19. 侯爵令嬢が叩きのめすってさ②
それは、ランバート侯爵令嬢には信じ難いものだった。
ラキルスは何故か、先日ランバート侯爵令嬢が返却した、ディアナの隣国土産のナゾのお面をかぶっていたのだ。
「―――――……………ラキルス様………。なぜ…なぜそのお面を……………?」
「これで顔を隠せと義兄上に被せられまして。私には抵抗する術はありませんでした」
ラキルスはとても落ち着いていた。恥じらいも戸惑いも、ラキルスからは全く感じられなかった。
ランバート侯爵令嬢的には「せっかくのご尊顔が台無しじゃないですか!」と叫びたいところだったのだが、あまりにもラキルスが平然としているので、ランバート侯爵令嬢も何も言えなくなってしまう。
「そう…ですの………確かにディアナのお兄様に抵抗する術はございませんね………。わかります…(けれども………っ)」
ラキルスがコレを被る羽目に陥るのであれば、返却なんかしなければよかったと、ランバート侯爵令嬢は悔恨の念に打ちひしがれていた。
いや、一応弁明しておくと、ラキルスとて出来れば装着したくはなかったのだが、「こういうことは、恥じらいや抵抗感を見せない方が尾を引かない」という達観ゆえに、淡々と粛々と対応しているに過ぎないのが実情である。
そんなところに、神子の叫びが木霊する。
「そのお面は…!万神教のものじゃないの…!!あなた万神教の信者なの!?信じられない!どの面さげて神聖教の儀式の場に来たのよ!」
「…万神教……?」
首を傾げるランバート侯爵令嬢を前に、神子は嫌悪感を露わに怒鳴りつけてくる。
「知らないの!?神とは唯一にして絶対のものであるべきなのに、万神教は『全てのものに神は宿る』とか言って八方美人にあっちこっちの神に尻尾を振る節操ナシな連中よ!私たち神聖教とは決して相いれることはないわ!穢らわしい!!」
激昂する神子に対し、ラキルスは冷静に対処するのみである。
「ええ。こちらも一切関わるつもりはありません」
「当然よ!近寄らないで!穢れが移ったらどうしてくれるのよ!」
ディアナは、ザイから、確か「神子はラキルスに婚約を申し込んだつもりでいる」と聞いた気がするのだが、本人を目の前にしてガンガン暴言吐いてるあたり、全然そんな風には感じられない。
ラキルスのことを悪く言われて、ディアナの方が何だか切なくなってきてしまう。
「あの…。わたしの旦那さまを貶さないでください…」
堪らず物申したディアナを一瞥し、神子は「けっ」と言わんばかりに吐き捨てた。
「あなたの旦那さまなんてどうでもいいのよ!」
「…ほんと…?じゃあラキ、もうお面いらなくない?」
「そうだね。息苦しいから外そうかな」
例えこの神子の狙いがラキルスなのだとしても、これだけ思いっきり否定して来た以上は撤回しようにももう手遅れであり、ラキルスにとって都合が悪い展開に陥ることはないだろうと判断して、ラキルスはすんなりとお面を外した。
「―――――は………?」
神子は絶句した。
どどめ色のお面の下から現れたのは、プラチナブロンドのクセのない髪。切れ長ながら温かみのある淡い翠の瞳。穏やかで誠実そうな顔。
あの日神子が心に刻んだ彼のお人が、目の前に立っているではないか。
「このお面、厚みがあるせいか呼吸がしにくいんだ」
「あはは。面白かったけどね」
「あまり顔には着けたくないかな…。おでこあたりで勘弁してほしい」
「え~残念!また見たかったのに」
謎のお面を着けていたとは思えない涼しいカオで佇むラキルスと、そんなラキルスを茶化しているかのようなディアナに、周囲は呆気にとられていた。
更に、このやりとりを目にした一部の観衆は、ディアナに対して不快感を覚えていた。「あいつが辺境伯家から嫁いできたっていう品位のない女か。ラキルス様にあんなお面を着けさせて笑いものにしやがるなんて、断じて許せん」ってなことである。
ディアナとしては、どうせ何をしても揚げ足を取られるんだから、いちいち気にしてられんがなってカンジである。
「…ランバート侯爵令息………?そんな…なんで………」
思わず呟いた神子に、ランバート侯爵令嬢は冷たく吐き捨てた。
「いいえ。この方は私の兄ではございませんわ。兄のご友人で、私の友人の夫ですの」
「え、は………?夫………?」
「ええ。この方は既婚者でらっしゃいますわ。とても素敵な方ですけれども、あなたは神から私の兄との結婚を薦められているわけですから、よそ見なさったりしませんわよね?神のお言葉は絶対ですものね?」
「うっ…あ…ええ………?」
つい今しがた大勢の前で「この人とは決して相いれない」と言い放ってしまったのだ。お面のあるなしで発言を変えたりしたら「ああ、コイツ顔面に左右されるんだ」って観衆から思われてしまう。
そもそもラキルスは『ランバート侯爵令息』ではない。「神が名指しした」と断言した相手ではないのだ。どんな困難も有無を言わせず撥ね退けることのできる『神の御言葉』を根拠に結婚を迫ることのできる相手ではないのだ。
しかもラキルスは既婚者である。
啓蒙な宗派だと離縁を認めていないことが多いが、実際『神聖教』も離縁を認めていない宗派だった。
『離縁は認めていないが、婚約解消については定めがない』という自己解釈でもって、ランバート侯爵令息相手には強気に押すことが出来たが、既婚者のラキルスが相手ではお話が違う。
神の言葉を賜り信仰の象徴であらねばならない神子が、既婚者に結婚を迫り離縁をけしかけるような、神の教えに背くような真似をするわけにはいかない。それをした時点で神子としての立場を失うことになる。
神子が神子であり続ける限り、ラキルスとの結婚を推し進める手立ては、完全に潰えたのだ。
絶望に打ちひしがれる神子と、状況がよくわからず困惑する観衆により微妙な空気が漂う中、突如ドガ―――――ン!!と地響きとともに爆音が鳴り響いた。
慄いた人々が一斉に音の発生源の方向に振り返ると、そこには、樽みたいな巨大なハンマーを地面に振り下ろした、辺境伯家の長男・ジークヴェルトの姿があった。
ハンマーが打ち付けられた地面は、十センチくらいめり込んでいるように見える。どれほどの衝撃だったのか容易に窺い知れる。
ジークヴェルトは不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと顔を上げた。
「―――――よう。あんたが神子か?力の時代は終わったんだってなァ?あんたらの神サマとやらが俺たちの武力に勝るってところを見せてもらおうじゃねえか」




