10. ヤツの正体(仮説)
 
ヤツが発した言葉は、現状二つしかない。
『南東の民が、何故ここに』
『だから南東の民は嫌なんだ。血を流さないどころか、近寄ることもままならない』
隣国辺境伯家の長男次男の話では、ここではディアナの家のことは、『あっちの辺境伯家』と呼んでおり、『南東の民』という表現を使ったことはないという。また、ディアナの家の領地を方角で述べるなら、ラキルスが言っていたように『南』にあたる認識だそうだ。つまり『南東』はヤツだけが使う表現ということになる。
少ない情報から考えを巡らせていたラキルスが、静かに口を開いた。
「前後の文脈から言っても、いきなり『流血』がどうのと言い出している部分の違和感が、どうにも強すぎる。あの彼にとっては、それだけ、ディアナの家と流血は切っても切れないということなのかもしれない。ディアナの家で流血に関係することとなると討伐しか思い当たらないが、その相手と言ったら…」
ラキルスは口ごもったが、さすがにディアナとて、言わんとするところを察した。
「え、魔獣ってこと………?」
ラキルスは、そうとしか考えられないと、神妙に頷いた。
それなら『南東の民』という表現にも納得できる部分はある。魔獣に方角の概念があるという前提にはなるが、魔獣の森から見て南東は、完全にディアナの家の領地の方向と言える。
「人の姿をそのまま再現できる種がいる可能性はないか?あの彼が唯一、意味を持って語っているのが血についてだという点に着目してみるなら、『相手が血を流している』という状況自体に意味があるようにも思える。これは単なる思いつきだから真に受けないで欲しいんだが、例えば『血を摂取した相手の姿を再現することができる』、とか」
「うわぁ…めっちゃありえそう……」
赤髪さんは、魔獣と戦って怪我をした後からおかしくなったというお話だった。発熱して寝込むほどのケガを負っておいて、一切の出血を伴わなかったとは考えにくく、その際に血を採取された可能性は否めない。
ラキルスの仮説は、何気に信憑性が高いように感じられてしまう。
「見た目がそっくりなダケで、本人ではなくて魔獣だっていうのなら、遠慮なく討伐するところなんだけど、仮説の段階で仕留めにかかるのはさすがにマズイよね?」
「いやそれは本当にマズイ。私が言ったのは、あくまで可能性として考えられなくはないって程度の話であって、何の根拠もないんだから、間違っても突っ走らないでくれ」
まだ『この説で確定』ってことではないのは承知した上で気になっているのは、もしラキルスの仮説が正しかった場合、どこまで再現できるのかによっても、こちらが取れる手段は変わって来るってことだ。
姿の複製に限ったお話であれば、ただの『そっくりさん』とか、ドッペルゲンガー的なものって割り切ってしまっても、あまり差しさわりないようにも思える。
今のところ、ヤツが赤髪さんの姿でしたことと言ったらオラオラしちゃったくらいなもので、被害らしき被害が出ていないことからも、大して問題がないことが窺える。
だが、姿だけにとどまらず、その能力をも再現できてしまうとしたら。
例えばディアナが複製されて、ディアナばりの攻撃力をも再現されてしまったら。そしてそれを悪用されでもしたら、かなりマズイ。たぶん隣国の人では対処しきれない。
となると、ヤツの再現範囲が確定するまで、ディアナは血を流すリスクを回避しておかなければならないだろう。
近づかずに対処しなければならないとなると、どうにかして気を失わせた後で縛り上げることしかディアナには考えつかない。
遠距離攻撃で気を失わせるって、頭に何かぶつけて脳震盪を起こさせるくらいしか方法がないような気がするのだが、他に何かあるだろうか。
そして、頭への攻撃って、下手したら後遺症を残してしまう可能性があるってことになるわけで、やっちゃっていいものやら判断が難しい。いやうん駄目でしょう。
ああ正体が分からない敵ってイラッとする。
でも大丈夫。ディアナはちゃんと学習している。
ディアナは、目の前で起こった事態にただ対応するダケであれば、本能で最善策を導き出せるのだが、判断に迷いながら「多分こういうコトでしょ」と雰囲気で策を講じると、大概にしてややこしい事態を招く。
だからもう、こういうときは思考を放棄してラキルスに丸投げするに限る。
だってウチは分業制だからね!
ラクしようとしてるわけじゃなくてね!
「我が頭脳ラキ、捕縛方法を伝授してください」
「そうだな…。現状これといった被害が出ているわけではないし、いきなり強硬策に出なくても、まずは様子見でいいんじゃないか?シンプルに生け捕り用の罠あたりからやってみるのはどうだろう」
なるほど。足くくり罠的なヤツなら後遺症の心配もいらないし、かかったら木に吊るされるように仕掛けをかましておけば、即座に罠を外して逃げることは相当困難になる。意外と良い案なような気がする。
この地に何か目的があるのか、単に帰巣本能なのかは分からないが、火祭りの後ここに帰ってきていたという事実からみても、今は一時撤退したとしても、きっと奴はそのうちまたここに戻ってくる。
それなら、罠を張って待ち構えるのはセオリーってものだ。
ということで、
隣国辺境伯領の方々が間違って罠にかかってしまったらいけないので、事前にしっかり領民にも通達してもらった上で、ディアナが選んだポイントに罠を仕掛けておくことにする。
罠は複数箇所に仕掛けることになり、まずはさくっと一箇所目の設置を終えたディアナは、ラキルスと二人で次のポイントへと向かっていた。
隣国辺境伯領に到着して以降のバタバタっぷりから、いつでも魔獣と対峙できるように備えておかなければならないことを痛感したディアナは、今度はしっかりと装備を貸してもらって来た。
ディアナの真骨頂・弓矢はもちろんのこと、手近に投げられるものがないケースに備えるため、ベルトポーチには目いっぱい乾燥豆を詰め、念のためチェーンベルトも巻いてきた。硬いゴツイ装飾のついた髪飾りも再びポニーテールの結び目に装着してあるし、さきほど借りた折り畳みナイフも借りたままになっている。このくらいあれば、まあ大体のケースには対応できるんではなかろうか。
「次の設置ポイントはどうやって決めたんだ?」
「ここは、魔獣が身を潜めやすそうなトコロって観点で選んだ場所で―――――」
ラキルスと呑気に話しながら歩いていたディアナは、突如ざわっと肌が泡立つような感覚を覚えた。
反射的に身構え、周囲を窺おうとした時、
「っ…!」
と、ラキルスが、声とも息を飲む音ともつかないものを発した。
「ラキ!!」
振り返ったディアナの目に飛び込んで来たのは、血の付いた短剣を手に持ち、泣き笑いのような微妙な表情で佇む赤髪の三男と、切りつけられたらしい腕を押さえながら、痛みと言うよりは驚きの方が強そうな表情を浮かべているラキルスの姿だった。
迂闊だった。
火祭りで逃げられたとき、ヤツは遭遇地点からなるべく距離を取ろうとした結果として辺境伯領に戻ってきたんだと解釈していたため、今回もヤツは辺境伯領からは一旦距離を取ったものと思い込んで、まだこの付近に留まっている可能性を排除してしまっていた。
『魔獣が身を潜めやすそうなところ』というディアナの読みは正にどんぴしゃで、ディアナとラキルスがこのポイントに来る前からずっと、ヤツはここに身を潜めていたのだろう。ラキルスが手の届く距離に近づいてくるまで、完全に気配を消して。
ヤツが動き出す瞬間まで、ディアナはヤツの気配を察知できなかった。
赤髪さんには気配を操ることはできなかったはずだし、いまディアナが感じている気配も赤髪さんのものではない。やはりヤツは本物の赤髪さんではない。
そもそも、ディアナがこの距離まで気配を察知できない相手なんて、はっきり言って人間とは思えない。
そうこうしている間に、赤髪さんはラキルスの血の滲む腕をガッと掴んだかと思うと、ぐらりと姿勢を崩して片膝をついた。
その瞬間、ラキルスの気配がガラリと変わった。
―――――今まで、赤髪さんが発していた気配に。
「赤髪のこれよりは、この男の方が都合が良さそうだ。何せこの男は、おまえの番なのだろう?」
「―――――は…?」
口の端を上げてニヤリと笑うラキルスは、ラキルスの顔なのにラキルスの表情ではなく、ラキルスの声なのに、そこに温度はない。
それにラキルスは、ディアナのことを『おまえ』なんて呼ばない。喧嘩したって、取り乱してたって、絶対に呼ばない。
体はラキルスだけど、中身はラキルスではなくなってしまったのだと、ディアナは確信した。
姿のコピーではない。赤髪さんはその姿を保持したまま変わらずそこに跪いているし、位置もラキルスと入れ替わったりしてはいない。姿はそのままに、中身だけが変わってしまった。
これはもう決まりだ。
原理はともかくとして、行われたことはもう間違いない。
今まで赤髪さんの中にいた何かに、ラキルスの体が乗っ取られたのだ―――――。
<作者より一言>
足括り罠の仕掛け方動画(対イノシシ)は一応みました。
人間の匂いがついてしまうと近づいてこないので、
土掘るときも手袋つけなきゃダメなんだそうで。
特に描写していませんが、
ディアナも手袋つけて仕掛けたことにしといてください。
 




