02. 代理交渉と言えば
「辺境伯閣下は、お越しにならないのだな…」
隣国の王太子殿下が、ぽつりと呟く。
「お会いになりたかったですか?本当に?ひとつ失言したら死に直結しますが?私は可能であるならば、このままずっと会いたくないです」
我が国の王太子殿下が、死んだ表情で呟き返し、隣国の王太子殿下が思わず固まるのを傍目に見ながら、ラキルスは、
(いや、圧が半端ないから誤解を招きやすいけど、あのお方はちゃんと人格者で、失言くらいなら怒りもしないんだが…)
と心の中では反論しつつ、口には決して出さずにいた。
辺境伯家の内幕は下手に語らないに限る。
隣国との何回目かの交渉の席に、ラキルスは『辺境伯家の者』として出席していた。
ディアナも一応同席してはいるが、役割は牽制のみだときっちり自覚しているので、基本的に最後まで口を開かないつもりでいる。残念ながらアホ寄りのディアナではあるが、こういうところは弁えていたりするのだ。
「大変申し訳ございません。義父は、辺境伯領を離れている間に魔獣が思わぬ動きをすることを大変警戒しております。魔獣は人間の都合など考慮してはくれませんし、その点はご理解いただけましょう?どうしてもということでしたら、辺境伯領までご足労いただきたく存じます」
にこやかに語るラキルスに、隣国の王太子は若干口ごもった。
「あ、いや、ラキルス殿が辺境伯家を代表してご対応いただけるということであれば、こちらは勿論それで結構だ」
このへん、我らが辺境伯閣下から「俺に会いたいなら呼びつけるんじゃなくて来い」と言われたと告げれば、ロイヤルな面々は退くであろうことを確信していたラキルスによる脚色であり、これも腹芸のうちである。
我が国は、魔獣を討ち漏らしたことのない鉄壁な辺境伯家がそびえ立っているおかげで魔獣そのものに対する恐怖心が非常に薄いが、隣国は違う。
魔獣に散々な目にあわされている隣国の王太子は、魔獣がガンガン出没する『辺境伯領』という地そのものに怯えている。可能な限り近づきたくはないはず。
そして、我が国の王家は、辺境伯閣下の逆鱗に触れることを恐れている。魔獣より遥かにそっちの方が恐ろしいのだ。王家の威光が通用するラキルスが代理として立ってくれるのであれば、それに越したことはないと思うはず。
だから、この形に落ち着くというわけだ。
こういうの、辺境伯閣下には出来なかぁないのだが心底面倒くさいから、ラキルスに丸投げるのである。
ちなみにラキルスはそういう世界に育ってきているので、涼しい顔して行う。事もなげに行う。
王都における『好青年』は腹芸も込み込みでのものなので、スマートに口から出任せてる分には、何らマイナスポイントにはならないらしい。
ぼ~っと聞いていたディアナだが、聞いているだけの身であっても思うところはある。
(………なんか、辺境伯家との交渉から隣国との対話まで、ラキが一人でやってる気がするんだけど…)
ディアナも、さすがにその歪さには気づいたが、この場でそれを口にするほど空気が読めないわけではない。
(せめて帰宅後に慰労しよう…)
だけど、こういうとき辺境だったら塊肉一択なのに、ラキルスは辺境伯家で塊肉が出てきたとき、咀嚼に苦労している間に満腹中枢が刺激されてしまい、然程食せていなかったということを、ディアナは既に学習していた。
公爵家では柔らかくて一口サイズなお食事が主流であることは、ディアナも日々美味しく頂いておりもう分かっているので、ラキルスが喜ぶのが塊肉じゃないだろうことは察しているが、じゃあ、何がいいものやら。
(…よし。この話し合いの間の、わたしの裏テーマは、『ラキが喜ぶ慰労方法をひねり出すこと』にしよ)
牽制のためにだけいるディアナは、有益な話し合いの一助になろうなどとは一切考えていない。いや、むしろ口を開いたらラキルスの邪魔になる気がするから、挨拶以外はしないつもりでいる。
更に、腹芸のできないディアナは、下手に反応しちゃう可能性を排除するために、話を聞くつもりすらない。この場で関係ないこと考えるのは、ラキルスへの援護射撃なのだ。間違っても暇つぶしではないのだ。
「技術トランスファーをとのお話ですが、我が辺境伯家も、ごく普通の剣や槍、弓などを使用しており、特殊な武器を使用しているわけではありません。弱い私が申し上げるのも烏滸がましくはありますが、技も一般的なものかと。ただし、精度や威力が桁違いではあります」
淡々と語るラキルスの言葉に、我が国の王太子殿下が目を丸くする。
「弱い…?ラキルス、学園の成績は剣技も体術も良かったはずではないのか?それに先日の狩猟大会では優勝したとも聞いているが」
「ええ。妻には信じて貰えないでしょうが、こう見えても騎士団に入団した子息と張り合っていたんですよ。でも、我が辺境伯家にかかれば、学園の剣技や体術など只のスポーツにすぎず、私など赤子と大差ありません」
「―――――赤子………」
本当にそうなのかと言いたげに、両国の王太子殿下がちらりとディアナの顔を窺う。
ディアナは、自分に視線が集まったことはもちろん認識しているが、話はばっちりシャットアウトしていたので、反応は返せない。
それが反対に、両王太子殿下には、『何をくだらないことガタガタ言ってやがる』と言わんばかりの冷めた反応に見えたらしい。
二人揃ってそっと視線を外し、口を閉ざした。
ちなみにその時ディアナが考えていたことと言ったら、
(ラキって何が好きなんだろう…。食べ物は好き嫌いしないし、本は小難しいのばっかで楽しくて読んでるってカンジじゃないし、ファッションはセンスはいいけど身だしなみの範疇でやってるようにしか感じないし、趣味は瞑想でしょ?…ええ~…?難易度高くない………?)
てなことである。
尚、ラキルスの瞑想は、『無になることにより、あらゆる雑念を振り払う』というストレス解消法であって、趣味というわけではないのだが、趣味とストレス解消法が直結しているディアナは、そこに違いがあろうとは思いもしない。
「私の所感にはなりますが、我が辺境伯家の者は、とにかくスタミナが違います。ですから、技術トランスファーと言ったら、まずは平常時の訓練方法ということになろうかと思います」
「確かに、特殊な武器や有効な戦略がないということであれば、兵の地力を上げるしかない気がするな」
ラキルスの意見に、同意を示す我が国の王太子殿下。
魔獣に有効な特殊アイテムか何かがあることを期待していた隣国の王太子としてはガックリではあるが、兵力の底上げも必要なことではある。
「私も辺境伯領で基礎訓練になら参加したことがありますが、全身おかしな筋肉痛で悶え苦しむしかなくなりました。まずは基礎をこなせるようにならないことには、技術的な訓練にはついていけないと思います」
ラキルスがそうコメントした瞬間、ディアナがふっと小さく、苦笑したかのようなリアクションをした。
「……………」
生粋の辺境伯家の人間に、『何を当然のことを』と言わんばかりの反応を返されては、都でのうのうと暮らしているロイヤルズには返す言葉がない。
だがもちろん、ディアナは全く関係ないことを考えている。
(そもそもラキって、ちゃんと笑うこと自体が少ないよね?ほら~。あんな薄ら笑いばっかしてるから~…)
ラキルスは、『ディアナは絶対に、この場には関係ないことを考えているな』と察していたが、特に不都合はなかったので、敢えてそのままにしておくことを選択した模様である。
「基礎訓練の内容でよろしければ、私でもお教えすることは出来ると思います。私は時間の自由も利きますので、お伺いして指南させていただくことも可能です」
「良いのか?それは是非お願いしたい」
すると、ディアナがふにゃっと悲しそうな顔をした。
(だいたい、趣味が瞑想って…。瞑想なんて楽しくてやるものじゃないよね?そんなの趣味にするしかないなんて、ラキってば楽しみが少なすぎじゃない…?)
ディアナの表情を誤解した隣国の王太子は、慌てて提案した。
「新婚早々、ラキルス殿が長期に家を空けるのは、奥方には淋しいことだな。では、新婚旅行を兼ねて、奥方もご一緒に我が国にいらっしゃってはどうだろうか。費用はもちろん私共にて負担させて頂くので」
「それは有難いお言葉です。王太子殿下、そういう形でよろしいでしょうか?」
「うむ。奥方もそれでよいか?」
「―――――」
また視線が集まっているのは分かっているが、ディアナは引き続き聞いちゃいなかったので、スルーを貫いている。
「ディアナ」
「あ、ハイ」
「この通り妻も了承しておりますので、よろしくお願いいたします」
何かよくわかんないが、ラキルスがどうにかしてくれたに違いないので、とりあえずディアナはへらっと笑って頷いておいた。
何のかんの辻褄を合わせてくるのが、この夫婦なのだ。
こうして、ディアナとラキルスは、隣国への新婚旅行をタダでゲットした。




