04. どうぞ、おイビリください
ディアナは応接室に通され、ラキルスと二人でお茶を飲みながら話すことになる。
「私たちは既に夫婦ではあるが、いきなり夫婦らしくというのも難しいだろうし、そこはゆっくりやっていきたいと考えている。まずは堅苦しい態度や話し方を改めるところから始めよう。名前も呼び捨てにしようと思うが、それでいいかい?」
「ハイ、構いませんよ」
ディアナが了承したのを受け、ラキルスは少し姿勢を崩す。それでも立ち居振る舞いは美しい。
辺境伯家で姿勢を崩すといったら、ソファの背もたれに寄りかかって両肘をかけるのは当たり前、下手したらソファの上でも胡坐くらいかくのだが、さすがは公爵家。やっぱハイソサエティは何かが違う。
「ではディアナ。手始めに、持ち物について聞いてもいいか?」
「ハイ。どうぞどうぞ」
「使用人が、テントはどうしたらいいのかと聞いてきたんだが、何に使うもの?」
「サバイバルです」
「…うん?」
「だから、サバイバル」
ディアナは、さも当たり前とでも言いたげな様子でさらっと答える。
人間、あまりにも『当然』といったカオをされると、更にツッコむのも何だかおかしいような気にさせられてしまうものであり、それはラキルスも例外ではないようだった。
「じゃあ草は?あれは捨ててしまってもいいのか?」
「それもサバイバルに使うんで、捨てちゃダメです」
「………へー………」
「ハイ」
お上品な公爵家にあっては草にしか見えないんだろうが、それはれっきとした薬草である。
ただの草にしか見えなければ取り上げられにくいと思い、ディアナはあえて薬品ではなく薬草を持参していた。
辺境伯家では、野営の際などに薬草を現地調達することがあるので、薬草の知識は子どもの頃にみっちり叩き込まれている。
公爵領でも、そのへん闊歩して調達するつもりではいるが、いかんせん勝手がわからない。調達できないうちにケガしたりヤバいもの食べさせられたりした場合に備えて、念のため持参したブツである。
公爵家の皆様にはヤハリただの草にしか見えていないようなので、ディアナの読みは的中したと言える。
「…あと、衣類がやたら少ないんだが、別便で来るのか?」
「いえ、あれで全部です」
「ドレスはもちろん公爵家でも作るが、出来上がるまで時間がかかるし…。一つも持ってこなかったの?」
「別にいらないかなって思って」
「なぜ?」
「野ザルはドレスなんか持ってないんだなって、思わせときゃいいかなって」
「………???」
辺境伯領の耳年増のお姉様がたからヒアリングしてきたところによると、イビリといったら、ワインをかけられたり、噴水や池などにつき落とされたりってケースが定番らしい。
イビリが無色の白ワインなわけがない。当然かけられるのは赤ワインだ。赤ワインは簡単には落ちないし、ゴシゴシ洗ったらドレスが傷む。結局、処分するしかなくなるのが目に見えている。そんなもの、最初から要らない。サバイバルに向かないドレスより、頑丈で汚れが目立たないものの方が、実用に耐えるという考えである。
「ああ、そうだ。衣類とあわせて家具なども選び直そう。新居もこれから着工だから、意見があったら言ってくれていいよ」
ラキルスは穏やかに微笑んでいる…のだろうと思うのだが、ディアナには、ただ目じりを下げて口角を上げただけにしか見えず、どうにもこうにも無理して笑おうとしているようにしか思えない。
「無理しないで大丈夫ですよ?私、全然大丈夫なんで!」
「いや、無理とかではないよ。妻を迎えるための費用は十分あるから、安心して欲しい」
ラキルスはディアナが金銭的な心配をしていると思ったらしく、『遠慮はいらない』と伝えようとしてくれているんだろう。
本当は心中穏やかではないだろうに、不本意な嫁にまで気遣いを見せようとしてくれるなんて、大した紳士っぷりだと思う。ありがたいなとも思う。
だがディアナには、
『姫を迎えるために、ずっと前から準備してきたからね…』
という、言外のセリフがくっきりはっきり聞こえてしまったのだ。
元婚約者への未練を滲ませながら、仮面でも装着しているとしか思えない作り物の笑顔を浮かべて、口先だけ『無理していない』とか言われたって、痛々しいったらない。
ディアナは困ったように眉根を寄せた。
「いいのいいの。わかってるから。心おきなくぶつけていいよ!」
「何を?」
「いろいろ!」
ディアナにしてみたら、本心をぶっちゃけてくれた方がむしろストレスがない。
それは、夫となった人に限った話ではない。
だからディアナは、使用人一同を集めて行われた、ディアナ紹介の場でもって、皆々様に向けてしっかりお伝えしたのだ。
「辺境伯家から参りました、ディアナです。私、公爵家の嫁が務まるような玉じゃないことは重々承知してますので、どうぞ、心置きなくおイビリください!」
ラキルスも使用人一同も、ディアナの理解できない挨拶にフリーズするしかない。
「あ、父のことなら心配しないで大丈夫です。バレなきゃいいんで。私が言わなきゃバレないバレない!」
にこっと笑って高らかに宣言したディアナは、小さく握った拳にぐっと力を入れ、
(よしっ!)
と、やりきった感に満たされていた。
「…ディアナ?君は何を言っているんだ?」
いち早くフリーズからの再起動を果たしたラキルスが何とか声を発するが、ディアナはカラッと清々しい笑顔を振りまきながら、
「ですから、イビっていいですよ、って!」
と繰り返した。
「いや、そんなことはしないし、させない」
きっぱりと否定するラキルスに、ディアナは物哀しそうな表情を浮かべる。
「無理しないで大丈夫ですから。気に入らない嫁には、気に入らないって言っちゃえばいいんですよ!モヤモヤをモヤモヤのままにすると、ごはんも美味しくなくなるし。ごはんが美味しくないと、人間イライラするし。ねっ?」
「いや、『ね?』ってなんだ…?」
二人の新婚生活は、前途多難なようである。