07. いらぬ心配、されど心配
そうこうしながらも、ディアナとラキルスは、隣国の辺境伯領へと到達した。
辺境伯領に広がる景色は、普段ディアナの家から見ているそれと大差はないはずなのだが、それでも何だか印象が異なっている。
魔獣の森も、ディアナが日頃見ているものよりも鬱蒼としているように感じるのは気のせいだろうか。見る角度が異なるだけで、そんなに変わるものなんだろうか。
広大な魔物の森の周囲には、もちろん民家はひとつもなく、ただただ草原が広がっている。
魔獣の森から十分に距離を空けたところから濠的な意味もありそうな水田が出現しだし、その先に監視用の櫓と、防御壁も兼ねていると思しき石造りの建物が出現する。
草原は手入れをされていないことが一目瞭然で、人の背丈にも達するほどの雑草が伸び放題になっている。
草が薙ぎ倒されていくことにより何かが接近してきているってことは把握できるんだろうが、迫って来ているものの正体は全く把握できない。
うっかり子供が迷い込んだりする可能性もないとは言えないと思うのだが、めくらめっぽうに攻撃するつもりなのだろうか。
草原は魔獣の森の一部みたいな扱いで、迎撃態勢に入るのは水田に突入したあたりからってことだろうか。
でも、水田には鴨か何か住みついているようで、あっちこっちで稲が不規則に揺れているわ、水音や羽音、稲のそよぐ音が鳴り放題だわで、容易く魔獣の接近を許してしまうようにディアナには感じられた。
防御壁もどきもお粗末に見える。せめて隙間なくみっちりと立ち並んでいれば効果もありそうなのに、ところどころ途切れているのだ。ごく僅かに隙間が…とかいうレベルではなく、完全に道と言えるだけの幅がある。もちろん木戸は設置されているのだが、正直心許ない。
稲の収穫時に荷車などを通したいという気持ちはわかるし、ここに魔獣を誘いこんで一網打尽にしようという戦略的意図もあるんだろうが、ここは袋小路にしておくべきではないだろうか。
もしかして、そもそも防御壁的な意味はなく、家が壊れにくいように頑丈に作っているだけのお話なのかもしれない。その方がむしろ納得がいく。
(う~ん…?イマイチここが最前線って気がしない…)
ディアナの家は、攻めの意識が猛烈に強い。
『攻撃は最大の防御』というヤツである。
がっつり守りを固めるよりも、如何に速やかに魔獣の出現を把握して、どう効率よく仕留めるかに重きを置いている。
好戦的なだけという説もあるが、ちゃんと機能しているから、とりあえずこれでいい。
そうであるからこそ、出現源である魔獣の森の近辺は定期的に野焼きして見渡しが良いようにしているし、魔獣の森の境界付近の木はなるべく切って、入り口付近くらいは見通せるようにもしている。
ディアナの家の辺境騎士たちは、魔獣の森に踏み入ることにも躊躇がなく、入って少々のところまでは馬に騎乗したまま偵察できるくらいには整備もしており、そこそこちゃんとした道が出来ている。
だから、魔獣の森付近の印象が異なるのは当然なのかもしれない。
そんなことを思いながら、櫓から魔獣の森を眺めていたディアナは、魔獣の森方向からこちらに向かって、草原の草が一直線に掻き分けられていっていることを確認した。
ディアナはすぐさま櫓から飛び降りると、田んぼの畦道を走り出す。
「ディアナ!?」
驚いて声をかけるラキルスに、ディアナは振り返りながら指示を飛ばした。
「魔獣出現!二時十一分四十八秒の方向から、分速およそ二千二百メートルで接近中!ラキは警報鳴らしてもらって!」
「え、分速!?」
「そう、すぐ来るよ!あのスピードは魔獣で間違いないから、こっちの辺境伯家の人に武器持って集まってもらって!わたしは時間稼いどくから」
ちゃんとした武器も持ってないクセに先陣を切るディアナに、さすがにちょっと思うところはあるが、でもそれがディアナなので、ラキルスは言葉を呑み込んだ。
ディアナを止めようとするよりも、武装した騎士に速やかに駆けつけてもらった方が、たぶん被害は最小限に食い止められる。
そう割り切ってしまわなければ、ディアナの夫はやってられないのだ。
警報が鳴り響き、武器を持った辺境騎士が続々と集まる中、石壁の外にディアナが出ていると聞いた隣国側の辺境伯家の面々は、血相を変えてラキルスに詰め寄っていた。
「は!?奥方!?自分の妻を一人で魔獣の元に向かわせたのか!?あんた何を考えてやがる!!」
掴みかからんばかりの隣国辺境伯家の面々に、ラキルスは冷静に告げた。
「私では妻を止められません。滅多なことではやられはしませんが、大した武器は持っていないはずなので、どこまで持ちこたえられるかは不透明です。ですから早く援軍をお願いします」
隣国辺境伯家の騎士たちが石壁の外に走り出てみると、草原の手前の田んぼの畦道に、乗馬服らしきパンツルックに身を包み、長い髪をポニーテールにした細身の女性が、一人立っていた。
手には武器らしき武器は持っていないにも関わらず、逃げようとする気配がないどころか、怯えている様子も全く見られない。
その向こう、草原と田んぼの境界付近に、黒い中型の魔獣がおり、「ガルルル…」に近い唸り声のようなものを上げているが、襲い掛かって来ようとはしない。
睨み合っているようにも見えるが、その実そうではないということに、ラキルスは気が付いていた。魔獣の両目が開いていないように見えるからだ。
おそらく、既にディアナに目を潰されている。ディアナだったらそのへんの小石で事足りてしまうことを、ラキルスは知っている。
大勢の人間が近づいてくる足音が聞こえたのか、魔獣がピクリと反応した。
前足を動かそうとしたようだが、すぐさまディアナがひゅっと右手を振り、前足に小石を当てる。左足を下げようとすれば、下手投げのようなフォームで地面を這うように小石を投げ、左足に当てる。仕留められるほどの威力はなくても、「動いたら攻撃するぞ」という牽制には十分なっているようで、魔獣は動くに動けずにいるようだ。何せ既に視覚を奪われている。下手に動いたら、次に奪われるのは聴覚か嗅覚かと、魔獣とて思うものなのだろう。
「ごめんラキ、何か投げられそうなもの持って来てー!このへんの石、全部投げちゃったー!」
「ええ!?わかったけど、それまで凌げるのか!?」
ラキルスは慌てて自分の周囲にある小石を集めはじめるが、隣国辺境伯家の騎士たちは、
「…石…?」
と、ポカンとした顔をしていた。
その時、今までほとんど動かなかった魔獣が、突如として猛然とディアナに襲い掛かってきた。まるで、ディアナの言葉を受けて、反撃の機会は今しかないと理解しているかのようだった。
「っ!!ディアナ!!」
顔面蒼白になるラキルスを前に、ディアナは落ち着いた様子で、髪飾りに手を伸ばした。髪飾りは、残念ながらアクセサリー風に加工したお洒落ナックルというわけではなかったが、見るからに硬そうなゴツイ飾りが付いている。
基本的にディアナは、身に着けるものは機能性重視なのだが、機能性云々を求めにくい装飾品の類には、武器として転用可能なものを選ぶ習性がある。もはや本能がそうさせるのだ。
魔獣は前足を高く掲げると、鋭い爪を斜めにすばやく振り下ろしてきた。
ディアナは身を捩ってスレスレで躱すと、人差し指と中指の間に髪飾りの留め具部分を挟みこんで親指で固定しながら拳を握り込み、髪飾りの飾り部分を当て込むようにして、魔獣の眉間に全力で打ち込むと、すぐさま魔獣から距離を取った。
ぐらりと揺れた魔獣の体が、どさっと地面に崩れ落ち、ぴくりと少し痙攣した後、動きを止めた。意識を失ったように見える。
ディアナは魔獣から目を離さずに、
「武器持ってる人、あとお願いできますかー!」
と、声を張った。
はっと我に返った隣国辺境伯家の騎士たちが慌てて駆け寄って来る中、ディアナは魔獣から目を離さないまま少しずつバックで下がり続け、騎士たちがディアナの横を通り抜けて行ったのを見届けてから、くるりと向きを変えてラキルスの許へと帰ってきた。
「わたしはパワー系じゃないから、ナックル使う機会なんてないと思ってたけど、やっぱ備えは必要なのかな~?ねえラキ、指輪に見せかけたナックルとか作れる?チェーン型のベルトとか常に身に着けておくのもいいかも」
ケロッとした表情で、あっけらかんと物騒な話をするディアナは、もちろんかすり傷ひとつ負ってはいない。
あの状況下でも落ち着き払っていたディアナの様子から、何とかできる目算が立っていたんだろうとは、ラキルスとて察してはいた。
でも、わかってはいても、危険に晒されているディアナを何もできずただ見ているだけというのは、とても歯痒いし、なかなかにしんどい。
とっくに割り切ったつもりでいたのに、それでもやっぱり相当しんどい。
無言のラキルスに気づいたディアナが、ラキルスの顔を覗き込む。
「ラキ?どしたの?」
ラキルスは、くしゃりと顔をゆがめると、ディアナの肩にこつんとおでこを乗せ、ゆっくりとディアナの背中に腕を回した。
「―――――ラキ………?」
向こう見ずな妻を諫めたいのか、危険を顧みない行動を咎めたいのか、ラキルスも気持ちの整理がつかない。
言いたいことは山ほどある気がするけれども、きっとそれは結局はラキルスのエゴであって、魔獣と対峙しなければならない辺境という環境で育った人間のアイデンティティに関わる部分だろうという、意地で働かせた理性でもって、ラキルスはぐっと言葉を飲み込んだ。
どうにかこうにか自分を宥めたラキルスは、呟くように一言だけ口にした。
「無事で 良かった」
ディアナは少しだけ目を丸くすると、くすぐったそうに目を細める。
何だかこそばゆくて、胸がほわほわして、ディアナは冗談でもかまして笑い飛ばしたいような気持ちになったが、
でも、それは何だか今やってはいけないことのような気がして、素直な気持ちだけ口にすることにした。
「うん。心配してくれてありがとう」
ラキルスは何も言わず、きゅっと腕に力をこめてディアナを引き寄せると、頬をすり寄せるように少しだけ動かして、ディアナの髪に顔を埋めた。
ディアナも、「ラキルスの背中に手とか回してみちゃおうかな…」なんて、少しだけ思ったりもしたのだが、それはディアナには大それたことのような気がしてしまって
今は、ただ静かに身を任せてみるだけで、ディアナには精一杯だった。




