29. 油揚げ掻っ攫って行く鳶ですが何か?
帰りの馬車の中。
ディアナは気づいてしまった事実に、一人モヤモヤとしていた。
隣国が和睦に踏み切ったのは、端的に言ってしまうと、ディアナの家が魔獣を追い返したからである。
つまり、ラキルスと姫の婚約が白紙になったのは、辺境伯家の所為ということになるのでは…?
しかも、隣国から流れて来る魔獣と、ついでに自領に出没した魔獣を、隣国に送り返しまくっていたのは、概ねディアナだ。
そもそもの発端は隣国側だし、父の命令でやったことではあるのだが、実行犯を務めたのは間違いなくディアナなのだ。
ディアナが魔獣を追い返しまくらなければ。
あそこまで徹底的に追い返せる腕がなければ。
隣国の魔獣被害は壊滅的なレベルにまでは至っておらず、我が国との和睦に舵を切ることはなかったはず。
そうしたら、ラキルスと姫の婚約は白紙になることはなかったはずなのだ。
(つまり、わたしが二人の婚約をぶち壊したってことだよね…)
ラキルスは怒ることはないだろう。
「姫との婚約に思い入れはなかったから、謝る必要はない」と言うのだろう。
「隣国の王太子が『姫じゃなきゃ嫌だ』とかゴネることなど、辺境伯家には予測できようはずもない」と言ってくれるのだろう。
でも、姫を迎えるためにラキルスが努力を重ねてきたことは間違いないし、その覚悟も決めていたはずなのに、それを狂わせたのはディアナなのだ。
姫にしたって、姫自身には何の落ち度もなかったんだから、完全にとばっちりでしかない。それでも、国のために自分の気持ちを押し殺して嫁ごうとする姫の姿勢は尊いものだ。
気持ちの踏ん切りがまだついていないのは惜しいところではあるけれど、「やっぱ王太子との結婚は嫌だ」とかゴネ出したワケでもない姫に対して、「責任感の欠如」だとか辛辣なことを、よくもまあぬけぬけと。
そして、ぜひ気のせいであって欲しいものだが、姫から見たらディアナの自作自演に見えてる気もするわけで…。
つまるところ、ディアナの方が余程、人でなしな気がするのだ。
そんなディアナが、よわっちいけど出来る男でいいヤツな旦那さんを、しめしめと言わんばかりに掻っ攫っていくのって、どうなんだろう。
なんというか、人として。
だって、王子か何か知らんが、
あの隣国の王太子より、ラキルスの方が絶対にいいとディアナは思うし。
ひとり悶々と考え続けていたディアナに、正面に座っていたラキルスがふいに問いかけてきた。
「ディアナは、姫に遠慮してるのか?」
「―――――え」
ディアナがはっとして顔を上げると、ラキルスは静かにディアナを見据えていた。
今のディアナのこの葛藤は、ラキルスに気持ちを残している姫に対する申し訳なさみたいなものがなければ、覚えていないような気がする。
王命であってさえ、姫の前では何となく居直りにくいなと思ってしまうのは、それはつまり―――――
「そう…なのかも…」
自分でも合点がいったのか、ぽつりと零したディアナに、
「公爵家では遠慮がないから、遠慮そのものを知らないのかと思ってたのに」
と、ラキルスは小さく独り言ちた。
「姫の態度は、『私が一番大切でしょう?』とでも言いたげな、妻のディアナに対して失礼なもののように私は感じた。自分の夫が、他の女性から変なちょっかいかけられてるっていうのに、毅然とした態度を取るとか、余裕をかますとかならともかく、遠慮して縮こまってるなんて、ディアナらしくないんじゃないか?」
ラキルスは少し咎めるような口調ながらも、怒っているわけではないのは伝わってくる。
姫への後ろめたさから、自分らしさを見失っているディアナを、もどかしく思っているのかな、なんて、都合よく解釈しすぎかもしれないが、そんな風に思えてくる。
でも、何かそれが正解なような気がして、いつも通り笑おうとしたディアナだったが、思っていた以上にへなっとした何だか情けない表情になっていることを、ディアナ自身も感じていた。
それを見ていたラキルスは、苦笑を滲ませるように目許を綻ばせる。
「ウチの奥さんは強いのに、こういう主張は弱いんだな」
チクリとつつきながらも、瞳はただただ優しくて。
やっぱりラキルスは、ディアナのダメなところまでも包み込もうとしてくれているように感じる。
うん。ディアナがそう感じるんだから、本当にそうなんだろう。
「…頼もしくなったねぇ」
「ディアナの旦那さんは弱っちいけど、こう見えて出来る男だからね」
少し元気を取り戻したディアナに、優しく目を細めたラキルスは、冗談交じりにそう告げた。
そして、微笑みながらも、少しだけ真面目な色を纏わせる。
「私はディアナの、強いはずなのに動揺しやすいところも、落ち込むときは天国から地獄くらいの激しさで落ち込むところも、好ましいと思っているよ。妻に迎えた人がディアナで良かったと、私自身がそう思っているから、これからの未来、手を携えて一緒に生きていこう?」
真っ直ぐに『未来』だけを語るラキルスの言葉は、決意を込めているように思えて。
柄にもないと思うけれども、ディアナの胸は少し震えた。
王命で結びついた二人には、この結婚に、本人たちの意思はない。
だから少しだけ、気持ちの置き場所に迷ってしまう部分もある。
それはディアナだけでなく、ラキルスだって、そうなはず。
だからこそ、ラキルスはこうして気持ちを見せようとしてくれている。
ディアナが、表面上だけじゃなく内側も晒してくれないと信頼関係は築けないと言ったから、ラキルスはその言葉に応えて、ディアナにしか見せない表情や態度を、カッコ悪いとか弱っちいとか散々な言われっぷりなのに、それでも隠すことなく見せてくれている。
信頼関係を築いていく意思があるということを、誠心誠意示そうとしてくれているというのに―――――
(それなのに、わたしがこんな体たらくじゃダメだよね…)
ラキルスが姫に「妻を大切にする」って宣言した姿を見ていたはずのディアナが、姫に変に遠慮して一歩引いてたりしたら、ラキルスだって不貞腐れたくもなるってもんじゃないだろうか。
だったらディアナは、
棚ボタでも、油揚げ掻っ攫って行く鳶でも、堂々としていていいんだと思おう。
(うん。それでいいことにする)
開き直った瞬間に、ディアナはふっきれた。
こうなったら、もうびくともしないのがディアナである。
「そうだね!苦労性な旦那さんの矢面に立てるように、強い奥さんが一緒にいてあげないといけないよね!」
「うん。強いのに直ぐ凹む奥さんが、凹まないでいられるように、弱っちい旦那さんも、支えられるようにならないといけないな」
より一層逞しくなろうとしているディアナを、ラキルスは朗らかに見守っていた。
その表情は、どこかホッとしているように見えた。




