10. 神の御言葉①
そんなある日、ディアナのおともだちであるランバート侯爵令嬢から手紙が届いた。『至急相談したいことがある』とのことで、公爵家へ訪問したい旨が記されていた。
更に、『ラキルス様にご同席いただきたい』『先日ラキルス様とご一緒だった男性にもご同席いただきたいのだが、お名前を聞きそびれてしまったので、ラキルス様からお声がけいただくことは出来ないか』とも添えられている。
ディアナにはよく分からなかったのでラキルスに確認してみると、その男性とやらはザイのことらしいので、伯爵家に連絡を入れ、返事を待つことにした。
翌日、公爵家の二階のバルコニーに不審者の気配を感じ取ったディアナは、すぐさま飛んで行って締め上げてみたところ、その不審者は「俺だ義妹よ―――――!」と声を潜ませながらも必死に叫んでいる。
覚えのある声に、そう言われてみれば先日も感じた気配。特に害意の類も感じないので腕を緩めてみれば、それは確かにザイだった。
「ザイお義兄様は何で普通に来ないの?」
害意は感じられなかったとは言え、来客予定もないはずなのに二階のバルコニーに公爵家以外の人の気配を感じたら、不審者扱いするのは当然のことである。うっかり仕留められてしまっても文句は言えないはずである。
「いや、西の隣国の動きがまだ分からないから、俺らが活発に動いてることは知られない方がいいだろうと思って、俺とシンディは表に出ないようにしてんだよ。公爵家の人の出入りは見張られてるかもしんねーから非正規ルートで訪問した次第だ」
「例の魔獣がらみでってこと?」
「それも分からないから、ありとあらゆる可能性を考慮してってこと!」
ありとあらゆる可能性ったって、魔獣なんて、とにかく仕留める以外に何があろうか。
「わたしよく分かんないや…。ねえラキ、そういうもんなの?」
「まあ今回はそうかな」
「そっか、わかった!」
よく分からないことは頭脳担当に丸投げである。
「うちは分業制で行く」と決めた以上は、ラキルスが「そうだ」と言うのなら、もう迷うまでもなくそうなのだ。判断は任せとけばいいのだ。
「…シンディが『ディアナはアホ可愛い』って言うのは、こういうところだよなあ…。シンディが同じこと言っても、こういうカンジにはならねーもんなあ…」
と、ザイが呟いていたのは聞こえてなくはないが、自分の頭脳が誇れるレベルじゃないことはディアナとて自覚しているので、アホ扱いくらい気にしない。
さて、ザイが「手紙のやり取りじゃ時間がかかるから直に話そうと思って顔を出した」と言うので、さっそく本題に移ることにする。
「ランバート侯爵令嬢が俺も呼ぶってことは、こないだのご令嬢がらみってことだよな?」
「まず間違いなくそうでしょうね」
「やっぱあの子、非常識なタイプだったかぁ~…。西の隣国が絡んでる可能性が高いし、俺も同席させて貰うべきなんだろうけど、次にランバート侯爵令嬢に会ったら自己紹介しないってわけにもいかないよな~…。軽く流してくれるかな…」
ザイとしては、諜報活動中に声をかけられたり名前を呼ばれたりしても困るので、顔と名前は覚えないでいてくれて一向に構わないのだが、『ラキルスの義兄』って肩書があると、それだけで印象に残りやすくなる気がするのが、ちょっと躊躇われるところなのだ。
「義理の兄妹ってこと言っちゃいけないの?」
「いや、それは公の事実だから別に構わないんだけど…。まあ眼鏡キャラでも印象付けとけば何とかなるか?いいかディアナ~ザイにーちゃんは目が悪いんだぞ~。わかったか~」
「え、そうだったの?うんわかった!」
ディアナ的にはザイの視力が良かろうが悪かろうがどうでも良いので、多少違和感があろうとも気にしない。
「…念のため言っておきますと、ザイ先輩には独特の存在感があるので、眼鏡くらいじゃぼやかせないと思いますよ」
「な~に言ってんだ俺だぞ?とっかかりっつーたら『眼鏡』に決まってんじゃねーか」
ラキルスは、顔面だけが人を印象づけるものではないと思っているし、現にラキルスはザイのことを存在感で記憶していたわけだが、ここで食らいついても話が進まないので、ランバート侯爵令嬢が顔面で記憶するタイプであることに期待することにする。
おかげさまで、ランバート侯爵令嬢は顔面派なので結果オーライである。
そんなこんなで、なるべく早めに対話する機会を設けた方が良いだろうということになり、さくさくと日程調整を行った結果、その翌々日にはランバート侯爵令嬢が公爵家にやって来た。
ザイは、あれこれ詮索される前に、さくっと最低限の自己紹介をする。そしてすぐに別の話題に移ってしまおうって腹積もりである。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。私、ディアナの実姉・シンディの夫でして、ザイと申します。ラキルスとディアナの義理の兄にあたります。弟妹共々どうぞよろしくお願いいたします」
「まあ!そうでしたの!ラキルス様と随分親し気なご様子でしたので、どなたかしらと思っておりました。最初の他人行儀なやりとりは、あのご令嬢にラキルス様の情報を与えないためですのね?」
「そうなんです!ご理解いただけて助かります!」
ランバート侯爵令嬢は、ザイ自身については深く掘り下げて来る様子がなく、ザイは心からホッとする。興味を持ってもらえなくて淋しいなどとはちっとも思わないので、そこはご安心いただきたい。辺境伯家の直系を嫁に貰おうなんて男が、豆腐メンタルな訳がないのだ。
ディアナは現状、会話にはついていけていないが、普段のランバート侯爵令嬢との会話でも王都の話題などだとついていけないことはあるので、今回もそういう話なのかなくらいに構えており、いざとなったらぼーっとしようと思っている。
ラキルスは、「え~なになに?」とかいちいち口を挟もうとせず、まずはじっと聞く姿勢を取るディアナに、口許を緩ませる。
なんでもかんでも出しゃばろうとしないあたり、何気にディアナは空気を読んでいるし、お呼びでない時はちゃんと何歩か下がっている。絶妙にメリハリをきかせてくるところが何ともディアナらしくて、つい微笑ましく思ってしまうのだ。
「ご相談したいことと申しますのは、実は私の兄に、西の隣国の伯爵家を語るご令嬢から婚約の申し込みがございまして…」
本題を切り出したランバート侯爵令嬢に、ラキルスは訝し気な表情を浮かべて呟いた。
「―――――婚約…?」
「はい」
ランバート侯爵令嬢は神妙に頷き、ザイは冷静にツッコむ。
「お兄さん、婚約者いらっしゃいますよね?」
「おります」
「えっいるの?」
即答するランバート侯爵令嬢に、ディアナも思わず声をあげる。
婚約者の有無は、婚約を申し込む前に調べていて当然である。
横槍を入れる形になったことにより揉め事に発展しようものなら、最悪は家の存続にまで関わってしまう可能性がある。貴族の婚約・婚姻とは七面倒くさいものなのだ。
しかも今回の場合、向こうは伯爵家でこっちは侯爵家。目上の家に対して無礼を働いていることになる。しかも他国だ。自国では許されていることであっても、他国でも同様に通用するとは限らない。その行動に踏み切れるだけの自信が何処から来るのかは分からないが、ある意味、突き抜けた度胸の持ち主ある。
…ぶっちぎりに常識が欠如しているだけかもしれないが。
「えーと…?先方にはちゃんと説明したんだよね…?」
「もちろんよ。もしかしたら西の隣国は、結婚に関する常識が我が国とは異なるのかもしれないと考えて、最大限配慮しつつ丁重にお断りしてるのに、一向に引き下がってくれないんですって」
「ほほ~う…。えらいご執心ですな…」
ランバート侯爵家は、西の隣国とは何ら接点がないそうだ。
お兄さんも、ここ数か月ずっと領地に籠っていて社交からは足が遠のいているとのことで、何故このお話が舞い込んで来たものやら思い当たるフシがなく困惑しているらしい。
対応に苦慮したご当主が、「ランバート侯爵家の家門の中からそれなりな男性を紹介するので、嫡男のことは諦めて欲しい」と提案してみたそうなのだが、一歩も譲らず「彼でなければならないのだ」と切望されたんだそうだ。
「曰く『これは神の思し召しなのだ』と」




