15. おかえり
ヤツに体の自由を奪われてるので、どの程度表情に出ているかは分からないが、気持ち的には、ディアナは滝のように冷や汗をかいていた。
矢は計算通りの位置に返ってきたし、ナイフもどんぴしゃのタイミングで落ちてきた。鏃が当たった角度も申し分なく、想定どおりの回転で弾け飛んでくれた。
なのに。
ヤツが、吊るされた状態でも、思っていた以上に活発に動きまくってくれやがったおかげで、ナイフはちろっと掠った程度で、髪の毛はナンボか散っただけだった。
本体のいる位置は切り離されてはくれなかったようで、体の自由は戻ってきていない。
もっとこう、シュパッと!ザクッと!切り落とすはずだったというのに、大掛かりな仕込みが水の泡と化してしまったのだ。
ヤツは、気持ちひとつで宿主の体を操れるっぽいせいか、スタミナが尽きるってことがないらしい。不覚ながらディアナ、ちょっとそこまで読み切れていなかった。
(…いや読めないって…。読める人いないって…)
こりゃマズイ、という気持ちは勿論あるが、こうなってしまった以上、今のディアナに出来ることは、ヤツをディアナの体から出さないように全力を注ぐことしかあるまい。
そして、あとのことは外出しの頭脳(※ラキルスのこと)に託そう。
(ごめんねラキ…。こいつは何としてでもわたしの体内に封じ込めておくから、あとのことはよろしく頼みます~!)
一方、最悪の状態で丸投げされたラキルスは、優秀と称されているその頭脳をフル回転させていた。
体の自由を奪われていた間も五感は生きており、状況は把握できている。見聞きしていたことと数少ないヒントから、最善策を導き出さなければならない。
ヤツは火にばかり気を取られていて、さっき掠ったナイフには気づいてもいないのか、今もぶらんぶらんと必死に暴れて縄を外そうとしている。下手に警戒されずに済んだのは助かったが、いつディアナを吊るしているロープに火が燃え移るか分からない。悠長に構えていられるほどの時間はないだろう。
ディアナが足から吊るされることを選んだということは、この位置から動かないようにすること以外にも、頭が下になる体勢を取りたかったんだろうことが推察できる。
その体勢を取ることで狙いやすくなる部分。
それは垂れさがった髪の毛だ。
ディアナは、髪の毛を切り落とそうとしていたはずだ。
ただ、アレが動くという部分の読みが浅かったのだろう。ぶらんぶらんと揺れることしかできないとしても、不規則に動くその揺れまで事前に計算することは至難の業というか、ほぼ不可能だ。そのへんの位置調整は勘というか当てずっぽうだったんだろう。そして外した、と。
読みそのものは恐らく当たっているのに詰めが甘いというか何と言うか、微妙にやらかすあたりが何ともディアナなのだが、こういう状況下でやらかされると割と致命的だという認識を持ってもらわないと、いつか取り返しのつかない事態に陥りかねず、気で気を病みそうだ。
説教したいのはヤマヤマだが、ディアナの場合は攻撃耐性が強すぎるあまり、当たりが強いと鉄壁ガードが発動してしまい、反対にびくともしなくなってしまうので、説教はあまり効果が期待できない。罪悪感に訴えるのが一番効くと踏んでいるが、今はいったんこの辺のことは置いておこう。
少なくとも、いまのディアナにはフォローする人間がいる。
目論見が外れたということは、ここからはラキルスが託されたターンってことなのだから、夫として全うしてみせなければならない。
(狙いは髪の毛ってことでいいんだよな?つまり、アレの本体は髪の毛にいるんだな?火から遠のきたいのであれば垂れ下がっている毛先の方にいるとは思うが、加減してしくじるわけにはいかないし、ばっさりいくしかないか…)
それにしても、確かにアレは、思った以上に動き過ぎる。
切ろうとしたタイミングで突然ぶらぶら揺れ始めたりしたら、ディアナの体…下手したら顔に傷をつけてしまう。冗談ではない。
髪の毛を掴めば安定はするだろうが、いくらアレが火に気を取られているとは言っても、さすがにアレ本体がいる場所を掴んだら気づかれてしまうだろう。髪の毛以外の場所に移動されたら打つ手がなくなってしまうため、迂闊に触るわけにもいかない。
(何かアレの動きを止める方法があれば―――――)
以前ディアナは、大声で驚かすことでビクッとさせて動きを止めたことがあったが、それはアレにも通用するのだろうか。
いや、そもそも、ディアナのようにハリのあるよく通る声でもなく声量も並なラキルスの声が、取り乱しているアレの耳に届くかどうかすら怪しい。
アレには届かなくても、ディアナ自身に届けば、動きを止めて貰えたりしないだろうか。
そういえば先ほど、操られているはずのディアナの口許が引き攣っていたように見えた。あれは完全にディアナ本人の表情だった。
思い返してみれば、アレがラキルスの体にいたときも、ラキルスの防御性収縮による体の強張りは普通に体に表れてはいなかったか。
(体が強張れば、短時間であれば動きを止められるんじゃ…)
ディアナが驚くことや怖がること、怯むことと言ったら、ひとつだけ心当たりがある。
しかも、ディアナの大がかりな割に詰めの甘い作戦より、よほど上手くいく自信がある。
臆面もなく自惚れていられるくらいには。
「………信頼関係の構築を怠らないでおいて良かったと、心の底から思うよ」
ラキルスは、しみじみと噛み締めるかのように小さく笑った。
「はい?」
「いえ、何でも。三男さん、刃物をお借りできませんか?」
「剣でよろしければ、こちらを」
「ありがとうございます」
ラキルスは、辺境伯家に言わせればスポーツレベルとはいえ、学園で一応剣技も習得している。髪の毛を切り落とすことくらいならわけない。
借りた剣を構えながら、ラキルスはディアナに声をかける。
決して大声ではないが、間違いなく聞こえるくらいの、でも落ち着いた声で。
「ディアナ、こんな魔獣が頻出する場所に一人で放り出されたら、私の寿命は縮まってしまいそうなんだが、まだ帰って来てはくれないのか?」
ディアナは、びくっと体を震わせた後、体を硬直させた。
余韻程度の揺れは残っているものの、不測の揺れが起こらない状況になるだけで十分だ。すぐに硬直が解けてしまう可能性もあるため、ラキルスは躊躇せずに剣を横に払って、ディアナのポニーテールをばっさりと切り落とした。
その瞬間ディアナは、鍛えに鍛えた体幹に物を言わせて、体をくの字に折りたたむようにして上半身を引き上げると、ポケットに入っていた別の折り畳みナイフを取り出して、火のついているロープを切り、はらはらと落ちて行っているディアナの髪の毛めがけて投げつける。
火は、切り落とされたポニーテールの比較的束になっていた部分に燃え移り、全体に燃え広がりながら地面へと落ちていく。
その様子を見つめながら、ディアナは自分を吊り上げている方のロープを切り、力いっぱい木を蹴って、火から少し離れた位置に着地した。
更にディアナは、周囲に若干飛び散っていた髪の毛も、傷のついていない左手でつまんでは、地面に落ちたポニーテールの残り火にくべて、一本残らず燃やしていく。
そして全ての髪の毛が灰になったのを見届けて、念のためブーツの踵でこれでもかと万遍なく踏みつぶしてから、恐る恐るといった様子で、ラキルスの方に振り返った。
ディアナの顔には、気まずそうな色が滲んでいる。
ディアナ自身、決して褒められた行動ではなかったことを理解しているのだろう。
反省云々というよりは、とにかくもう少し慎重に行動して欲しいという思いは強くあるものの、でも、それよりも何よりも、まずは無事に帰ってきてくれた妻をちゃんと迎え入れたいと思ったラキルスは、ゆるく微笑みながら声をかけた。
「おかえり、ディアナ」
ディアナは伏せ気味だった顔を上げ、少し気が抜けたような力のない苦笑を浮かべながら、ゆっくり口を開いた。
「ただいま」
<作者より一言>
今回は何と、ラキルスのターンなのでした。
『弱っちい』と評される旦那さまなので派手な立ち回りはありませんが、
地味に地道に、でも着実にやる男ということで。




