08. 君の名は②
「あっれー!侯爵令嬢じゃないですか!お久しぶりです!お元気でしたでしょうか?」
聞き覚えのある声にラキルスが視線を上げると、丸眼鏡をつけ帽子をかぶったザイが、ニコニコと人当たりの良い微笑みを浮かべながら、いつの間にやらラキルスのすぐ横に立っていた。
つい先日ザイは、「ラキルスとは接触していないことにしたい」と言っていた。
軽く変装らしきものをしていること、ラキルスにではなくランバート侯爵令嬢に声をかけていることから、今ここでラキルスとの関係性を明かすつもりはザイにはないであろうことを察し、ラキルスはとりあえず沈黙を保っておくことにする。
「ええと…申し訳ございません。大変失礼ですが、どちらさまでしたでしょう…?」
戸惑いを見せるランバート侯爵令嬢に引くことなく、ザイは食い気味に言葉を続ける。おそらく、見知らぬご令嬢に口を挟むタイミングを与えないようにしているのだろう。
「あれえ?お忘れですか?淋しいなあ。学園でお兄さんと親しくさせて貰っていたんですが…」
ランバート侯爵令嬢は、ちらりとラキルスに視線を送る。
ランバート侯爵令嬢の兄と学園で交流があったということは、兄とは学園の同級生であるラキルスとも面識があるはずだと思ってのことである。
ラキルスが頷いたことを確認したランバート侯爵令嬢は、ザイの言葉に間違いがないことを察し、挨拶を返した。
「そうでしたのね。大変失礼いたしました。兄がお世話になっております」
そこでザイは、いま初めてラキルスの存在に気づいたかのようにラキルスの方に顔を向けると、
「ああ!いらしたんですね!美しいご令嬢にばかり意識が向いてしまい、気づくのが遅れてしまい申し訳ない。久しぶり!」
と、するりとラキルスを輪に加える。
ザイがあえて名前を呼ばないようにしていることに気づいていたラキルスは、もちろんザイの名前も口にすることはない。
「ご無沙汰しております先輩」
「ホントだよなあ懐かしいなあ…。積もる話もあることですし、場所を変えて話しませんか?ささどうぞこちらに」
ザイは、ラキルスの背中を押して歩みを促しつつ、ランバート侯爵令嬢の護衛と侍女の陰に素早く回り込むと、彼らを壁に使いつつ、ささーっと人込みに紛れた。
「あっ…あのっ……待ってください!」
見知らぬご令嬢は必死に声を上げているが、ザイはもちろんのこと、ラキルスもランバート侯爵令嬢も一切振り向くことなく、足早にその場を後にする。
ザイの行動の意図するところを察してくれたらしいランバート侯爵令嬢の護衛と侍女が、すぐにこちらを追いかけるのではなく、しばらくその場に立ちふさがってくれていたこともあり、ラキルスたちは見知らぬご令嬢に後を追いかけて来られることもなく、スムーズにそこから立ち去ることができた。
「申し訳ありませんランバート侯爵令嬢。巻き込んでしまったかもしれません。相手が軽率に行動を起こさないことを祈るばかりです」
ランバート侯爵令嬢をさくっと馬車まで送り届けたラキルスとザイは、侯爵令嬢には護衛らが戻るまで馬車の中で待っててもらうよう御者に託すと、神妙そうな声色で、ランバート侯爵令嬢に一声かけた。
「え…まだ続きがございますの…?」
「う~ん…何つってもラキルスだからなあ…。おまえその令嬢ホイホイどうにかならんの?ちったぁ俺のこの完璧に世間に紛れるクセのない顔面を見習えっての」
不安そうに眉を下げるランバート侯爵令嬢に対して、ザイは苦笑したような表情を浮かべて見せたが、ザイの纏う人当たりの良い朗らかな雰囲気には深刻さを中和する効果があるようで、ランバート侯爵令嬢は少し肩の力を緩めることが出来たようだった。
「そもそも私は既婚者なので、ご令嬢とどうこうは有り得ませんよ。…というか先輩、今のご令嬢をご存じなんですか?」
「いや知らんけど、西の隣国の訛りがあった」
「…訛り?」
例のご令嬢は、ほんの数言しか言葉を発していない。しかも訛りを判別できるような特徴的な言葉を発したわけでもない。
それでもザイは、ごく細やかな発音のクセのようなものから訛りを聞き分けたらしい。こういうところが、さすがは『王家の影』ってことなのだろう。
「もしランバート侯爵家に、何かラキルスについてっぽい問い合わせとかあったとしても、テキトーにシラ切っといて貰えますか?いやもうホント良識的であってくれと願うしかないけど、マナーも怪しいご令嬢だったからなあ…」
はあ~っと溜息をつきながら項垂れるザイに、ランバート侯爵令嬢は力強く頷く。
「お任せくださいませ。ラキルス様とディアナのためでしたら、わたくしいくらでもご協力いたしますわ」
「ありがとうございます!よろしくお願いしますね。ではどうぞお気をつけて!」
ザイは、自分について質問が及ぶ前にささ~っと侯爵家の馬車の扉を閉めると、ラキルスを公爵家の馬車に押し込み、自分も後に続いて乗りこんで来る。
別に、ついでに家まで送ってもらおうと目論んでいるとかいうことではなく、道端でするワケにもいかない話をするためである。
「いいかラキルス。あのご令嬢はたぶん厄介だ。俺の中の『やなカンジ』センサーがそう告げて来ている」
「はい。私も同じように感じました」
「誤認しやすいような言い回しをしておいたから、すぐにラキルスに辿り着くことはないと思うけど、公爵家を探ってる奴らと繋がってる可能性もあるし、ラキルスは全力で西の隣国とは接点を持たないように立ち回ってくれ」
「わかりました」
ザイは帽子と丸眼鏡をはずして鞄に突っ込み、リバーシブルだったらしいジャケットを裏返して羽織りなおした。紺色からベージュへとジャケットの色味が変わっただけで、随分と印象が異なって見えるから不思議なものだ。
「じゃあ俺は行くな!何か情報掴んだら連絡するから、ラキルスはなるべくひっそりとしとけよ!」
「あ、ザイ先輩!助けてくださってありがとうございます」
ザイは、広く顔を知られて王家の影として諜報活動に支障をきたすことがないよう、あえて人前に出ないようにしていることが窺える。
伯爵家の嫡男であり、辺境伯家の長女を嫁に貰ったことはそれなりに知られていながら、社交の場にはほとんど顔をださず、嫁の姿も見かけたことがないなんて、つまり敢えて露出を控えているに違いないのだ。
それなのに、いま正に探りを入れている最中なはずの西の隣国の人間の前に顔を晒すなんて、ラキルスを助けるためにリスクを冒してくれたとしか思えない。
自らの危険を顧みずに手を差し伸べてくれるザイには、素直に感謝しか覚えようがない。
「いや、ラキルスもランバート侯爵令嬢も余計なこと口走らないでくれてすげー助かったわ。機転がきく味方がいてくれると動きやすいよ。こっちこそありがとな!」
にっと笑ったザイは、軽やかな身のこなしで馬車から降りると、するりと人込みに紛れてあっという間に見えなくなった。
我が国最強の辺境伯家から、しかも希少な直系のご令嬢を嫁にもらえるような男が、ただの騎士なわけがない。
ちゃんと考えれば思い至りそうなものなのに、ザイが結婚した当時は何ら疑問にも思わなかったなんて、今更ながら不思議でならない。
ザイは王家の影ではあるが、諜報専門であり暗殺などは一切請け負わないため、強さよりも逃げ足に重きを置いており、戦闘能力はショボいと聞いている。
そんなザイや、同じく『弱っちい』ラキルスが受け入れて貰えていることからも、辺境伯家は「力こそが全て!」と言いつつも、戦闘力の強さだけで人を評価しているわけではないことを改めて実感する。
だからラキルスだって、自分に出来ることをしっかり全うすれば良い。
そう気持ちを引き締め直すとともに、ラキルスは、力強い味方がいることを掛け値なしに頼もしく思うのだった。
作者は、ラキルスは包容力一本で勝負してくれればいいと思っていて、
強さやカッコ良さを求めていないこともあって、
どうもハイスペ設定を蔑ろにしてしまいがちになります…。
そのお詫びとでも申しましょうか、
世間の皆様から賞賛していただくことで穴埋めを!
…できてるといいんですが…。




