04. 妙な方向からでも伝わるものはある
ディアナは全くもって納得がいかない。
隣国は、文字どおりお隣である。
辺境伯家同士が隣接しており、ディアナん家の領地から一歩足を踏み出せば、そこは隣国である。
だけど、辺境伯領を走る国境線を越えることはまだ認められていないんだそうで、入国審査など正式な手続きが行える場所を経由する必要があるとか何とかで、隣国に入国するには物凄い遠回りをしなければならないらしいのだ。
すんごいアホらしい。
「技術支援の前に、そっちやるべきじゃない?だって隣だよ?実家から見えてるよ?」
「それはごもっともだが、いつ魔獣に襲われるかもわからない場所に検問所を作れば、その管理は結局のところ辺境伯家がやるしかなくなるぞ?出入国の審査やら検疫やら…やりたいか?」
「ごめんなさい無理でした…」
たった一歩のことなのに、正式な出入国というのは、とてつもなく面倒くさいらしい。あ~やだやだ。
ディアナん家は、勝手に国境線を越えてくる不法入国者が極々稀にいた場合に、問答無用で追い返しとくくらいがちょうど良さそうだ。
そもそも、辺境の国境が、壁も検問所もなくなあなあになっているのは、魔獣の森の側を通りたい人間がキホンいないということと、魔獣がどっちの国の領土に出没したのかを曖昧にしたい(できれば向こうで倒して欲しい)という、主に隣国側の下心があってのことらしい。
まあ、このへんキチキチやろうとすると、魔獣対応に苦心しているその他各国ともギスギスしてくるらしいので、ディアナん家は全然このままで構わない。
ということで、遠回りの長旅をしながら隣国入りしたディアナ・ラキルス一行は、まずは王都に向けて進んでいた。王族の正式訪問ではないので式典や歓迎パーティーは開かれないものの、王族との会食などは予定されているらしい。
入国した瞬間から、待ち構えていた隣国のコーディネータが、必要な手続きやら宿の手配やら手厚くフォローしてくれて、もちろん王都までの道のりも甲斐甲斐しくお世話してくれて、観光名所やおススメスポットの案内も抜かりなく、至れり尽くせりの新婚旅行を満喫していた。
主にディアナが。
「これはライン下りと申しまして、激流をカヌーで下るという体験型アトラクションと申しましょうか…」
「やります!」
「そうだな」
「こちらはジップラインと申しまして、高所に張られたワイヤーロープを滑車を使って滑走するアトラクションのようなものと申しましょうか…」
「やります!!」
「…うん」
「こちらはバンジージャンプと申しまして、高所から飛び降りるスリルを味わうというアトラクションと申しましょうか度胸試しと申しましょうか…」
「やりますっ!」
「……やるのかぁ……」
「こちらは」
「やりま~っす!!」
「いや、まずは聞こう?内容を聞こう?」
当初の目論見どおり、ディアナはラキルスを巻き込んでアクティブに動きまわってはいるが、ラキルスの若々しさを引き出そうとしているというより、ただ単に自分が楽しんでいる感が否めない。
「楽しいねラキ!ね!」
ディアナの中では、『ヒヤヒヤハラハラ』は『ウキウキワクワク』と同義語なので、もう、あれもこれも楽しいしかないのだが、もちろんラキルスはそうではない。
「ライン下りは順当に楽しかったし、ジップラインも風を切る感覚が思いのほか心地よかったし、自分が高い場所に恐怖心を覚えないことが分かったのも収穫ではあったけど、バンジージャンプは普通に寿命が縮まったかな……」
ちなみに、レッツバンジーの際、案の定と言えばいいのかラキルスが叫び声をあげることはなかった。「あははは~」と能天気な笑い声をあげる怖いもの知らずな妻の手前、情けないから堪えた…とかいうことでは全くなく、身も心もカッチコチに固まっていて、声にならなかっただけのことではあるが。
王都のハイスペ・イケメンも、現実はこんなカンジである。
「うわあぁぁん!ごめんなさいぃぃぃっっ!神様ラキを連れて行かないでぇぇぇっ!ラキは苦労ばっかだから現世に悔いありまくりですぅぅぅっっ」
「え、うん。………あれ………?」
突然激しく取り乱しはじめたディアナに、ラキルスは面食らった。
バンジージャンプの順番待ちの最中には、色んな濁音が混じった絶叫を上げる人、足腰立たなくなる人、号泣しすぎて息も絶え絶えになり介抱される人などが散見されており、ほとんどの人が恐怖におののいていたのは明白だった。
だから、ラキルスにしてみれば、この状況下における「寿命が縮まった」なんてコメントは、何の変哲もないありふれたものでしかない認識だった。
それなのに、ディアナがこんなにも過剰に反応するなんて、想像してもみないことだったのだ。
そしてふと、ある可能性に思い至る。
(もしかして日頃から、『いとも簡単に死にそう』だとか、不安な思いをさせているんだろうか…)
なぜならラキルスは、ディアナからしてみたら、どうにもこうにも『弱っちい』のだから。
「大丈夫だよディアナ。辺境だったら微妙なのかもしれないけど、王都で生きて行く分には、私レベルであってもそうそう滅多なことじゃ死なないから。…でも、心配してくれて有難う」
「そんな風に言ったらダメなんだよぉぉぉっ」
穏やかに微笑みながら、もう完全に死亡フラグとしか思えないようなことを述べるラキルスに、ディアナの涙腺は崩壊した。
死亡フラグがチラついたことが主因ではない。
ディアナは気づいてしまったのだ。
ディアナはまたやらかしたのだ。
また、自分の価値観だけで突っ走って、ラキルスの意向を慮ることなく、自分の気持ちを押し付けてしまった。
ラキルスはただ優しいだけでなく一度心を決めたらジタバタしないから、本当は死ぬほどビビっていたって、ディアナが突き進むのなら付き合おうとしてくれる。ディアナを止めるよりラキルスが寄り添うことを選んでくれる。
そのことが、ラキルスの寿命を縮める事態を招いたのであれば、それはもう本末転倒ですらない。ただ単に『ディアナの所為』である。
ちゃんと反省したはずだったし、気を付けてるつもりでいたのに、性懲りもなくまたやらかしてしまう学習能力のなさが、ディアナは本当に情けない。
そして、ラキルスの若々しさを引き出すどころか寿命を削るような真似しかできない自分が口惜しい。心底口惜しい。
脳筋の脳が筋肉でできていると言うのなら、筋肉鍛えんのは得意分野のはずだというのに、何で結果ださないんだ脳の筋肉!今こそその実力を世に見せつけ給えよ脳の筋肉!!
(※ただ今ディアナは大変取り乱しております)
一方、子供のようにびーびー泣くディアナを眺めながら、ラキルスは、若干ズレはあるにせよ、ある程度察していた。
基本的にディアナは、自分が攻撃される分にはびくともしないのに、自分の至らなさで周囲を傷つけてしまったかもしれないと感じたときは相当落ちる傾向がある。
だからきっとディアナは、自分が楽しいと感じることをラキルスと共有したかっただけなのに、それがラキルスに過度なストレスを与えるという結果を招いてしまったことに、少なからず打ちのめされているのだろうと。
そうでなければ、さすがにこの年齢になってびーびー泣きはしないだろうと。
そして、もうひとつ。
敏いラキルスは、もう気づいていたりする。
「―――――ラキルス殿、奥方は何故泣いておられるので…?」
隣国の王都に到着したラキルスとディアナは、隣国の王太子に出迎えられたのだが、その場でもまだディアナは涙を引っ込ませることが敵わず、口を火山みたいな形にして声を堪えるだけで精いっぱいだった。
「えーと…私が弱いから、でしょうかね……」
苦笑したような表情でラキルスが口を開くと、『弱い→ってことはぽっくり逝きやすい』的な短絡思考でもって、再び言いようのない不安に支配されてしまったディアナは、場に配慮することなく泣き声をあげた。
隣国の王太子のことは、脳筋にありがちな『昨日の敵は今日の友』扱いにより既におトモダチ感覚だから、取り繕う気がないという面も、まああるとは思われる。
「わ―――ん!!ラキ死なないでぇぇぇっ」
露骨な表現は一応してこなかったディアナが、はっきりと『死なないで』と口にしたことで、ラキルスも、自分の読みとディアナの内心がさほど乖離していないであろうことを確信し、相変わらずのディアナの暴走思考にある意味感心しながらも、終始気持ちは温かかった。
「どうも、『こんなに弱いと、いつ死んでもおかしくないんじゃないか』と思われているようでして」
くすりと小さく笑みを浮かべながら説明するラキルスを、隣国の王太子は不思議そうな表情でまじまじと見やった。
「それにしては、其方は随分と嬉しそうに見えるが?」
ポンポンと優しく背中を叩いてディアナを宥めながら、ゆっくりと顔を上げて隣国の王太子の方を振り仰いだラキルスは、それは穏やかな落ち着いた表情で、しみじみと噛み締めるように口にする。
「―――――こんなにも死んでほしくないと思ってくれてるんだな、という方向に解釈してしまったもので」
「…なるほど?」
確かにラキルスは、ディアナに比べたら弱い。それはもう否定のしようがない。
だが、いくらディアナの中に自己嫌悪が渦巻いているにしたって、ラキルスは今まさに死にかけているわけでもなければ、命の危機に瀕しているわけでもないというのに、『死ぬかもしれない』という可能性を感じたダケのことで、ディアナは耐えきれずに泣いている。
それだけ失いたくないと、失うことが怖いと思ってくれている。
それはつまり、そういうことだろう。
「愛されているのだなラキルス殿」
「はい。自惚れてますが、そう思います」
その涙に秘められた思いを、きっとディアナ本人は気づいていないんだろうが、さりげなく見え隠れする深層心理を、うっかり見落とすようなラキルスではない。
ラキルスは誰よりも、ディアナのことをよく見ているのだから。
戦いに関しては一分の隙もないくせに、こういうところはこんなにも単純でわかりやすい…なんてところに可愛げを感じているあたり、ラキルスもなかなかどうして肝が太かったりする。
愛なんか求める気もなければ注ぐ気もなかったはずのディアナの、こんな変化を実感しては、笑みを深めずにはいられないラキルスがいるのだった。
<作者より一言>
ディアナが取り乱して「脳筋の脳が筋肉なら…」と言っている部分は、
作者自身が「脳筋は、脳の筋肉も筋トレで鍛えられるんじゃ?」
みたいなことを考えたことがあったので採用してみたものです。
そもそも脳筋の脳も筋肉じゃなかった…。
きっとあのとき作者は疲れてたに違いない…。ええきっと…。




