26. <閑話>隣国の嘆き
今回は隣国王太子視点の閑話です。
読まなくてもお話はつながります。
隣国の王太子は、己の護衛から事情を聞きながら、戦慄を覚えていた。
「ラキルス氏の奥方に、我が国の辺境伯領がどんな目にあったのか、ほんの少しクレームを言いたくなってしまい、声をかけようとしたところ、一切の気配もなく背後を取られ、瞬きする間にねじ伏せられていた。息の根は辛うじて止まらないが声は出せないという絶妙の力加減で首をしめられ、カツラのことも何故か見破られていた」
こちらから持ち掛けた和睦であり、更に、王太子の婚姻相手についてはこちらの要望を全面的にのんで貰っているというのに、『何てことしてくれやがった』というのが王太子の率直な思いであった。
唯一の救いは、『声をかけようとした』だけであって、実際には声すらかけていなかったことだ。
迫りくる辺境伯家の人間への恐怖から、『思わず何を思っていたのかを打ち明けてしまった』とのことだが、どんなことを考えていようとも、実際にはまだ何もやっていないのだから、一種の妄想のようなものに留まっており、さすがに罪に問うことは難しいだろう。
これで両国の関係に角が立つのは不本意極まりないので、シラを切り通そうなんてことは思っていないが、向こうから一方的に責め立てられて「和睦の件はなかったことに…」なんて事態にも陥らないはずだ。
何とか穏便に、なあなあな形に落ちつけたいところであった。
赤毛の辺境伯家令息も、穏やかな表情で護衛を諭していた。
「あのとき彼女は、三発の玉と数えきれないほどのフォークを私に向けて放った。その全てが私に命中している。あの距離から、間にあれだけの人間がいながら、一発も外していない。
しかも、彼女は気配を操っている。王太子殿下への挨拶のときと先ほどとでは、別人と言えるほどに気配が違った。あんなことができる人間は、我が国にはいない。完全に次元が違う。あちらが寛大な態度を示してくれたから五体満足なだけであって、イヤミひとつぶつけるべき相手ではないと肝に銘じなければならない」
この世界のどの国であっても、『辺境伯家』にとって魔獣を封じ込めることは、何よりも重んじられる最優先事項である。
他家との結びつきよりも何よりも、戦力維持が優先される。
それなのにあっさりと他家に嫁に出しているということは、『ディアナは重要な戦力ではない』ということを意味していることになる。
隣国側からしてみたら、ディアナの強さは尋常じゃないとしか思えないというのに。国を代表する戦力だと言われても無条件で納得できてしまうほどの、鮮やかな手腕だったというのに。
かの辺境伯家は、あんなに普通の、頼りなさげに見える女性ですら、このくらいは当たり前だとでもいうつもりなのか。
彼女くらいの腕の女性なんてゴロゴロいるから、彼女一人他家に出したところで、痛くも痒くもないということなのか。
つーか、女子であのレベルなら、男子はどんななんだ。
当主の辺境伯に至っては、王から覇王かのように評されていた記憶があるのだが、どれほどの強さだと言うんだ。いっそのこと実は人間ではないと言ってくれ。
(本気で、あの家はやべえ)
本当は王太子だって、今回の和睦に、自分の婚姻に、思うところはあった。
国内であれば選べたはずの相手が、他国ともなればそうもいかない。
こういう言い方は何だが、身分は高いが何か問題を抱えた、要するに売れ残りを押し付けられる可能性だってある。いくら国のためとはいえ、それはあんまりだ。
だからせめて、姫君を望むくらいは許されてもいいはずだと思ったのだ。
未婚の姫には既に婚約者がいるとは聞いていたが、こちらは別れさせろとまでは言っていない。婚約の解消を選択したのは、あくまで向こうの忖度なのだ。
姫が元婚約者に未練を残していることは一目瞭然で、こちらも無理を言った自覚はあるし、気持ちは察するけれども、それでもやっぱり面白いわけはない。
だが、元婚約者・公爵令息ラキルスは、噂に聞いていた以上に懐の深い男だった。
あの、いつ何を仕出かすか分からない、生けるトラブルメーカーとしか思えない嫁に自由に振る舞うことを許すなんて、それだけでも相当勇気がいるはず。自分だったら如何に何もさせないかに全力を注ぐところだ。
だがラキルスは、「自分らしくあれ」と背中を押し、フォローも尻拭いも自分の役目として、泰然と構えている。いや、いっそのこと楽しそうに笑っている。あの嫁に、あの家のどこに、楽しさを見出せると言うのだろう。俄かには信じられない。
あんな男、やっかむなと言う方が難しいではないか。
でも、もはや絡む勇気すらない。
ディアナは王都の公爵家で、国に、都に、そして隣国に、睨みをきかせている。
国際問題も含めて何かあれば、特にラキルスに何かあれば、一瞬で妻であるディアナの耳に入ってしまう。
口封じなどできない。
ディアナの口を塞げるだけの腕がある人間など、隣国にはいない。
ディアナひとりが対処に乗り出しただけでも、おそらく隣国は為す術がないだろう。
そして、間違いなく辺境伯家にも話が伝わってしまう。
国境で警戒すべきものが、魔獣だけではなくなってしまう。
魔獣ですら手に負えないというのに、あの家は魔獣どころではない。
女コドモですら、やべえ。
『姫の婚約者だったラキルスが、最終的に妻に迎えた女性はディアナだった』という現状から慮るに、今回の和睦にあたって、王太子の許に嫁ぐ予定だったのは本当はディアナだったのではないだろうか。
かの辺境伯家と縁を結びたかったのは紛れもない事実だが、彼女だけは無理だ。自分にはとてもじゃないが御しきれない。
「姫を」と望んでおいた自分のファインプレーに心の底でガッツポーズをかましながら、王太子は、ここから先は下手に下手に生きることを誓った。
王太子の勘違いや思い込みが混ざっている部分はありつつも、
こうして隣国は、知らず知らずのうちに無力化されていたらしい。
当然、ディアナはそんなこと知る由もない。
<作者の独り言>
この閑話部分は、はじめは25話の一部でしたが、
25話が長くなりすぎたので、一度は削ってボツにしていました。
隣国の王太子が何かすることを期待してくださった方がいらっしゃったので、
「彼はこういった心境でもって外野に徹してます」ということをお伝えするべく、
閑話として復活させました。




