06. 西の隣国
ディアナたちの暮らす国や、末姫が嫁ぐ隣国以外にも、魔獣の森に接している国は沢山ある。魔獣の森の北にも、北東にも、北西にも、南にもそれぞれ異なる国があり、各々の辺境伯家が魔獣と対峙している。
どの国でも、魔獣の森と接している領地は基本的に辺境伯領にあたるのだが、国土の大きさも形もさまざまであり、当然、辺境伯領だけが他国と隣接しているわけではない。魔獣の森からは遠く離れたところで他国に接している領地だって勿論ある。魔獣の森には少しも接していない幸運な国だってある。
ディアナのホームグラウンド、この国の辺境伯領の西側は、切り立った岩山(めっちゃ上げ底したΣみたいな形。とんがってない部分は魔獣の森の内部に食い込んでいるので、正しい形状は不明)によって西の隣国と隔たれており、ここを越えることは、羽根でも生えていなければまず不可能と言える。
なので、姉・シンディの言う『西の国境』とは、魔獣の森からは遠く離れた他所の領地のことと考えて間違いないだろう。
「西の国境付近で小型の動物に重症を負わされる被害が相次いでいるらしくて、ちょっと偵察しに行ってみたらコレが現れたから秘密裏に捕獲したのよ。ちなみに検疫はしてあるから安心していいわ」
見た目だけで言えば、ちょっと珍しいキツネみたいに見えないこともないが、魔獣は普通の動物とは気配が異なる。常に殺気を身に纏っているみたいな澱んだ気配がするのだ。
末姫が嫁ぐ北の隣国でディアナ達が対峙した寄生虫もどきの特異体ならいざ知らず、この程度の魔獣であれば、魔獣と対峙し続けてきた人間であれば見落とすとは考えにくい。
「西の隣国の辺境伯家は、ちゃんと機能してるの…?」
ディアナの実家は、辺境伯領内で魔獣を一匹も漏らさず完璧に封じ込めているが、これは列国の辺境伯家に言わせれば実現不可能としか思えない、レベチにもほどがある神業である。
でも、辺境に近しい領地にまでは魔獣に入り込まれることがあるにせよ、魔獣の森から遠く離れた領地まで、いくつもの領地を潜り抜けて入り込まれたという話も聞かない。
自国の奥深くまで魔獣の侵入を許すなんて、『辺境伯家』を名乗る者として恥ずべき事態と言える。
「怪しいところね。西の隣国、最近どうもきな臭いし…」
「きな臭い、って?」
「西の国境付近を偵察しに行った際に、胡散臭い女の噂を耳にしたのよね。まあこのあたりはもう少し探ってみるわ」
「―――――胡散臭い女………」
姉・シンディは、その女の人については詳細を語ろうとはしなかった。噂話レベルであっても、あまり話したくないような内容なのかもしれない。
「とりあえずわたしは、コレ持ってお父様のところに意見貰いに行ってくるわ。魔獣がらみである以上、王都を混乱させないためにも大っぴらに動くわけにはいかないし、わたしがひっそり動くから、ディアナは王都の状況を注視しておいて。ザイは置いて行くから、気になることや確認したいことがあったら伯爵家に伝えてくれればいいわ」
「わかった!」
そこでシンディは一拍置いて、揶揄うかのようにニヤリと笑った。
「新婚生活を満喫する片手間にでいいわよ?」
「え、あ~……」
このときシンディは、気質が素直なディアナのことだから、無意識に惚気みたいなこと口走るものだとばかり思っていたのだが、意外にもディアナは言葉を詰まらせた。
ディアナは、ランバート侯爵令嬢から聞いた『国民の皆さんからの異議申し立て』がふと頭をよぎってしまったことにより、能天気に『新婚で~す』ってカオして王都を歩くわけにもいかないんだろうなって気持ちになってしまい、何となく返事を躊躇ってしまったのだ。
「あら何?公爵家からは大事にして貰えてるって聞いてるけど、心配事でもあるの?」
ディアナの表情が少し曇ったことに目敏く気づいたシンディは、ディアナの顔を覗き込みながら尋ねる。
ディアナは、困ったように肩をすくめながら答えた。
「う~ん…。何かわたし、国民の皆さんから嫌われてるらしいんだ~…」
メンタルつよつよのディアナは、知らない人から良く思われていないからと言って、ダメージを負うことはほぼない。
面と向かって喧嘩売られたって、素人どころか玄人だって別にちっとも怖かぁないし、自分から絡みに来てくれるなんて、つまりは積極的に腹割りに来てくれてるってことだから、その時点で「先行きは明るい!」って気分にすらなれる。
だけど、ディアナに関してならそれでいいんだけれども、例えばラキルスに関してだったら「何か嫌だなぁ…」って気持ちになる。
悪意に動じないディアナですらそんな気持ちになるのだ。根がいいヤツなラキルスは、自分の妻が皆さんから良く思われていないなんてことを知ってしまったら、きっとディアナを思いやって心を痛める。
それが何だかチクリとくるのだ。
「ディアナが人様からの目を気にするなんて、ちょっと意外ね」
「だって…ラキが嫌な思いするのはイヤだもん…」
シンディは、ディアナのそんな様子に、女の子らしい情緒の芽生えを感じ微笑ましさを覚えたものの、ディアナらしさを陰らせることは看過できなかった。
「あら。ラキルスくんは巷の噂に踊らされてディアナの価値を見誤るような、しょーもない男なの?」
「違う……と…思う」
「なら放っとけばいいのよ。世間なんて何も知らないクセに好き勝手言うものなんだから。もしラキルスくんが体裁に拘るちっさい男なら、辺境伯家と縁づくに値しない男として、わたしが成敗しとくわよ?」
シンディの気持ちとしては「本当にそんな男ならガチに成敗したろう」と噓偽りなく思っているわけだが、一方で、ラキルスがそんな男ではないであろうことも、あの父がちゃんと為人を見極めた上で受け入れているという事実から容易に窺い知れたため、冗談めかした口調を強調しながら、軽くディアナを小突いた。
「お姉さまが成敗したら再起不能になっちゃうじゃん…」
シンディが「世間様が何を言おうが姉は味方だよ」って示してくれていることを察したディアナは、えへへと嬉しそうに笑った。
「かわいい妹のためになら、ひと肌もふた肌も脱いじゃうわよ。まあ任せてちょうだい」
「任せるの不安だよ~…。ラキを虐めないで…?」
「あらやだ。ザイの扱いと似たようなものじゃない」
「え~…ザイお義兄さまのことも虐めないであげて…?」
「こんなに可愛がってるのに…」
「それ、スポーツの世界とかで噂に聞く『かわいがり』ってやつだから…」
ランバート侯爵令嬢に『世間からの見られ方』を聞き、ディアナとしてはショックを受けたつもりはなかったが、それでもやっぱり喉に小骨が刺さったような何とも言い難い不快感は覚えていたらしい。
気心知れた姉と何も考えずに話をしたことで、そんな気分もすっかり払拭できたディアナは、すぱーんと気持ちを切り替えた。
今回のキツネ型魔獣の件だって、これで終わりってことはないだろうし、うだうだしてもいられない。
でも、少し気持ちが晴れた今は、素直に姉や義兄との再会を喜びたい。
「おかえりディアナ」
「わーいラキ~!」
ラキルスとザイ(※縄も解いてもらった)が、姉妹を穏やかに迎えてくれる。
すっかり気持ちの浮上したディアナは、ラキルスのカオを見ただけで何だか嬉しくなってしまうのだから、チョロいもんである。
「…『わあい』。旦那の顔見ただけで『わあい』」
思わず感心したように呟くザイに、
「相変わらずうちの末っ子はアホ可愛いわ~」
と、シンディは感慨深げである。
「しっぽが見える。ぶんぶんと千切れんばかりに振りまくられているしっぽが」
「奇遇ねザイ。私にも見えるわ」
「嫁よ」
「なんだい夫」
「俺もあれが欲しい。嫁にぶんぶんしっぽ振りながら駆け寄って来て欲しい」
真顔で要求を述べるザイに、シンディは冷静さを保ったまま向き直る。
「あのねザイ」
「おうよ」
「ディアナの可愛げは、あのアホっぽさあってのものであって、私が真似したところで滑稽でしかないわよ」
ザイは数拍止まった後、静かに息を吐きながらゆっくりと頷いた。
「……さすが俺の嫁…。何とも切ない限りだが説得力ハンパない………」
「ご納得いただけたようで何よりだわ」
ほのぼのとした妹夫婦の横で、貫禄のツーカーっぷりを発揮する姉夫婦。
これもまた、ひとつの夫婦の形である。




