03. 落ち着きと老成は紙一重
ディアナは話し合いを完全シャットアウトして、ずっと、ラキルスが喜びそうなことを考えていたのだが、候補がひとつも思い浮かばないうちに、話し合いの方が決着していた。
そしてラキルスは、何故か新婚旅行を勝ち取っていた。よくわからない。
よくわからないが、やっぱりディアナの旦那さまは出来る男ってことなのだろう。
まずは一仕事終えて、王都の公爵邸に戻ってきたディアナとラキルスは、「今日はもうお茶でも飲みながらゆっくり過ごそう」ということになった。
さっそく、ラキルスを慰労するお時間がやってきたのだ。
「お疲れさまでした旦那さま。わたしは何もしてないことだし、肩くらい揉ませていただきます~」
「ありがとうディアナ。私も肩が凝るようなことをしたわけじゃないんだけど、せっかくだからやってもらおうかな?」
これといった慰労方法が思いつかなかったディアナは、困ったときはド定番ということで、とりあえずマッサージをしてみることにした。
ラキルスも、せっかくの厚意を無下にすることもなかろうと、素直に受け取ることにした模様である。
言うまでもないような気もするが、ディアナは握力が強い。
走りながら弓を射っても手元が狂わないのは、体幹の強さや指先の調整だけでなく、弓を固定する握力もあってのことである。
だが、脳筋丸出しに馬鹿力でゴリゴリやるかと思いきや、そこはディアナ。緻密なコントロールを成しえる繊細な指先の持ち主である。
痛めつけるつもりであれば、罰ゲームに使われるような激痛なツボを全力でぐりぐりやっちゃうだけだが、癒したいと思っているのなら、ちゃんとそのようにも出来るのだ。
(う~ん…このへん老廃物がたまってるな~…リンパに流し込んどきますか~)
(このへん冷えてるねぇ…。書類仕事が多いからか血流があんまり良くないんだろうなあ…)
(眼精疲労がある気がする…こめかみをほぐしておくと、頭もスッキリすると思うんだけど…)
ディアナは頭が良いとは言えないが、戦いに身を置く人間として必要な知識はちゃんと習得している。
遠征中に負傷した場合、自分で適切に処置できなければ命に係わるケースだってあるのだから、医学的な知識だってそれなりにある。
繊細な指先と実践的な知識を組み合わせたマッサージは、まさしくゴッドハンドだったのだ。
「力加減いかがですか~?もうちょっと強めにいっちゃいますか~?ヘッドマッサージもいけますよ~。脳みそ破壊したりしないんでご安心くださ~い」
「―――――…。…え、あれ…?」
まだ学生に毛が生えた程度のはずなのに、バリバリに国の仕事に関与しているラキルスは、自覚はなくてもちょっとお疲れモードだったらしい。ゴッドハンドに導かれて、いつの間にかウトウトしていたようだ。
「体も軽くなってるし、頭もすっきりしてる…。いやこれ凄いな……。ありがとうディアナ。もしディアナの負担にならないなら、またやってもらえると嬉しい」
感心したように呟くラキルスに、ディアナは飛び上がって喜んだ。
「え、ほんと?わ~いやったあ!」
思いつきでちょちょいとやったことだったので、まさか喜んでもらえるとは思っておらず、ディアナはちょっと感動していた。
ラキルスを癒したり喜ばせたりすることは、ディアナにだって、案外できるのかもしれない。
まだ知らないことも多いから分からないだけで、ちょっとずつでも知って行くことで、他にも沢山見つけられるかもしれない。
俄然モチベーションが上がったディアナは、次にできそうなことを早速聞き出すことにした。
ディアナはちょび~っとずつ『王都の貴族とは』を習得していってはいるが、脳筋の名残が色濃いというかバリバリ現役というかなので、わからないことはストレートにぶつけてしまう傾向がまだまだ根強い。
『さりげなく』なんて高等技術を習得できる日が訪れるかどうかは、あんまり期待しない方が良さそうだ。
「ねえねえ訊いていい?ラキの楽しみってなに?」
「楽しみ?―――――そうだな…日常、かな?」
ずばり訊いてみたディアナに、ラキルスはほぼ即答で答えたのだが、それはディアナには、あまりにも味気ないものに感じられた。
「………日常………?」
「うん」
「なにそれ嘘でしょ……?」
「いや?毎日が楽しみだよ」
ラキルスはケロリとしているが、ディアナはかなりの衝撃を受けていた。
だってこんな、『何もなくてもただ毎日が楽しみ』なんて、日々新しい経験をして成長していく過程にある幼い子供しか言わない気がするのだ。
ラキルスは、公爵家の嫡男として必要なことを身に付けるために、本当の自分を押し殺して、幼少期から必死に努力を重ねてきている。
ディアナにしてみたら集中力を高めるための修行でしかない『瞑想』なんてものを趣味にするしかないくらい、他のことに興味を向ける余裕もないほどに、『必要なこと』だけに邁進してきている。
きっと、幼少期の、『くだらないことこそが楽しい』っていう経験が乏しいせいで、その歪みが今になって出てきているのだ。
加えて、ラキルスのあの落ち着き払いっぷり。
もう、人生の酸いも甘いも嚙み分けてしまって、『何事もない平凡な日常こそが一番幸せ』みたいな、おじいちゃん的な境地に至ってしまっているとしか思えない。
『姫との婚約→白紙撤回→婚約すっとばして結婚』なんて激動の人生を歩んでいるラキルスが、幼子か老人かで言ったらどっち寄りかなんて、脳みその筋肉比率がべらぼうに高くたって分かる。『1+1』分かる人なら誰にでも分かる。そりゃもうどう考えたっておじいちゃんだ。
(え…ちょっと待って、もしかしてラキって、このままじゃヤバいんじゃない…?)
生きる楽しみは煩悩だ。普通に考えたらそうに決まっている。
ディアナなんて食べて暴れる以外なーんも思いつかない。
それがないなんて、落ち着いてるとか大人びてるとかいう次元じゃない。
これはもう、『老成している』と言っちゃうのが正しい気がする。
「ラキ、ほら、もっとこう…あるでしょ?鴨肉とか鹿肉とか魔獣肉とか」
「ああ食べ物?好きなメインは白身魚かな…」
「うわあもう…どうしてここで、歯がなくてもイケそうなメニュー言っちゃうかな…」
いや、白身魚はディアナも大好きだ。
少量を舌の上で味わいながら頂く繊細さは、神経が研ぎ澄まされるカンジがして趣深くもある。
だけどディアナは、ラキルスが落ち着き払った発言を重ねに重ねてくる度に、何だか心配ばっかり募ってくるのだ。
さっきだって、ちょっとマッサージしただけでウトウトしていた。どう考えたって草臥れている。精神のお話だけでなく、肉体も間違いなく草臥れている。
極論だということは重々分かっているつもりだけど、何故だか、あの世がじりじり迫って来ているような錯覚に陥ってしまうのだ。
「ラキ、あの、新婚旅行、楽しみだね?ね?きっと美味しいものがあって、見たことのない…なんだろ景色?景色とか?あるかも。ね?」
「そうだな。ディアナが楽しみにしてくれてるなら良かった」
にこりと微笑むその顔は、あの微笑みの仮面では決してなくて、ちゃんと心から微笑んでくれているのは分かるのだが、なんだろう覇気が足りないというか、生命力が足りないと言うか…。
これはもうあれだ。強制的に微笑みの仮面を引っ剥がしたときと同じように、強制的にアクティブに動くしかない状況に追い込むしかない。ディアナの力で、ラキルスの若々しさを引き出してみせよう。
そして、幼少期にできなかった『くだらないことを思いっきり楽しむ』という経験を、今からでもいっぱいいっぱいしてもらって、色んなことに興味を広げてもらって、ラキルスに瞑想以外の趣味を持ってもらおう。
それがディアナも一緒に楽しめるものだったら、言うことナシではないか。
そう、これはディアナに課せられたミッションみたいなものなのだ。
「何かアクティビティ的なことやりたい!ね!やろうね!一緒に!」
「もちろん」
「絶対だからね!ラキも一緒にやるんだからねっ」
「うん」
「くだらないとか言うのナシなんだからね―――――!」
「わかった」
思考が明後日に飛びやすいディアナは、くすくす笑うラキルスが心から楽しそうな表情をしているという、ちょっと見れば直ぐに分かるようなことを、簡単に見落としてしまう。
ラキルスが楽しみにしている『日常』のベースにはディアナの存在があるということに、当のディアナが気づける日は、ちょっと遠いかもしれない。




