11. 拳で語りましょうか
 
いま、ディアナの腸は煮えくり返っている。
体は熱いというレベルではなく、全身の血液という血液が蒸発しそうなほどに燃え滾っていて、今なら指先から火炎放射くらいできるんじゃないかと本気で思っているほどなのに、頭に血が上るがままに掴みかからずにいられているのは、不思議なほど頭の芯が冷えきっているからだ。
決して冷静なわけではないが、取り乱してもいない。
どこか感情が抜け落ちたような、そんな感覚が近いかもしれない。
「三男さん、意識はある?」
「…っ、はい…。ラキルスさんに怪我を負わせてしまい申し訳ありません…」
よろりと立ち上がった赤髪さんは、ラキルスの腕の傷に目を向け、痛ましげに顔を歪めながら、じりっと数歩後ろに下がり、ラキルスから距離をとった。
ディアナの知っている『赤髪さん』の気配に戻っている。ずっとディアナを睨みつけていた目つきも和らいでいるし、口調からも角が取れている。
赤髪さんの中にいたヤツは、今は赤髪さんからは離れて、ラキルスの中に移ったのだと考えて間違いなさそうだ。
「今までの記憶は?何が起こってたのか認識できてる?」
「意識も感覚もありましたが、自分の意思では体も口も思うように動かせないというか、勝手に動くというか…」
意識があってくれたのは助かった。
それなら多少なりとも敵の情報が取れる。
それに、ヤツが体から離れさえすればすぐに元に戻るってことも、赤髪さんが身をもって証明してくれている。
ラキルスも元に戻せるということだ。
それが分かっただけで、少し感情が戻ってきたような気がした。
「アレにできる範囲ってわかる?三男さんにできることは同じレベルでできるの?アレ自身に何か特殊な力があって、三男さんの肉体では不可能なはずのことができたりは?」
少し冷静さを取り戻したディアナは、とにかくまずは出来る限りの情報を得ようと、赤髪さんに質問を投げかけ続ける。
「特殊な力は、体を勝手に操ってくることくらいですかね…。おそらく、体の本来の持ち主以上のことはできないと思います。とにかくひたすら身を隠そうとしていた印象しかないので、戦いは得意ではないんだろうと思います」
そういえば、体のベースは赤髪さんなのだからそれなりに戦えるはずなのに、ヤツは逃げようとするばかりで、反撃してくる気配は全くなかった。ヤツの力量では不意を突くくらいしか勝ち目がないってことなのかもしれない。
つまり、ヤツには、体のポテンシャルを活かすことが出来ない。
しかも、ヤツの今の体はラキルスである。
『ラキルスに出来ること』が上限なのであれば、ディアナに傷ひとつつけることなど敵わない。
「あと、火祭りのときの様子から推察するに、火が苦手だったりしない?」
「たぶんその通りだと思います。常に火からは距離をとろうとしていました。火祭りも、『近寄る気はないけど、目を離すのも不安だから、ほどほどのところから監視している』といった印象でした」
「じゃあ三男さん、松明の用意をお願いできる?」
「承知しました!」
ディアナのリクエストを受けて、赤髪さんは急いでこの場を離れて行った。
苦手なものを手にしていれば、赤髪さんが再び狙われる可能性は大幅に下がるはずだし、もちろん牽制としても使える。速やかに調達しておくに限る。
現状、ヤツはディアナの敵にもならないだろうが、唯一警戒すべきは、『ヤツが体の持ち主の記憶にどの程度介入できるか』だろう。
もしヤツがラキルスの優秀な頭脳を活用することができるのであれば、正直なところかなりマズイ。オツムでの戦いになったら、九割がたディアナは敗れる。もう少し情報が欲しいところだ。
「ちょいとそこの。ラキの体の方が都合がいいとか言ってたわね?残念だけどウチの旦那さま高所恐怖症だから、ちょっと高いところに上っただけで縮み上がって何もできなくなるんだからね!これで吊るしてあげるから覚悟しなさいよ!」
ディアナは、仕掛けるために手に持っていた足くくり罠を突き付けながら、挑発的な口調でまくしたてた。
だが、ヤツは全く取り乱した様子を見せない。
「この体がどうだかは知らないが、俺は高所に恐怖心はない。吊るしたければ吊るせばいい。吊るしたところでそれ以上のことはできまいよ。おまえとて番の体に傷をつけたくはなかろう?」
カッチーンと来た。
要は、コイツがラキルスの体を乗っ取ったのは、『ラキルスがディアナの旦那さまだから』だと言っているのだ。
たぶんこの場で一番厄介であろうディアナが、自分の旦那さま相手には下手なことはできないだろうと踏んだからこそやったってことなのだ。
すぐに締め上げてやりたい気持ちをぐっと、ぐぐっと、ぐぐぐっと抑え込んで、ディアナは、ヤツの言葉を全力で噛み砕いて、何か吸収できるものはないかを探る。
ラキルスの記憶を辿れるのであれば、ラキルスが高所恐怖症ではないことはあっさりと分かる超サービス問題なのに、ヤツは「知らない」と馬鹿正直に自白してくれた。これはもう『記憶には干渉できない』ってことでいいだろう。
そして、もしラキルスが高所恐怖症だったとしたら相当な恐怖を覚えるはずの事態がさし迫っているというのに、それを全く意に介さないということは、ヤツは、ラキルスの感情からは何ら影響を受けないということ。
つまり感情を共有しているわけでもないということになる。
要するにヤツは、同化しているとか、体から何らかの情報を読み取ることができるとかではなく、単に体を操ることができるダケにすぎない。
今のところ大したことはできないと踏んでいるが、ラキルスの体を好き勝手に使っているヤツのことは許せない。どうにもこうにも許せない。
ヤツには痛い目を見て貰わなければディアナの気が済まない。
そして、ラキルスの体にいても安泰なんかではないってことを思い知らせてやらねばなるまい。
(『旦那さまの体には何もできない』、だあ?いやいや。わたくしめを舐めないで頂きたい)
ディアナは、蝶よ花よと育てられた虫も殺せないような王都のご令嬢とは、ベースが違う。
何せ辺境伯家の教育方針は『何かやらかしたら鉄拳制裁』である。さすがに姉とディアナは女の子特典ということで脳天チョップくらいで勘弁して貰えていたが、兄はボッコボコにされていた。兄が筋肉だるまになるための英才教育という一面もあってのことと理解しているし、立派な脳筋に育った兄はそこに理不尽さを覚えたりはしていないので、何ら問題ない。ないったらない。
そんな教育方針のもと育っているディアナは、教育的指導とあらば、拳を振るうことに抵抗感なぞありはしない。
それが例え、ラキルスであっても。
(だいじょぶだいじょぶ。顔面は狙わないでおくし、内臓を傷つけないようにも気を付けるし、骨折も避けとくから、無傷で済むとはまあ言わないでおくけれども、そのうち綺麗さっぱり治るって。そのうちね!)
尚、ディアナん家では、数日で治るレベルの傷なんて傷のうちに入らない。擦り傷、切り傷、軽い痣はノーカンである。
ディアナはすっと姿勢を正し、乗っ取り犯(※ラキルスの体を乗っ取ったヤツのこと)に向き直ると、静かに口を開く。
「うちは、完全分業制なんです。頭脳労働は旦那さまが、わたしは筋肉だけを担当しています」
突然、丁寧な口調で淡々と語りだしたディアナに、乗っ取り犯は訝し気な表情を浮かべ、警戒感を露わにする。
警戒したところで何ができるわけでもないこんなヤツに、ラキルスの体を好きにされるなんて我慢できない。
「頭脳を欠いたわたしには筋肉しか残っていないので」
ディアナは握りしめた拳を、裏拳の構えでゆっくりと顔の前に掲げた。
「拳で語りあうことにしましょうか。ねえ?皮だけは旦那さま?」
 




