おまけ. 姫の後釜のアレ
ご無沙汰しております。真朱です。
なんと、本作「愛するつもりなぞないんでしょうから」が、
小学館様「ファンタジーノベル&コミック原作大賞」にて
奨励賞をいただきました…!!
ひとえに読んでくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございます!!
嬉しいお知らせにあわせて、おまけを公開させていただきます。
今回は第1章と第2章の間のころのお話(モブ視点)です。
お楽しみいただけたら幸いです。
隣国との和睦の話が突如湧き上がり、隣国側の強い要望により、末姫が隣国の王太子の元へと嫁ぐことが公式に発表された。
末姫には既に婚約者がいたというのに、その婚約は白紙撤回されて、なかったこととされたのだ。
清楚で可憐、色白で華奢な美女である末姫と、何でも高レベルでそつなくこなす実力を持ちながら、常に穏やかで紳士的、ルックスもしっかりイケメンで家柄も申し分のない公爵令息。
国中が温かく見守っていたお似合いのカップルは、いともあっさりと消えてなくなった。
かの公爵令息のハイスペックぶりは群を抜いている。
姫のお相手だからこそ誰も横やり入れることはなかった…と言うか『出来なかった』と言うのが正しいところだが、姫が離脱してくれたとあっては、お話は変わってくる。
王都の貴族女性の目の色がギラリと変わった。
まだ婚約者のいない女性だけでなく、既に婚約者がいる女性もまた然り。慰謝料を支払って今の婚約を解消してでも公爵家と縁を結びたいと画策しだした家もあるとかないとか、ちょっとした騒ぎになったほどだった。
とある侯爵令嬢も、その一人だった。
何せ、かの公爵令息は、彼女が密かに憧れ続けていた人だったのだから。
デビュタントを迎えたばかりの侯爵令嬢は、三歳年上の公爵令息とは学園は入れ違いになってしまったので、パーティーなどで末姫の隣に立つ姿くらいしか目にする機会もなかったわけだが、いつも紳士的に振る舞う大人な落ち着きが眩しくて仕方がなかった。
だから、公爵令息の次の婚約者の座には、何が何でも自分が座りたかった。
他の公爵家には未婚の年頃のご令嬢がいないので、侯爵令嬢は家格的には一番釣り合っているし、侯爵令嬢には婚約者はまだおらず他家とモメる心配もなかったため、夢物語などではなく現実的な線でも期待していいだろうと思っていた。
そんな王都の混乱を知ってか知らずか、公爵令息は、数日後には異例のスピードで婚姻を結んでしまった。
『婚約』ではなく『婚姻』だという。
超大型未婚男子は、あっさりと妻帯者になってしまったのだ。
お相手は辺境伯家の二女、とのことだった。
辺境伯家ときたか。
辺境伯家は、この国では絶対的覇者だ。
国王のことを平気で恫喝できてしまう辺境伯閣下が率いる、もう完全なる軍隊。辺境に籠りっきりで、社交も全くといっていいほど行わないが、それがまかり通ってしまう家。
そんな家の、デビュタントには来ていたらしいが誰の印象にも残っていない(恐らく、国王への挨拶だけして疾風の如く帰ったものと思われる)正体不明の二女とやらが、公爵家の嫡男の妻の座にさくっと納まったのだ。
何たることか。
公爵家の。嫡男の。ハイスペックイケメンの。妻の座ですぞ。
しかも、姫を娶るはずだった人ですぞ。
「誰?」レベルな、社交もできないポッと出が掻っ攫っていっていい御仁ではござらん。
貴族家はこぞって、嫁の情報収集にあたった。
辺境伯家の長女が嫁ついでいる伯爵家からもたらされた情報によると、「二女は、長男以上に辺境伯に似ており、一見アホっぽいからとナメてかかると痛い目にあう」とのことらしい。
いかつくて男くさいと有名な辺境伯閣下に似ている、とな。
ははん。憐れよのぅ二女とやら。
だが。
そんなむさ苦しい容貌で、超優良ハイスペイケメンの横に易々と立てると思うでないぞ。
王都女子たちの心が一つになった瞬間であった。
侯爵令嬢も、もちろん大人しく引き下がるつもりはなかった。
末姫だから諦めるしかなかったが、辺境伯家であれば、家格としては自分の家だって負けてはいない。
なぜ自分ではダメだったのか。
そりゃ辺境伯家は力のある家ではあるが、王家の言うことすら聞かないような家である。公爵家のことなど立ててくれるわけがないではないか。そんな家と縁づいても、公爵家のためになるとはとても思えない。
それなのに、あんな国一番の超優良男性を、横からしれっと掻っ攫って行こうなんて許せない。
少しでいいからぎゃふんと言わせたい。
静かなる恨みを募らせていた侯爵令嬢は、父への届け物で王城へと足を運んだある日、幸運なことに、書類提出のために王城に来ていたらしいラキルスに遭遇した。
ラキルスは、ばったり会った友人と談笑している。
侯爵令嬢がラキルスの側にそろ~っと近づいてみると、新妻のことを根ほり葉ほり聞かれている最中のようだったので、王城の装飾などに目を奪われている風を装いつつ聞き耳をたててみる。
「奥方は刺繍は得意なのか?ハンカチくらいは貰ってるだろう?是非見せて欲しいな」
「私はまだ貰えていないんだ」
「刺繍は苦手なのか?」
「いや、母上がね…。持って行ってしまうんだよ」
「公爵夫人のオッケーが出ないってことか?」
「う~んそれが…」
辺境伯似のいかつい嫁とくれば想像もつくってものだが、さぞガサツで不器用な女なのだろう。
刺繍ひとつ満足に出来ず、こんな風にラキルスに恥をかかせるなんぞ、そんな嫁にゃ何の価値もありはしない!
やっぱり絶対にぎゃふんと言わせてやる!!
侯爵令嬢は、変な方向に燃えていた。
沸々と湧き上がってくるものを抱え、悶々とした日々を送っていた侯爵令嬢は、それから数日後、たまたま訪れた博物館で再びラキルスを見かけた。
隣には、見覚えのないスレンダーな女性が立っている。
(あれが嫁…?)
背は標準女性より若干高いだろうか。
顔の造作は、末姫のような清楚で可憐な美しさは全く感じられないが、生命力の輝きとでもいうか、溌溂とした愛嬌のようなものに溢れていて、認めたくはないが魅力的ではある。
遠目に見ても、所作はべらぼうに美しい。
ピシッと伸びた背筋。指先まで神経が行き届き、衣服の擦れる音すらしなさそうな少しの乱れもない身のこなし。悔しいことに所作に限れば末姫以上のようにすら感じる。
ラキルスは、何やら職員らと話しながら大きな荷物を運び入れている。バックヤードの方に移動するようなので、だいぶ距離を空けてこっそりと後をつけてみることにしたのだが、ふと、嫁らしき女性がじーっとこちらに視線を送ってくることに気づく。
(え、気づかれた………?)
いやいや。そんな馬鹿な。
顔もよくわからないくらい距離が空いているというのに、気づくわけがないではないか。
若干ヒヤヒヤしつつも、念のため大分時間を置いてからバックヤードをそろ~っと覗いてみると、黒い動物のようなものを前に、博物館のスタッフらしき人たちとラキルスが話をしていた。
(…あれ何だろう………)
遠いし真っ黒なのでよくわからないが、新しい展示物なのだろうか。
気のせいかもしれないが、スタッフが必死にラキルスに縋り付いているように見える…なんてことを考えながら眺めていたら、突如、嫁らしき女が黒い動物っぽいものを両手で掴んだかと思うと、がばっと縦に大きく開き、そこに自分のアタマを突っ込んだのだ。
開いた部分の上下には、ギザギザと尖ったものが無数についている。
信じられないくらい大きく開いたが、何やら舌らしきびろびろしたものが覗いて見えたような気もするし、ひょっとしてひょっとすると、あれは口なのではなかろうか。
(ひぎゃ――――――――――っっっ!!!!!)
そこに思い至った瞬間、侯爵令嬢は卒倒しかけたが、既のところで辛うじて踏みとどまった。
あんな、あんなの、どう考えたって魔獣ではないか。
魔獣に躊躇なく触れるだけでなく、その口に乙女の顔を突っ込むなんて、あの女はどういう神経をしているのだ。
あんなのがラキルスの嫁だなんて認めたくない。いや、認めるわけにはいかない。
ぶっ倒れそうな己に必死で鞭を打ち、何とか気持ちを奮い立たせた侯爵令嬢は、抑えきれないものを抱えながらも、半ば逃げるように帰路についたのだった。
そしてとうとう、相対する時が訪れる。
社交の場には滅多に姿を現さない公爵家の若夫婦が、ふたり揃って夜会に姿を現したのだ。
ラキルスは、博物館で見かけたあの神経のおかしい女をエスコートしている。やはり、アレが嫁で間違いないらしい。
周囲は、やたらと姿勢の美しい、所作の研ぎ澄まされた女性を初めて目にして、俄かにざわついている。
「え…辺境伯閣下に似ているという話ではなかったか…?」
そういえばそうだった。
長女が言うには、そういう話だったはずだ。
が、見たカンジ、辺境伯閣下の要素は一切見当たらない。
しかし、侯爵令嬢は看破していた。
平然と国王を恫喝するという暴挙に及ぶ辺境伯閣下の神経が、普通のわけがないではないか。
そして、あの女も神経がおかしい。
つまり、そういうところが似ているってことで決まりだろう。
このおかしい女に、あんなに素敵な公爵令息を、すんなり与えてなるものか。
別に離縁させてやろうと思っているわけではないが、降って湧いた幸運をただ享受するのみなんて美味しい思いだけをさせるわけにはいかない。
謎の使命感に燃える侯爵令嬢の近くを、飲み物を取りに来たらしいディアナが通りかかる。
正に通り過ぎようかという瞬間、侯爵令嬢は、わざとディアナにぶつかり、手にしていたぶどうジュースのグラスを傾けようとした。
が。
ぶつかろうとした体は何にも掠ることはなく、傾けようとしたグラスは、何かに固定されたかのように微塵も傾くことはなかった。
よろめいた侯爵令嬢の体を支えるかのように手が伸ばされ、転倒を免れた侯爵令嬢が驚いて顔を上げると、そこには、にっくきあの女の顔があるではないか。
「勝手に触れてしまい申し訳ございません。ジュースはかかっていないはずですが、大丈夫ですか?」
にこりと微笑むディアナの手は、侯爵令嬢が手にしているグラスに添えられている。
これが、空中に縫い付けられているかの如く、力を込めてもびくともしない。ぐぬぬぬと唸りそうなほど力を込めても、ぴくりとも動かない。
「あまり力を入れますとグラスが傾いてしまいますよ?ぶどうジュースは赤ワインと同じで、ドレスにかかると色が移ってしまいますでしょう?」
(だからそれを狙ったんでしょーが!)
憎々しい気持ちを込めて、侯爵令嬢は、ぎりっとディアナを睨みつけた。
「………って、あれ………?」
不思議そうに侯爵令嬢を眺めていたディアナの目に、じわじわと喜色が滲みはじめる。
「もしかしてこれが噂に聞いてたイビリってやつ………?」
「っ!!なっ……!?」
ディアナの声は、無駄によく通る。
それほど大きな声でなくても、周囲にはハッキリと聞こえてしまうのだ。
きっとその声が届いたのだろう。ラキルスが慌てて駆け寄って来る姿が目に入る。
侯爵令嬢は知っている。
ラキルスは、自分の意思が伴わない政略で迎えた妻であっても、絶対に大切にする人だ。
こんな神経のおかしい女だって、妻として迎えたからには何としても守ろうとする人なのだ。
つまり、ラキルスにとって、いまこの場における悪役的存在は、侯爵令嬢の方ってことになってしまう。
(ああ何てこと…!!憧れのラキルス様に、嫁に嫌がらせする性格の悪い女認定されてしまうことになるなんて………!!)
こんなはずではなかったと、侯爵令嬢は絶望した。
顔色はみるみると青ざめて行き、指先はぶるぶると小刻みどころではなく震えている。
「ぁ、あ…の、わわわわたくしっ……っ」
声はカッスカスで、ちゃんと言葉になっているのかも分からない。ただぶるぶると首を横に振って、必死にそんなつもりじゃなかったのだというアピールをすることしか出来ない。
いや。そんなつもりじゃも何も、完全に『そんなつもり』だったわけだが、でも、軽くぶつかって、少しだけドレスにジュースが零れるという軽い事故を、あくまでも不慮の事故として片づけられるレベルのものを起こして、その後ちゃんと謝罪するつもりだったのだ。イビリ認定されるようなものを引き起こすつもりなどは本当になかったのだ。
謝罪ったって、この女に対して申し訳ないと思うことは恐らくないのでパフォーマンスでしかないが、『お詫び』と称して後日改めて公爵家にお伺いなんかしちゃって、謝罪という形にせよラキルスと正面からお話してみたいとか、ちょっと欲が出てしまっただけなのだ。
半泣きの侯爵令嬢を前に、ディアナは目をキラキラさせて嬉しそうに侯爵令嬢を見つめている。
「ディアナ、何があった…?」
駆け寄ってきたラキルスが心配そうな目を向ける。
それだけでも、侯爵令嬢は死にたくなる。
違うのだ。
この女のことは本気で神経がおかしいと思っているが、ラキルスに不快な思いをさせようなんてことは決して!全く!微塵も思っていないのだ。そこだけは真実なのだ。
だというのに、この嫁らしき女ときたら、いらないことを口走りやがる。
「ラキ!ラキ!これが王都のイビ…じゃなくて洗礼ってやつでしょ?わたし初めてなの!だってほら、お義母さま嫁イビリとかしないし!」
(ちっきしょうこのアホ女!ラキルス様の前でイビリイビリ言いやがって!!)
確かにコイツはアホっぽい。完全にアホっぽい。辺境伯家の長女が言ったとおりである。
おまけに神経は絶対におかしい。
公爵夫人は、こんな女が嫁いで来たというのに、嫁イビリなどしないらしい。
さすがラキルスの生みの親。すばらしい人格者である。
心の底から公爵家に嫁ぎたかった。羨ましすぎて今なら血が吐ける気がする。
羨ましさを拗らせて、やらかしてしまったのは自分ではあるのだが、でも、ラキルスに嫌われてでもどうにかしてやりたかったわけでは決してない。そこだけは譲るわけにはいかない。
ぶるぶる震えながら全力で首を横に振る侯爵令嬢から、さくっとグラスを奪い取ったディアナは、それを近くのテーブルに置くと、侯爵令嬢の両手をがしっと握りしめた。
「貴重な経験をさせてくれてありがとう!他は?他にも何かある?遠慮なくじゃんじゃんやっちゃってね!」
顔はニッコニコなのだが、凄まじい圧を感じる。これは腹の底では相当怒っているのだろう。
それはそうだ。この女は、今やれっきとした公爵家の人間なのだ。初対面の、格下の家の小娘から不躾な態度を取られたのだから、腹を立てるのは当たり前のことなのだ。
「も、ももも申し訳…っあり、ませ…っわ、わわわたくし、そんなつもりでは…っ」
目尻には堪えきれない涙が滲みはじめる。
それでも必死に謝罪の言葉だけはと口にしたところで、ラキルスが優しく声をかけてくれる。
「とりあえず場所を移しましょう。侯爵令嬢、本日の付き添いは父君ですか?兄君ですか?」
「すまないラキルス、私だ」
そこに、血相を変えた侯爵令息(令嬢の兄。ラキルスの同級生)が、人を掻き分けながら駆けよって来た。
尋常でなく震える令嬢を支えるようにして寄り添う令息の姿には壮絶なる悲壮感が漂っているが、一方の公爵家の若夫婦は対極と言っていい様子を見せていた。
嫁は今にも踊り出しそうなほどにご機嫌だし、夫はその姿を「やれやれ」と言わんばかりの、でも微笑ましいものを見るような表情で見守っている。
退場していく二組を目撃していた人々は、そんなラキルスの様子に驚きを隠せなかった。
ラキルスはいつも穏やかに微笑んではいるが、末姫の隣であろうとも常にアルカイックスマイルであって、呆れも愉悦も浮かべることなどなかったのだから。
そして、ラキルスのそんな激レアな表情を引き出しているのがこの嫁なのだという事実に、衝撃を受けるしかなかった。
どこからともなく現れたダークホースは、ラキルスにとっては大本命だったという現実を見せつけられたようなものであり、『夫婦の不仲に付け込んで公爵家とご縁を…』なんて目論んでも見当違いでしかないと、誰もが認めざるを得なかったという。
さて。
場所を移した後、侯爵令嬢はディアナに謝罪し、ディアナは、(別に謝ってくれなくても全然構わなかったのだが)こういうのは形式的に受け取っとけっていう認識なので、とりあえず受け取ってみた。
形としては一応丸く収まった後、侯爵令嬢はラキルスにお願いをした。
「ラキルス様、決して何もしないと誓いますので、ディアナ様と二人でお話をさせていただけないでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
一も二もなく了承するラキルスに、侯爵令嬢は少々面食らった。だって自分は、公爵家の嫁に何かしようとしたと解釈されてもやむを得ない女なのだ。警戒されても仕方ないと覚悟していたというのに、こんなにあっさりと了承してもらえるなんて―――――。
「あ、あの…そんな簡単に…その…よろしいのでしょうか?私が奥様に何かするとはお思いにならないのですか?」
僅かな動揺を滲ませながら尋ねる侯爵令嬢にニコリと微笑んで、ラキルスは何でもないことのように告げる。
「貴女に大それたことができるとも思っていませんが、それ以前に、妻は気配を読みますので、余程の手練れでないと何もさせてもらえませんので」
「…気配………」
侯爵令嬢は、すとんと腹落ちするものを感じていた。
だから、ぶつかろうとした体は躱され、傾けようとしたグラスは止められたのかと。
その上、侯爵令嬢が転倒しないように支えてさえくれていた。
(どうにもアホっぽいし、神経はおかしいけれども、それだけの女ではないのかもしれない…)
侯爵令嬢がすっかり戦意喪失していることに気づいているのだろう。ディアナはフレンドリーに話しかける。
「何日か前に博物館にいたでしょ?」
「!」
侯爵令嬢が初めてディアナの見かけたときの、神経のおかしい女認定したときのあれのことである。
あのときディアナは、確かに侯爵令嬢の方をじっと見ていたようには感じていたが、気づかれていただけでなく、顔まで覚えられていたとは思わなかった。
ヤハリこやつ、実はかなり侮れない女なのかもしれない。
「もしかして魔獣に興味があったりする?」
「ありませんわっっ!」
(前言撤回。やっぱりアホ女だわ)
でも
何を言っても大丈夫そうなカンジがするのは、何と言うかこう、割と貴重な存在なような気がしてきてしまうから、不思議なものである。
そして侯爵令嬢は、ディアナに訊いてみたかったことを切り出した。
「あなたは、ご自身がラキルス様のお相手に選ばれた理由をご存じですの?」
そう、侯爵令嬢は知りたかった。
侯爵令嬢は身分も申し分なく、派閥的な問題もなく、婚約者もまだいない。これといった不足があったとは思えないのだが、それでもラキルスの妻に選ばれることはなかった。
侯爵令嬢とディアナの違いはどこにあったのだろう。
その部分がうやむやだから未だ納得できずにいるが、もし納得できたなら、諦めもつくように思うのだ。
「隣国につべこべ言わさないためでしょ?」
ディアナはあっけらかんと答えた。
「―――――隣国…ですの………?」
「そうそう。末姫さまは国のために嫁ぐ決意はしてくれたけど、ラキに未練を残してたものだから、隣国側としてはまあ気分良くはないよね?だけど、隣国は魔獣被害に苦しんでて、うちの辺境伯家からの支援がどうしても欲しいから、公爵家と辺境伯家が縁付けば、隣国はラキにも下手なこと言えなくなるって算段……で…いいんだっけ?…ちょっと違うかもしれないけど、とにかくまあ大体そんなカンジ!」
末姫さまの未練。それはもう仕方がないだろう。
あんなに素敵な人から、ずっとずっと大切にしてもらってきたのだ。気持ちを残さない方が難しいに決まっている。
そして、魔獣に関する支援。それも確かに、辺境伯家以外からは望めない。
王家はこの婚約白紙により、公爵家に借りを作っている。
だから、隣国が公爵家にネチネチ言ってくる可能性があるのであれば手を打たなければならない。そのために最も効果的なのは、今回に関して言えば辺境伯家の名前をチラつかせることに違いない。
「なるほど…。これはもう、そうするしかなかったと言うしかなさそうですわね」
悔しいけれど。羨ましいけれど。
この女のことを認めたわけではないけれども!
この結婚の意味は、納得せざるを得ないだろう。
「ラキルス様が素敵すぎた罪ということですわね!」
鼻息荒く言い切る侯爵令嬢を眺めながら、ディアナは、
「ごめん。ちょっとよくわからない」
と、それは楽しそうに笑っていた。
そして侯爵令嬢も、ついつられて笑ってしまっていたのだった。
離れた位置から見守る男性陣は、ラキルスが「放っておいても大丈夫だ」と言うので、すっかりリラックスしている。
「そう言えば妹が、ラキルスの嫁の刺繍がどうのと言っていたんだが、刺繍は不得意なのか?」
「いやいや逆だよ。妻は凄まじく指先が器用で、どんな図案も完璧に仕上げてのけるものだから、母が入れ込んでいてね。複雑な図案を渡しては刺し上がった端からコレクションに加えてしまって、私には一つもくれないんだ」
「へ~!公爵夫人が認める腕か!そりゃ凄いな」
妻のことを褒められたラキルスは、自分のこと以上に嬉しそうな顔をしている。
「謙遜するとイヤミにしか聞こえないレベルだから、そのまま受け取っておくよ」
同級生でつきあいの長い侯爵令息ですら、ラキルスのそんな表情を見たことはなく、あまりの変貌に目を見張るしかない。
「おまえ変わったなぁラキルス」
思わずしみじみと語ってしまった侯爵令息に、ラキルスも自然と笑みを深める。
「そうだな。妻との生活は新しい経験に溢れていて、年甲斐もなく毎日が楽しくてね」
「へえ…ラキルスでも惚気たりするんだな…。妹にもよ~く言ってきかせておくよ」
「ああ。妻と仲良くして貰えると嬉しいと伝えてくれ」
含みのある表現だなとは思ったものの、何でもかんでも追及すりゃいいってものでもない。世の中には下手に首を突っ込まない方がいいこともあるのだ。ラキルスは、姫の婚約者だった際にそのあたりの嗅覚は嫌というほど磨いているので、ここは敢えてするっと流しておくことにした。
ラキルスにはその部分に触れて来るつもりがないことを察した侯爵令息も、それ以上のことを語ることはなく、侯爵令嬢のほのかな思いはそっと胸の奥に仕舞われることになったのだった。
侯爵令嬢の初恋は実ることはなかったが、ディアナとのこの出会いを経て、
「アホでちょっとおかしいディアナが、あんなに素晴らしい旦那さまから大切にして貰えるくらいなのだから、私はもっと素敵な旦那さまに巡り合えるはず」
という、新たな夢と希望を見出すに至ったらしい。
「自己評価が高すぎじゃないか?」
という言葉を呑み込んだ侯爵令息のそれは、優しさだったのやら呆れだったのやら…。
まあ、辺境伯家に言わせれば『ポジティブな人間が勝つ』そうなので、侯爵令嬢は、きっとそのうち何らかの勝利を収めるんだろう。
それが恋愛方面かどうかは、ディアナ式に言うのであれば「知ら~ん」てカンジだけれども。
『世界には夢や希望が溢れてる』ってことで、丸く収まったことにしておきましょう。




