21. いないなら放てばいいのさ②
魔獣は、ジークヴェルトの無言の威圧を前に、一定の距離を保ったまま、身動きすることなく様子を窺っている。
唸り声をあげて威嚇してはいるが、今のところ襲い掛かって来る気配はなく、場は膠着状態に陥る。
「な…なんで…魔獣が………?」
「そんな…どこから…」
動揺する神聖教の皆さんに、落ち着き払ったジークヴェルトがしれっと言い放った。
「あっちの方からだな。あっちは西だ」
「にっ西っ!?」
魔獣が動きを止めたことにより、逃げ惑うより遠巻きに様子を窺う方向に切り替えはじめていた観衆の皆さんの間に、ざわめきが広がっていく。
「西の方角から魔獣が…?」
「ってことは西の国境を越えてきた魔獣が、王都まで到達したってことだよな…?」
「この神子って西の隣国から来たんじゃなかったか…?もしかしてコイツが魔獣を引き連れて来たんじゃ…?」
「ひょっとして、不安を煽って信者を増やすための、自作自演…!?」
ちなみにこの魔獣は、西の国境付近でディアナの姉・シンディが捕獲し、鳥籠に入れて持ち運んできた、例のキツネ型魔獣である。
シンディが先ほど、ここから若干西の場所にて鳥籠から解放し、儀式会場の方向に進むように追い立てた結果として、今ここに現れたのである。(まあ要するに、自作自演は辺境伯家の方ってことだけど何か?)
魔獣が口から垂らしている血は、とりあえずシンディのものではない。まあ誰かが齧られた可能性が高い。
父からの「若干の被害は許容範囲として、好きなように暴れて来い」「王都のヤツらも、ちったあ痛い目みりゃいいさ」との丸投げを受け、辺境伯三兄妹(の、上から二人)は、容赦なく魔獣を王都に解き放つ決断をした。(かじられた人ごめんね…。byディアナ)
こんな小型の魔獣一匹、辺境伯家の人間が一人いれば瞬殺で片が付く。いまこの場には直系が三人も揃っているのだ。ジークヴェルトのグーパン一発、シンディの蹴り一発、ディアナの弓矢一射のどれか一つだけで事足りる。
だからつまり、辺境伯家に言わせればこんなの子供の遊びみたいなものであって、騒ぐほどのことでもない。余裕かまして、のんびり皆さんの反応でも眺めさせてもらおうかな~って具合である。
そんなこととは露知らず、王都の民たちは、神聖教を責めたて始める。
「おい、お前たちが西の隣国から魔獣を引き連れてきたんだろ?責任取れよ!」
「お前らの神様が助けてくれるんだったよな!?」
「被害が広がる前に早く何とかしろよ!」
儀式を見物していた人たちだけでなく、魔獣騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬も、じわりじわりと数を増してきている。その中に神聖教の味方はいない。
「み、神子様……」
「どうかお助けを…っ」
衆人環視の中、どうしたらいいのか分からない教会関係者や信者たちも、次第に神子に縋り始めた。
「そ…んな…っ ま、待って……」
神子は、幼い頃から大人たちに甘やかされてきたため、何でも思い通りになると思って生きてきていた。
神子は祈りをささげて御言葉を授けるのが役目であって、困りごとを解消するのは、いつだって周りの大人だったはずなのだ。
でも、いま神子は、その大人たちの言うことに逆らって、一人で勝手に他国に逃げて来ている。
いまこの場にいるのは、身の回りの世話や最低限の護衛はできても政治的な力があるわけでも何でもない使用人と、同じ宗派の人間ではあれど自国とは勝手の違う、他国の人間。今まで同様に動いてくれるわけではないのだ。
「さあ。辺境伯家の武力に勝るらしい、その『神のお力』とやらを、いまこの場で証明してもらおうか」
「………っ」
ジークヴェルトは冷ややかな視線を送るだけで、神子に手を差し伸べてくれる気配などない。いや、自分達の武力を頭ごなしに否定されて、むしろ怒りを覚えていることが感じ取れる。魔獣どころか人間すら、神子に襲い掛かって来ようとしている。まさに孤立無援。
『神子』というちょっと尊いカンジのネーミングに思い上がってしまっていたけど、神子なんて何の力もないのだということにやっと気づいた神子は、現実に耐えきれなくなったのか、ボロボロと涙を流しながらジークヴェルトに縋りついた。
「ご、ごめんなさい…っ!わたしに出来るのは祈ることだけで、魔獣をどうこうする力なんてありませんっ!た、助けてください………っ!!」
「―――――そうか。やっぱ最後に勝つのは筋肉だな」
ジークヴェルトはそう呟くと、魔獣を押さえつけていた威圧を解いた。
たぶんジークヴェルトは、筋肉の勝利を確信して、ある程度気が晴れたのだろう。
威圧から解放されたキツネ型魔獣は即座に攻撃モードに転じるが、ジークヴェルトはデカい体に見合わぬ素早い動きで魔獣を躱すと、一目散に走り出した。
ジークヴェルトに攻撃を躱されたキツネ型魔獣は、着地する間もなくディアナに力いっぱい蹴り上げられ、宙を舞う。
蹴り飛ばされた先に待つのは、巨大なハンマーのところまで戻り、その凶器を構えたジークヴェルトである。
「おりゃあ!!」
魔獣が着地する寸前、そのほんの数ミリ横に、ジークヴェルトは巨大ハンマーを打ち付けた。
ド―――――ン!という爆音と共にハンマーが地面にめり込み、キツネ型魔獣が再び宙に舞う。ジークヴェルトは、ハンマーで直接魔獣を叩き潰すのではなく、地面を打ち付けた際の衝撃波でもって魔獣に気を失わせるという戦法を選択していた。
血みどろの事態に慣れていないであろう王都民のメンタルに、細やかながら配慮してみたらしい。…今更のような気もするが。
衝撃波を受けて気を失い、緩やかに落下してきたキツネ型魔獣を、シンディは空中で横からざこっと鳥籠に掬い入れ、直ぐに入り口の柵を閉めると、しっかりと鍵をかけた。
辺境伯三兄妹の息の合った連携による鮮やかな捕獲劇は、瞬きする間にも完了していた。
辺境伯家の脳筋力を、人々にまざまざと見せつけた形と言えた。




