17. 売られた喧嘩は買う一族
最近、王都で急速に広まっている噂があった。
「どうも西の隣国から魔獣が流れ込んで来ているらしく、西の国境付近の領地では、既に人的被害が出ているらしい」というものである。
誠に遺憾ながら、ただの噂ではなく事実である。
この国の国土は縦長に広がっており、王都は国のほぼ中央に位置している。王都から最北の辺境伯領までは馬車で何日もかかるが、最西の領地までは丸一日ほどで辿り着ける程度の距離しか離れていない。
王都の人間からすれば、辺境伯領に魔獣が出現する分には、距離的な安心感があるだけでなく辺境伯家が何とかするに決まっているため、遠い世界のお話みたいに感じられていたわけだが、西の国境の領地となるとお話は違ってくる。
西の国境の領地は遠く離れているとはお世辞にも言えない上に、魔獣に対峙したこともない西の国境の領地の自警団なんか何ら期待できない。仕留めるどころか、あっという間に突破されることは目に見えている。
西の国境の領地と王都との間にはいくつか領地があるとはいえ、間にある領地だって、正直なところ全く期待できない。
つまり、魔獣は直に王都に到達するだろう。
その噂を裏付けるかのように、騎士学校時代にその脳筋を如何なく人々に見せつけて以来、王都には一切姿を見せることのなかった辺境伯家の嫡男・ジークヴェルトが、何やらとんでもない武器を携えて王都入りしたという目撃証言も上がっていた。
王都の人間に、「脅威は目前に迫っている」ということを印象付けるには十分だったようだ。
そして、そんな王都の人々の動揺を受け、西の隣国の国教『神聖教』が動いた。
「現在この国に滞在中の我らが神子が、この国の混乱を鎮めるために、神に祈りを捧げる聖なる儀式を執り行う」と発表したのだ。
人は、強い不安に苛まれているときほど、絶対的な何かに縋り付きたくなるものである。
弱っている心に与えられる希望や救いは、砂漠の真ん中に現れたオアシスのようなものに違いない。恵みの水に奇跡を見る心の動きはディアナにも理解できるのだが、もし神聖教がそんな痛切なる思いを利用しようとしているのであれば、ショック以上に怒りが湧いてくるので、神聖教が悪徳宗教じゃないことを祈るばかりだ。
「ラキルス、おまえのそのイケメンオーラは眼鏡くらいじゃ誤魔化せねーんだから、絶対見物に行くなよ?」
神子が、とにかく何でもいいからラキルスに会うきっかけになればと布教活動すらも利用しようとしている可能性を感じ取ったザイは、しっかり釘を刺しておく。
もし神子がラキルスを見つけてしまった場合、儀式の最中だろうが観衆の面前だろうが暴走すること請け合いなので、はっきり言って碌なことにならないだろう。ラキルスは動かないに越したことはない。
神子の動向を確認しておきたい気持ちはあるが、こちらもあまり派手には動けない。ディアナは国民の皆さんから厳しい目が注がれている最中なので不用意な行動は慎むべきだし、ジークヴェルトは、威圧感のありすぎるルックスのせいで気配を消していても存在感が消せないので、密やかに動くことには向いていない。
でも、辺境伯三兄妹にはまだ、世間一般には殆ど認知されていない真ん中夫婦が残されているのだ。
「偵察はザイに行ってもらうわ。ザイの手にかかれば、野次馬に紛れ込むことなんてお茶の子さいさいよ」
「任せろ。ラキルスにせよ辺境伯家の皆さんにせよ無駄に目立ちすぎるんだよ。だから変なのに目をつけられる。それに比べて、見よ!俺のこの滲み出る有象無象感。空気のように周囲に溶け込むこの地味さこそが俺の最大の武器だ」
(それは武器でいいのかな…?)
疑問符を飛ばすディアナだが、ザイは堂々と胸を張っているし、実際ザイの実家に言わせれば、これは間違いなく武器なんである。
ちなみに、ザイと行動を共にするようになったシンディも一般人に紛れる技術をみるみる習得しており、ザイは家族に「さすが俺の嫁。見事な適応能力だ。そんな有能な嫁を貰える俺スゴイ。大金星を挙げた俺は、今後何の役にも立たなくても許されるレベルの大仕事を成し遂げたと胸を張って生きてってやるぜ」と豪語してるらしい。
『ザイ』には『スーパーポジティブくん』とルビを振ってやってほしい。
儀式当日は、ザイが一人でひっそり様子を覗きに行ってくれたので、ディアナとラキルス、ジークヴェルトは公爵家でまったりと待機していた。
そこにシンディが情報を携えてやってきた。
西の隣国の外務大臣らが、この国に入国したそうなのだ。
西の国境付近での魔獣被害は、当然ディアナの国の上層部だって認識しているし、人々の間にも凄いスピードで噂が広がっている。国として何も対処しないってわけにはいかない。
でも、魔獣ってのは、厄災みたいなもんではあるが生き物なのだ。
人間の言葉が通じるわけではなく、人間のルール下で生きているわけでもない魔獣が、勝手に隣国に入り込み、勝手にディアナたちの国に移動して来ただけのことである。
鳥が海を渡ってきたからって、その直前に羽を休めていた国に何らかの責任があるのかと問われても答えに窮するのと同じことで、魔獣の越境を責めるのは筋が違う。
末姫が嫁ぐ予定の北の隣国みたいに、わざと魔獣をこっちに追い立てて来たのなら話は別として、そうでない以上は『遺憾の意』という名のクレームを入れるくらいしか出来ることはない。共通の課題として、お互い腹を割って対応を協議するのが精々だ。
ってことで、西の隣国から、外務大臣がお話し合いに出向いてきたらしい。
少なくとも、表向きは。
「私は、あの神子を回収しに来たんじゃないかと読んでるんだけどね。どうせ教会の意向で布教活動に来たわけでも何でもなく、国にいると不本意な流れに逆らえなくなるだけだから、率先して逃げてきただけでしょ?」
西の隣国とは国交があるので、外交ルートで正式に手を回してもらわなくても、身分証が提示できれば出入国は可能なのだ。犯罪歴でもない限り、基本的には入国を拒否されることもない。
この国にある神聖教支部は、本部の神子が訪れるとなれば喜んで受け入れるだろうし、丁重に扱ってもくれるはず。
神子の周りにいる侍女や護衛はラキルスが何処の誰だか分かっていなかったようなので、神子の意向を酌んでさくさく動いてくれる人を西の隣国から引き連れて来てるのだろうと思われる。甘やかしてくれる人しかいない環境下で、好き勝手に振舞った結果として、婚約者がいる男性に縁談を申し込むなんて真似まで仕出かしたんだろう。
だけど、国としては神子の勝手など見過ごせないはずだ。
何せ神聖教は『西の隣国の国教』なのだ。国が公認している以上、「国とは無関係」と言い捨てることなど出来ない。
神聖教支部が、神子のご要望を受けて神子の滞在を西の隣国に伏せていたとしても、ランバート侯爵家から報告が上がっている我が国の外交ルートから、西の隣国に話が届いていてもおかしくない。
「西の隣国としては、国の与り知らぬところで他国と揉め事なんか起こされたら堪らないはずだから、何かやらかす前に神子を回収したいと思って当然だと思わない?」
「おお~…なるほど………」
「じゃあラキは、もうちょい引き籠っとけば、神子とやらからは逃げ切れるってことだな?」
「たぶんね」
だが勿論、そうは問屋が卸さない。
タイミングを計ったかのように、ディアナたちが集まっている公爵家の応接室の窓を、外からコツコツと叩くかのような音が響いた。
辺境伯三兄妹が鋭く視線を向けると、一羽の鳥が窓枠に止まっている。
「ああ、ザイからの連絡だわ」
シンディは鳥の足に括りつけられている手紙を外し、直ぐに鳥を放した。
そして、さっと手紙を開いて目を通した瞬間、シンディのこめかみにビキビキッと青筋が立った。
「例の神子、儀式で祈りとやらを捧げた後、『神から御言葉を賜った、この混乱を鎮めるためにはランバート侯爵令息と私が婚姻を結ぶ必要がある』と、聴衆の面前でぶちかましたそうよ」
「…ええ~……強行突破………?」
呆気にとられるディアナと、本当は無関係なはずなのに完全に巻き込まれているランバート侯爵令息への申し訳なさからか居たたまれなさそうに肩をすくませるラキルス。
だが、シンディの怒りはそこではない。
「加えて辺境伯家に喧嘩売って来たらしいわ。『力の時代は終わった』みたいなこと言ってるって」
「―――――あ゛?」
途端、ジークヴェルトが地の底を這うような重低音を響かせ、急に重力が増したのかと感じるほど、周辺の空気が重たくなった。もちろん、ジークヴェルトが怒りを乗せたせいである。
それは、神子が脳筋の地雷を踏んだ瞬間だった。




