16. 大人すぎる大人
「あの…あの…イチかバチかってところも、ほんのちょびっとだけあったと言えばあったような気もしないこともないんだけど、でもちゃんと勝算はあったと言うか…」
ディアナは必死に言い訳していた。
ラキルスに怒られたわけではない。
考えなしに突っ走るなと責めてくれればいいのに、失敗したらどうするつもりだったんだと叱ってくれればいいのに、ラキルスは何も言わない。
力なく眉を下げ、瞼は伏せぎみに、口を開きかけたかと思えば、再考し直すかのようにまた閉ざしてしまう。
それが反対に、ディアナの心をざわざわさせる。
だから、何だか黙っていることができなくて、言い訳が口を衝いて出てしまうのだ。
「あの、三男さんの指がラキの傷口に触れただけで、アレは即座に体を移し替えてたから、指の表皮にも移動できるのは間違いないし、いつ剥がれ落ちるかも分からない表皮に移れるなら爪や髪の毛にも移れるはずで、髪の毛なら簡単に体から切り離せるから、体を乗っ取られても追い出せるなって思って…」
目の前で起こっていた事象から導き出すに、次の宿主の体内へは傷口から侵入しているのは間違いなさそうだが、元の宿主の体から離れるにあたっては、傷の有無は関係ないとしか思えなかった。
恐らく、入り込む時も、傷口からじゃなきゃできないということではなく、確実性の問題なのだろう。
ヤツは細菌類ではなく極小の魔獣のはずなので、傷口から血管内に直接入り込んだ場合、白血球や、なんちゃらキラー細胞が戦うにはデカすぎるため、ヤツがアドバンテージを保っているうちに体の支配が完了するのだろう。そして恐らく、支配下に置いてしまえば宿主の体のどこにでも本体を移すことが可能になる。
だが、口や鼻、毛穴などから侵入する場合は、支配が完了するより前に人体の防御反応が有効に働く。くしゃみや鼻水、汗などにより侵入に手間取ったり体外に排出されてしまうリスクを負うより、確実な手段を選んでいるってお話だと考えた方がしっくりくる。
そして、たぶんヤツには、乾燥に弱いとか紫外線に弱いとかいった類の、種の特性的な副因があって、宿主の体外に長時間留まることができず、体を移ること自体にかなりのリスクを伴うのだろうとも読んでいる。
まあ、真実がどうだったのかはもう闇の中なので(※燃やしちゃったから)こじつけに感じる部分があっても、そこは脳筋の限界ということにして、広い御心でもって見逃してやって欲しい。
「それであの…アレが髪の毛の先っぽに逃げるように仕向けることはできそうだったもんだから…その………イケると思っちゃったんです…」
足先の火から最も離れた位置に逃げたいのであれば、逆さ吊りになれば、下に垂れ下がった髪の毛に行くはず。
だから入念に仕込みをした上で、ヤツに体を明け渡した。
そして、ヤツがディアナの体内に入るなり、ディアナは操れる末梢神経や筋組織などを全力で操ってヤツ本体にプレッシャーをかけまくり、ディアナの頭部に逃げるように誘導したのだ。最終的に髪の毛に逃げるしかなくなるように。
ディアナは必死に言い訳?説明?を重ねるが、ラキルスは切なそうな表情を浮かべているだけで、口を開かない。
そんなラキルスの様子に釣られるように、ディアナもみるみる切ないような気持ちに沈んで行く。
(きっとラキ、自分を責めてるんだよね………?)
ラキルスは、自分が体を乗っ取られなければ、ディアナは危ない橋を渡るような真似はしなかったはずだと思っていそうな気がする。
だけどディアナ自身、手放しに賛同して貰える作戦ではなかったことを自覚しているからこそ、必死に言い訳してしまっているわけで、それなのにラキルスが自分のせいだと己を責めてしまったら、ディアナとしては心苦しさばかりが募ってしまうから、むしろ気にしないでくれた方が気持ちは軽くなる。
きっとラキルスはそこまで考えを巡らせているから、口を開けないでいるのだろう。
ディアナの髪の毛のことを気にしてくれているのは、目線などから伝わってきているのに、下手な言い方をするとディアナが心苦しくなってくるだろうから、どう謝ろうか懸命に考えてくれているんだと思う。
優しくていいヤツのラキルスは、すっごくすっごく心配してくれてたはずなのに、安易にそれを口にしない。
ディアナはあんまり深いこと考えないで思ったことをすぐ口にしてしまうけれども、ラキルスは短時間でも最大限考えてから発言するから、きっと「元はと言えば自分のせいなのに『心配させやがって』みたいな上からなニュアンスで伝わりでもしたら、不本意極まりない」みたいなところまで考えてるに違いない。
だから表現を選んで、ディアナを思い遣った言葉を紡ぐのだ。
「―――――頑張ってくれて有難うディアナ」
ラキルスは、ディアナのすっぱり切れたポニーテールの残骸(今や頭に刷毛乗っけてるみたいになっている)に、そっと触れながら、ぽつりと零した。
「髪の毛…こんなに切らなくても良かっただろうに、やり過ぎてすまない。もしあまり伸びてなくても、結婚式は予定どおりに挙げような」
ラキルスは、ただ静かに笑みを浮かべている。
それは、もちろん楽しそうでも嬉しそうでもなく、苦笑でも泣き笑いでもなく、感情を感じさせない笑みで―――――
「ほらあぁっ」
「ん?」
「ラキはそんな風に笑ったらダメなのにぃぃっ」
「え?」
ラキルスは、作り笑いのプロだから
本気出せば、自分の気持ちを隠して笑うことができてしまう。
ホントは心が痛くても、それでも笑ってみせてしまう。
(誰だ。ラキにこんな技を習得させたヤツは。お義父さまか。お義父さまなのか。鉄拳かましていいですか)
だけど、一番に鉄拳受けなきゃいけないのはディアナだ。
ディアナが勝手に暴走しても、ラキルスは許してくれる。
ディアナが気にとめもしないことだって、ラキルスはちゃんと先のことまで考えてるって分かってるクセに、どうしても配慮が及ばない。
そんな自分の至らなさに気づいて、「ダメな嫁だな」とか「このままでいいのかな」とか、すぐ自分を見失いそうになるディアナの心を、「結婚式の予定は変えないよ」なんて言葉で、さりげなく守ってくれる。
そのままでいいよって伝えてくれる。
そうやって、散々ラキルスに負担をかけてるクセに、
ラキルスが気にかけてくれると、何だか嬉しい。
心配かけたくはないのに、心配してもらえると嬉しいのだ。
だからディアナは、矛盾した思いを抱えてどうしたらいいか分からなくなってしまう。
そして、もうおじいちゃんの域に達するほど大人すぎるラキルスは、そんなディアナすらも包み込もうとしてくれる。
ディアナの旦那さまは、優しくていいヤツで…
弱っちいけど、とてもとても大きい人だから―――――。
「わたし馬鹿でごめんねぇ…。ラキは無理して笑わなくていいんだからね?怒っても叱ってもいいんだからね?わたし多分へっちゃらだろうけど、ちゃんと反省するから!ちょびっとずつかもしれないけど学習してみせるから!!」
ラキルスの表情を見ているのが苦しくて、胸の真ん中が何だかズキズキと痛くて、ディアナは自分が思うより動揺しているらしい。
ラキルスの頬をつまんで伸ばしたり、両手で挟んで潰したり、ラキルスの作り笑いを力業で何とかしようと、よくわからない行動に出ている。
ディアナの切羽詰まった様子から、ふざけてやっているわけではないことは伝わってきていたので、ラキルスは抵抗せずにディアナの好きなようにさせていた。
でも、ディアナがあまりにも必死さを滲ませるものだから、だんだん可笑しくなってきてしまって、気づけばふっと表情を緩ませていた。
たったそれだけのことで、ディアナの胸の痛みは嘘みたいに和らぐのだ。
「ちゃんと笑ってくれたぁ!よかったあぁ…」
「いやもう…うーん…。まあいいか…」
ラキルスも何が言いたかったのかよく分からなくなってきて、ただただ込み上げるがままに笑っていた。
この夫婦は、だいたいいつもこんなカンジではあるのだが、一つだけ、ディアナが思い違いをしていることがある。
ラキルスは確かにめちゃめちゃ心配していたし、ディアナが自らを餌に使ったことには血を吐くような思いをしていたわけだが、今回のことでラキルスが自分を責めることはなかった。
何故って、どのみちディアナはやる。
ラキルスが不覚を取ったのは言い訳の余地がないし、ラキルスが体を乗っ取られていなければ他の手段が取れた可能性は勿論あるが、目の前に『赤髪の三男さん』という既に体を奪われた存在がいた以上は、ラキルスがどうであろうと関係なく、ディアナが導き出す最善策はあれだっただろう。
ラキルスがディアナより弱いのは紛れもない事実ではあるが、じゃあラキルスが強かったらディアナは大人しくしているのかと言うと、どう考えたってそんなワケはない。
どう転ぼうがディアナはああだから、もう仕方がないのだと、ラキルスはとっくに割り切っている。
そう、ラキルスの割り切りっぷりは、ある意味ディアナより振り切れている。
姫との婚約白紙の際の割り切り具合から、お気づきの方もいらっしゃることと思うが、ラキルスは一度割り切ったことに関しては、それはもうお見事と言っていいほど綺麗に線引きをする。
だから、ディアナが強くラキルスが弱いのは、もう『そういうもの』なのだ。
そういうものなんだから、ラキルスが自分を責めることもない。
第一、どんなに死に物狂いで努力を重ねたところで、ラキルスがディアナの域に達する日が来るとは到底思えない。ディアナのあれは天賦の才というものだ。コンマミリ単位を狙って射ち分ける技術が努力だけで身につくのなら、少なくとも辺境伯家の人間は誰でも出来ていなければおかしい。
どうにもならないものに気持ちや時間を割くより、自分の長所を伸ばした方が、よほど有意義ってもんだろう。
思い切りの良さだけで割り切っているのではなく、ちゃんと熟考した上でのことなので、ラキルスは揺るがない。
だけど、いくら割り切っているからと言って、何の心配もしないでいられるかは、また別問題なんである。
ディアナの強さは分かっているし、誰よりも信じているつもりだけれども、それでもやっぱり心配なものは心配なのだ。
無茶をする妻を黙って見ていなければならないのは胃が軋む思いだし、一言言いたくなる自分と戦っていたりもする。
でも、たまにやらかしつつも、何のかんの解決に導くディアナを誇らしく思っている。
ディアナが帰って来る場所は、いつでも自分のところであって欲しいと思っている。
だからラキルスは、自分の胆力を磨きに磨く。
これこそ伸ばすべき長所だと思っているし、そして何より、ラキルスが揺るがずに生きていくためには、もうここを強化するのが一番確実で手っ取り早い。何気に切実なんである。
それでもラキルスは、そんな毎日がやっぱり楽しみらしいので
結局、この夫婦はこういうものなのだ。




