22. それは魔獣ではありません①
キツネ型魔獣が無事捕獲され、ほっとしたのも束の間。何やら空が黒いもので覆われ始める。
「おい、あれはなんだ………!?」
怯えたように空を指さす人々。空を覆い隠すのは、びっくりするほどの大群を成した鳥のようなものだった。
今のところぐるぐると旋回しているだけではあるが、そのあまりの数の多さは言うまでもなく異常であり、そこはかとなく不気味な気配を漂わせている。
「…鳥だね」
「鳥だな」
「そうね。鳥ね」
辺境伯三兄妹は、冷静にその正体を看破した。纏う気配から魔獣ではないことは確定であり、つまり、ただの鳥である。
ディアナの兄・ジークヴェルトがどっかんどっかんハンマーを叩きつけて地響きを起こしたことにより、錯乱した鳥が一斉に空に逃げだしたのだろうと、辺境伯三兄妹は結論付けた。
しかし、素人には空高く飛ぶものの正体など分かりはしない。しかもこの場にいるのは、今しがた暴れる魔獣を目にしたばかりでまだ心に刻み込まれた恐怖を払拭しきれていない人たちなのだ。
とうとう王都にまで魔獣が出現したという事実。今まで王都では見たことのない尋常ではない規模の何かの群れ。ただ事ではない異様な空気。行き着く考えなんて一つしかない。
「まさか…魔獣の大群………!?」
そう勘違いしてしまっても仕方ない状況ではあった。でも、ディアナとしては、いまその言葉を発することの危険性ってもんを、もう少し考えて欲しかったと思う。
たかが一言、されど一言。そのたった一言が、先ほどまでとは比較にならないくらいの壮絶なパニックを巻き起こすには十分なエネルギーを秘めていたのだから。
空一面に飛び交う魔獣かもしれない何か(※実際はただの鳥)を見た人々は、とにかく建物の中に避難しようと、目に付く建物の出入り口に一斉に殺到し始める。我先にと後ろから押し寄せて来る群衆は死に物狂いな様相を見せており、いつ将棋倒しになってもおかしくない状況だった。
「いえ鳥ですから!大丈夫ですから!」
ディアナは秘伝の爆音ボイスを張り上げて宥めようと試みてみたが、黒山の人だかりが一斉に絶叫し始めたら、さすがにディアナの爆音ボイスでもかき消されてしまって届かない。
しかも、なぜかこんなタイミングで、気を失っていたキツネ型魔獣が意識を取り戻し、唸り声をあげながらガシャンガシャンと鳥籠の中で暴れはじめてしまった。
そして、そんな魔獣の気配を察知したらしい気性の荒い一部の鳥が、鳥籠目掛けて襲い掛かって来たのだ。
「うわあ!こっちに来る!」
「魔獣の攻撃が―――――!!」
錯乱状態に陥る民衆に、辺境伯三兄妹は呆れ気味に呟くしかない。
「いや魔獣じゃねえし」
「ただの鳥だってば…」
「でも、ただの鳥でもあの数に襲い掛かって来られたら、人々が恐怖に慄くのは致し方ないと思います。今のこの錯乱状態から考えても、何の人的被害も出ないとは考えにくいです」
「まあ確かに…」
冷静に状況を見極めるラキルスに、ディアナも同意する。
ただ空を飛んでるだけなら不気味ではあれど害はないが、これだけ民衆が密集する中で襲い掛かって来られたら、狙われているのはキツネ型魔獣であったとしても、巻き込まれて誤爆くらう人間は相当数出るだろう。
「んじゃ、鳥を追い払えばいいんだな?」
ただの鳥なら害はないのだがら、別に倒す必要はない。近寄ってこなくなればそれでいいのだ。攻撃性の高い奴らさえ大人しくさせれば、あとは初めから近寄っちゃこない。そのうち散っていくから放っときゃいい。
早速ハンマーを手に取ろうとするジークヴェルトを、慌ててディアナが止めにかかる。
「わ―――――っ!待ってお兄様、こんな人が溢れかえる中でその巨大ハンマー振り回したら、絶対誰か死んじゃうから使っちゃ駄目だよ!」
「そうね。王都の人間は見た目以上にヤワいのよ」
ジークヴェルト的には、軟弱な王都民をうっかり殺っちゃうことを防ぐために刃物の持参を控えた結果としてのハンマーだったわけだが、その感覚が既にズレてることに気づくべきである。まあ密かにキレてた辺境伯閣下が、ジークヴェルトがハンマーを用意していることに気づきながらも華麗にスルーした結果でもあるので、致し方ないとも言える。
「となると俺、武器がねえな。素手でいくか?」
「お兄様コレ貸したげる!じゃじゃーん!ラキが作ってくれたナックルー!」
ディアナがベルトから外したのは、ラキルスがディアナのために作らせたお洒落ナックルだった。
投げられる物がないと素手で対応し始めるディアナのために、少しでも物騒な色を消して携帯できるようにと工夫を凝らした品である。
ナックルこと『ナックルダスター』とは、拳にはめて打撃力を強化するとともに、打撃の衝撃から手拳を保護する役目も持つ、殴打用の武器である。
通常はゴツゴツした無骨な鉄製なのだが、ラキルスはそれを、何となく猫の手っぽいカンジにフォルムをマイルドに加工し、淡く可愛いカラーリングを施すことにより、パッと見アクセサリーに見えなくもないように目くらまししてみたのだ。
ちなみに、人差し指から小指までの各指を差し込む部分は、肉球でいうところの『指球』、握り込む部分は『掌球』に模している。普段はベルトにつけるチャームっぽい顔をさせて携帯しているが、もちろんドレスのときには通用しない。
「おおナックルか!サンキューディアナ!」
「あ、義兄上それは」
ラキルスが何か言いかけたが、碌に人の話を聞いちゃいないジークヴェルトは受け取ったナックルを勢いよく指にはめ込み、同時に雄叫びをあげる。
「があっ入りきらん!関節で止まった!うおおしかも抜けねえぇぇ―――――っ!」
「ああそうだった!わたしサイズだったあぁぁ」
「やべえ利き手の自由がきかねえ!」
「お兄様ごめええん」
ジークヴェルトはガタイがデカくてゴツいので、もちろん手もデカい。対してディアナは、身長は女性の平均よりは若干高いが細身であり、手も一般的な女性サイズである。ディアナに合わせたサイズのナックルは当然ジークヴェルトには小さいわけだが、ジークヴェルトは深いこと考えずに勢いよく装着しようとしたので、関節部分に食い込んでしまい、抜けなくなったのだ。
「自分の指に合うサイズかどうかなんて見ただけで分かるでしょうに…。何も考えずにやっちゃうのがお兄様よね…」
「制止が間に合わず申し訳ありません…」
「お兄様なら指がくっついてるくらいハンデにもならないから、気にしないでいいわよラキルスくん」
「ありがとうございます……」
似た者兄妹・ジークヴェルト&ディアナのコントみたいなものを眺めながら、ストッパーを託されがちなそつがない組は、たぶん同じような感覚を覚えているであろう同志の存在に、こんなときだけど安堵を覚えていた。ポツンとしないで済むのって、何気に有難いことなのだ。
「ナックルって、肉球みたい…」と私は常々思っておりまして。
「それならチャームっぽく見せかけられなくもないんじゃ?」
って考えたんですが、チャームにしてはサイズがデカすぎる点はご愛敬ということで…。




