02. 世間はアンチで溢れてる②
「高位貴族は、末姫様とご一緒のときよりディアナといるときの方が、ラキルス様が楽しそうな表情をなさっていることを実際にこの目で目撃してますから、ラキルス様はディアナとの結婚に不満など覚えていないことも分かってますけど、公爵家との接点がほとんどない下位貴族や平民は、それを目にする機会がないこともあって、そんな噂がまことしやかに広まってしまっているんですわね」
王族であれば、国民に向けてその存在と権威を示すことも公務のうちであり、そういった機会もそれなりにあるが、イチ貴族の、しかもまだ爵位を継いだわけでもないイチ令息にすぎないラキルスには当然そんな義務はなく、末姫との婚約解消後の露出はぴたっと途絶えている。
末姫が公式な場に臨むにあたっては、『姫の婚約者としての義務』でラキルスがエスコート役を担っていたため、ラキルスの顔は国民にも広く知られることになったが、王家とのご縁がなくなった上に妻帯者となった今、ラキルスがその役目を担うことはもうないし、広く国民の前に姿を現す機会そのものもない。
だけど、ランバート侯爵令嬢はちょっと嫌な予感を覚えていた。「この状況は思っているほど単純なお話ではないかもしれない」と。
今回の国民の皆さんの抗議の声は、単に「今のラキルスを目にする機会がないから、ラキルスが実はとても楽しそうに日々過ごしていることを知らず、『きっと辛い思いをしているに違いない』と思い込んでしまっている」ってだけのことではない可能性が何気に高いのだ。
ランバート侯爵令嬢は、王族に対する敬意は勿論あるものの、末姫を『理想の女性』に掲げていたわけではない。
国民の皆さんのように盲目的に崇め奉ってもいないし、『ラキルスとのカップル推し』をしていたわけでもない。
あわよくば自分がラキルスの隣に立ちたいと思ってたくらいなのだ。正しく身分を理解して弁えていただけのことであって、本音を言えば末姫なんて邪魔な存在でしかなかった。
ラキルスに並々ならぬ思いを抱いていた身だからこそ、ランバート侯爵令嬢には、こういうときに陥りがちな思考パターンってものが理解できてしまう。
国民の皆さんからすれば、『憧れの高貴なカップル』が壊れてしまったことを、認めたくないのだと思う。
あの『美しく華やかな、夢物語を体現したかのようなカップル』が、ただのまやかしだったという現実を、受け入れることが出来ないのだろう。
末姫のお相手は、ラキルスであって欲しいのだ。
ラキルスのお相手は、末姫であって欲しいのだ。
例え婚約がなかったことにされてしまったとしても、二人の思いは変わることがないと思っていたいのだ。
あの二人には、理想的なカップルのまま、記憶の中で美しく輝き続けていて欲しい。それ以外は断じて認めたくない。他の人と仲睦まじい関係を築いていく姿など見たくない。
だから、ディアナがどうだろうが、ぶっちゃければ例え隣国の王太子が理想の王子様であろうが、もうそこは一切関係なく、末姫とラキルスはこの先もずっと思い合っていなければならないし、二人の間に割って入ろうとする者はほぼ無条件に『悪』と見做すのだ。
重箱の隅をつつくかのように粗を探して隙あらば攻撃することで、自分たちの思いを正当化したい一心なのだろう。
ランバート侯爵令嬢は、ディアナとの一騒動の後、両親から隣国ご一行歓迎パーティーでの一幕を教えてもらった。
「ラキルス様が末姫さまのことをきっぱり拒絶していた」という衝撃のエピソードは、あの『憧れの理想的なカップル』が、本当にただのまやかしだったということを暗に物語っている。
姫に少しの傷もつけないように、大切に大切に接していたラキルスはもういない。
いや、そもそも『大切に接していた』ということ自体、根底にあるものの解釈が誤っていたのだということに気づかざるを得ない。
ラキルスは好きだから大切にしていたのではなく、『王家の姫君だから』大切にしていたのだ。
そこにあるのは『国への忠義』であって、国に対して良い影響を及ぼさないと判断すれば、例え姫君であっても、今まで大切に大切にしてきた末姫であっても、ラキルスは毅然とした対応を取るのだということをはっきりと示している。
そんなこと、国民は誰一人として想像すらできないだろうし、国もわざわざ「姫がラキルスから『政略の意味をきちんと理解し、隣国の王太子と向き合うように』と窘められた」なんてこと広めるわけがない。
王家の面目もあり、あのパーティーでの一幕が秘されたことによって、ある意味今頃になって、こんな騒ぎが引き起こされることになってしまっている。
丸く収まったと思っていても、後からぶり返してくるとか、やれやれ全く世知辛いものである。
「国民の夢と希望を過剰に背負わされてしまっているラキルス様は、不要なご苦労をなさっていることと思いますわ。ディアナ、いつもみたいにアホなことでも言って、息抜きさせてあげてくださいまし」
「あ~…うん。良くない噂を払拭できる自信はないけど、息抜きだったら協力できるかも」
ディアナは今日もこうして、のんきにランバート侯爵令嬢のおうちに遊びに来たりしているわけだが、ラキルスは帰国するなりせわしなく執務に励んでいる。
今ちょうど義両親である公爵夫妻が領地に帰っているということもあり、毎日バタバタと何やら確認したり書類を纏めたり王城に報告に行ったりと忙しそうにしている。ディアナにはあまり出来ることがなくて申し訳ない限りだ。
ラキルスからは、「追々ディアナには、領地経営ではなくお屋敷内の管理をやってもらうことになるから、まずは使用人たちと良好な関係を築き、少しずつでいいから彼らの得手不得手などを把握していって欲しい」と言われている。
何か起こったとき、「これは誰に任せたらいいか」みたいなことがパッと出てくるようにさえなっていれば、自分自身が卒なく何でも出来るわけじゃなくても別に大丈夫らしい。
それならディアナでも何とかやっていけそうな気がする。
ディアナは人の特徴を覚えるのは得意なので、覚えた特徴をベースにして情報をつけ足していくことはさほど大変なことではなく、とりあえずお屋敷の中のことに関わってくれている全ての人間の顔と特徴は記憶したのだが、ちょっと自信がないのは、ディアナと言えばの例のあれ。名前を正しく覚えられるかどうかだ。
だって、「絶対マリアでしょ!」って顔してるのに「ベッティと申します」とか言われたってさあ…。無理だから。覚えられないから。
顔みたらポッと「マリア」って浮かんでくるのに、そこから「ベッティ」を捻りだせって、自分の夫の名前すらなかなか覚えられなかったディアナに対して、要求が高すぎやしないだろうか。
まあ、経験上、三回くらい間違えたら学習するはずなので、気長に構えて貰えればいつかは何とかなるものと信じている。
ちなみに、ラキルスの名前はさすがにマスターした。
結局のところ画期的な覚え方は見つけられなかったので、「ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールル」ってひたすら歌って、条件反射的に『ル』が浮かぶように体に叩き込んだ。無理矢理だろうが何だろうが、結果として無事覚えられたので、結果オーライと思うことにしている。
そんなカンジで、一応『公爵家の嫁として』の部分も地味~に学んではいるつもりだ。世間様が認めてくれるようなレベルじゃないんだろうけど。
まあ、そこいらへんは、ラキルスが気に病むようだったら命がけでやろうと思うけど、今はまだいいだろう。うん。
「ルールル」の歌は、あのお部屋のテーマです。
ラキルスの名前の画期的な記憶方法が何も思い浮かばず、
それならせめて、どうしたら『ル』を印象づけられるかを考えたときに
頭をよぎっていったのがこちらでございました…。




