる謂れなど一つもないこととか。辺境伯家がどれだけ偉大で他の追随を許さないことを成し遂げているかとか。そもそも末姫とラキルスの関係は、国民の皆さんが思い描いているような美しいものじゃなかったこととか。語り出したらキリがないくらいある。
だが、多くを盛り込もうとすると論点が散漫になるものだ。あれもこれも言おうとしたことにより本当に伝えたいことがぼやけてしまっては本末転倒なので、ラキルスはあえて多くは言葉にしないことにした。
真摯に説明したところで、この場の全員に漏れなく理解してもらうことなど現実的に不可能なのだから、そこに時間や労力を割く意義は薄い。
だから、最も言いたいことだけを告げればいい。
詰め寄られようが物ともしないディアナに、民衆は口々に「身勝手な」「何てふてぶてしい」「ラキルス様には相応しくない」などと言いたい放題である。
ディアナは逆境(に燃える)モードに入ったことにより鉄壁ガードが発動しているのでピンピンしているが、ラキルスはモヤッとする。
ラキルスが平気じゃないのだ。ディアナだって、今は平気でも、そうじゃないときだってきっとある。
だから
「私の妻を傷つけないでください」
ラキルスは、強く、はっきりと人々に告げた。
「私は、自分が大切にしたいと思っている女性を傷つけようとする人までも許せるような、寛容な人間ではありません」
温厚で寛大なラキルスの姿しか知らない王都の皆様は、厳しい言葉と視線を投げかけて来るラキルスに、一様に動揺する。
「ラ、ラキルス様………?」
「どうしてその人を守るようなことを言うんですか?無理矢理娶らされた人なんか守る必要ありませんよ」
事態が呑み込めない人々は、口々にラキルスに言い募るが、ラキルスは毅然とした態度を崩さない。
「妻を侮辱するような発言は許さないと申しております」
ラキルスは穏やかで優しい人間だが、人から悪く思われたくなくてそう振舞っているわけではない。なあなあにするわけにはいかない場面では、例え嫌われようともきっちりと線を引いてのけるだけの芯の強さを持っている。
甘い対応をしたせいで足元を掬われたら堪らない。取り返しがつかなくなってから後悔しても遅いのだ。女性関係だけでなく多方面にきっちり対処してきたからこそ、ラキルスは『叩いて叩いて叩きまくろうとも埃一つ出ない』という鉄壁の評価を得るに至っているのだ。
末姫の婚約者だったときは、姫のため、王家のための行動だったが、いまのラキルスが優先すべきは、妻であるディアナであり、縁を結んだ辺境伯家だ。
特に、言いがかりでの口撃など見過ごすわけにはいかない。
「私の妻はとても強い女性ですが、辺境伯家に生まれたから強いのではありません。強くあろうと日々努力を重ねたから強いのです。…私はいつも助けられてばかりです」
そこでラキルスは、少し切なそうな表情を浮かべた。
「―――――でも、勘違いしないでください。強いからと言って、何を言われても傷つかないわけではありません。私は妻を魔獣から守ることは出来ないでしょうが、妻の心は守ってみせます。皆さんが妻を傷つけようとするのなら、私は皆さんと全力で戦います」
ラキルスのためだと信じて疑っていなかった人々は、息をつめて押し黙るしかなかった。
自分たちの望みは、発言は、ラキルスを苦しめるのかもしれないと感じ始めた瞬間でもあった。
だけど、そんなラキルスの言葉を、表情を、一番苦しく思うのはディアナだった。
「だ…ダメだよラキ、守ろうとしてくれなくていいよ。わたしは大丈夫だから。わたし頑張れるから」
ラキルスも、ディアナがそう考えることくらい知っている。
一人でも戦えてしまうディアナは、頑張れるうちは一人で頑張ろうとしがちだ。だからこそラキルスは思う。
「一人で頑張らなくていい。私も一緒に頑張りたいんだ」
いつかも伝えたその言葉。それは紛れもないラキルスの本心だった。
ラキルスは、ディアナでなければ対処できないことにまでしゃしゃり出るつもりなどない。でも、二人でできることは協力したい。それを忘れないでいて欲しいのだ。
そんなラキルスの気持ちを察して、ディアナはくしゃりと顔を歪め、泣きそうな表情になる。
「だって嫌だよ…ラキが辛い思いするのは嫌だよ…」
責任感の強いラキルスは、無理をしてでも憎まれ役を引き受けようとしてくれる。でも、ラキルスみたいな優しい人は、誰かに嫌な思いをさせるということ自体に苦しむのだ。
ディアナは、知らん人から何を言われようが気にも留めないけど、ラキルスが辛いのは苦しい。でもラキルスは、ディアナが人から悪く言われると辛い気持ちになるんだろうなってことも察してしまったから、何だか切ない。こういうのをジレンマと言うのかもしれない。
「大丈夫だよディアナ。辛くなんかないから」
「でも、ラキは優しいから」
「私は優しくないよ」
苦笑しながらケロッと言うラキルスだが、ディアナに言わせれば、その発言が既に優しさだ。
「優しいよ…?わたしいっつも気遣ってもらってて…」
「それはディアナだからだよ。私は博愛主義者じゃないから、相手は選んでいる。そりゃあ誰彼構わず牙を剥いたりはしないけれども、優しさをはき違えるつもりもない」
「え、ええ………?」
いつもよりは言葉の端々に毒をはらんでいるようにも感じられるラキルスに、ディアナは少し面食らった。
「それに、ディアナも知ってるだろう?彼らの思う『ラキルス様』なんかいないって。彼らが見てるのは『ディアナの旦那さま』とは違う何かだよ」
そう言ってラキルスは、晴れ晴れと笑った。
ディアナには惜しげもなく見せてくれる、ラキルスの心からの笑顔。それは、誰もが見せてもらえるものではないってことを、ディアナはよ~く知っている。
ふたりで築いてきたものは、こういうところに現れている。
強がってるワケじゃなくそう思えたから、ディアナも自然と笑っていた。
「あはは…そっか。そうだね」
国民の皆さんの言う『辺境伯家から来た嫁』も、きっとラキルスの中では『ラキルスの奥さん』とは別人ってことなんだろう。それなら、「皆さん何を見当違いなこと言ってんだろ…」くらいの感覚であって、辛い思いはしないで済んでるのかもしれないなと、ディアナにも思えてきた。
ディアナとラキルスの中では折り合いがついたが、王都民たちは未だ混乱している。
長い時間をかけて心に刻んできた『自分達の中の真実』は、そうそう簡単に消せるものではないらしい。
「え、でも…じゃあ末姫様のことは…?」
「ラキルス様は、末姫様よりこの人を選ぶってことか…?」
「そんなはずないだろ?そうするしかないだけだ」
「そうだよな?だってあんなに幸せそうで、お似合いで…!」
ラキルスとしては、国民の皆さんから何を言われようが何を思われようが、いちいち訂正するつもりも、これ以上関わるつもりもない。理解するつもりのない人に何度説明しようとも、結局理解して貰えることなどないのだ。
ディアナや辺境伯家を攻撃して来るのなら立ち向かうが、そうでないなら好きに言えばいい。ただしラキルスが彼らを顧みることも慮ることもない。ただ静かに冷静に警戒を払うのみである。
そのとき、突如、聞き覚えのないよく通る声が響いた。
「おや、国民の皆さんは、公爵家の若奥様にご不満がおありのようだ」




