25. 隣国辺境伯家の失策
そもそも今般、隣国が我が国との和睦に舵をきった理由は、隣国の魔獣対策の失敗にあった。
隣国の辺境伯家は、辺境で魔獣を食い止めることができず、魔獣被害は他領にまで広がってしまっていた。
が、国境をまたいで隣接しているディアナの家は、魔獣の出現数は大差ないというのに、辺境伯領内で完全に魔獣を食い止めているというではないか。
どんなに手を尽くしても仕留めきれない魔獣を、すぐ隣では、さくさく仕留めている。出現箇所があと数メートルずれてくれていれば、あっち向きに進んでくれていれば、コイツの相手はお隣さんがしてくれたというのに。
そこで隣国の辺境伯家は、ディアナの家に魔獣を仕留めてもらえばいいと考えるに至った。
出現した魔獣を国境方面に追いやりつつ、『国境を越えてしまえば他国の領土になるので手が出せない』と不可抗力を装って、ディアナの家に魔獣を押し付けたのだ。
最初のうちは黙って仕留めていたディアナの家も、調子に乗ってバンバン魔獣を押し付けてくる隣国の辺境伯家に、やがてブチ切れ、報復に出た。
押しやられた魔獣はもちろんのこと、ディアナの家の領内に出現した魔獣をも、隣国の辺境伯領に向かうように徹底的に誘導したのだ。
自業自得ではあるが、倍の量の魔獣に襲われることになった隣国の辺境伯領は、壊滅的な状況に陥る。
赤髪さんは辺境伯家の人なので、この事態を目の当たりにしていたと言う。
一匹追いやったと思ったら、凄まじい勢いで追い立てられて直ぐに戻されて来る。何なら数匹引き連れてくるときもある。
魔獣の森から外に出て来たばかりの魔獣と、攻撃されて命からがら逃げて来た魔獣では、魔獣の必死さが恐ろしいまでに違う。追い返されて来た魔獣の方が格段に凶暴なのだ。凶暴なのが倍量で襲ってくるのだ。
自分たちの失策に気づいた隣国辺境伯家は、すぐに魔獣を国境方面に追いやることを止めたが、時すでに遅し。ディアナの家は、報復の手を緩めてはくれなかった。
昼も夜も気の休まることのない赤髪さんは、不眠に陥った。更に過度のストレスから円形脱毛症までも発症する事態に陥ったとのこと。
王太子の護衛の領地にも魔獣が入り込み、酷い被害を受けたという。
護衛は、休暇を取っては自領の魔獣対策にあたっていたが、実際に魔獣に対峙してみると、あまりの強さに苦しめられ、更におどろおどろしい姿も相まって、トラウマを植え付けられてしまったという。
そして彼もまた、過度のストレスから円形脱毛症を発症し、王太子の護衛として、メンタルの弱さを表しているかのような姿を晒すわけにもいかないため、カツラを着用するに至ったのだという。
そうして、ディアナの家の強さと恐ろしさが、隣国中に轟き渡っていった。
このままでは、国中に魔獣が溢れかえってしまう。もうこれ以上、ディアナの家から敵視されるわけにはいかない。
辺境伯家から泣きつかれた隣国の王家は、和睦に舵を切った。
もちろん隣国の辺境伯家は全力で和睦に尽力した。「誰のせいだと思ってるんだ!」なんて国民からの暴言も粛々と受け止めた。そんなの魔獣とディアナの家に比べれば恐るるに足りなかったらしい。…何故かな。
そうして無事に和睦が成ったことにより、ディアナの家も、とりあえず自領に出現した魔獣は自領で倒すことを了承した。もうちょい手伝ってあげるかは、今後の交渉次第といったところだった。
ここ、隣国にとっては凄まじく重要なことだったのだ。ここに亀裂が入ってしまったら、魔獣被害は今後もそれなりに続くことになる。
(その話、聞き覚えがあるな……)
ラキルスは、辺境伯閣下から聞いた話を思い返し、『あのさらっと聞いたエピソードが、実はこんな大事に発展していたとは』という驚きと、自分の嫁が他国に与えた影響の大きさに、密かに肝が冷える思いだった。
(あー!あったね!お父様がキレたやつ!)
ディアナにも勿論、その件は覚えがあった。
ただ、仕留めるときは1本の矢で済むが、追い返すときはかなりの本数の矢が必要になるので、鏃の回収が面倒だったな、という印象があるだけで、やったことはディアナ的には大したことない認識だったのだが。
「件の辺境伯家の者だというご令嬢が目の前に現れて、それが思いのほか普通のご令嬢だったものだから、きっと自分の家がやったことで我が国がどんな事態に陥ったのかも知らず、のんきに新婚生活を満喫してるんだろうなと思うと、ほんの少しでもいいから、こちらの苦しみも認識しておいて欲しいと思ってしまって…」
護衛が言うには、だが。
ディアナの家に対して苦々しい気持ちはあれど、勝てる相手ではないし、国際問題の引き金になるつもりもないので、何かしてやろうなんて考えは全くなかった。
だが、辺境伯家の出だというそのご令嬢は、上品な装い(ラキルスのセレクト)に、しっかりとした所作(これは実力)の、完全な淑女(?)だった。
隙だらけ(わざと)だし、話し方は物凄く自信なさげ(リスだかルスだかレスだか問題のせい)で、大人しさがにじみ出て(!?)いる。
あの辺境伯家の出だからと言って、ご令嬢までもあの恐ろしさなわけではないのだと感じたのだという。
―――――大いなる勘違いである。むしろ元凶の一端である。
「このご令嬢なら、ちょっとしたイヤミくらい胸に留めておいてくれるのではないか。一度そう思ってしまったら、溜まりに溜まった鬱憤を抑えきれなくなくなってしまった」
だが、王太子の御前で、他国の貴族にイヤミなど言えるわけがない。
護衛という職務上、王太子の側を離れるわけにもいかない。
だから、少しの間だけ、誰かに護衛任務を替わってもらおうと考えた。
ちょうど、王太子の護衛を任せられる実力の持ち主が使節団にいる。
しかも彼は円形脱毛仲間。他国に円形脱毛を晒すのもどうかと思い、今回はカツラを着用してきている。カツラを交換すれば、簡単に入れ替わることもできる。護衛を交代するには王太子に理由を述べないわけにもいかないが、こっそり入れ替わってしまえば理由も説明しないで済む。
天の啓示だと思ってしまったんだそうだ。
ディアナ的には、イヤミなんて鳥の鳴き声くらいにしか感じないので聞いてあげればよかったってカンジなのだが、既に会場内を騒がせてしまっているし、何の説明もしないで『ちゃんちゃん』ってわけにもいかないだろう。
ここはもう、代表者同士ででも話つけて貰った方が、丸く収まる気がする。
もしかするとディアナも、騒ぎを起こしたことの責任を問われたりするのかもしれないが、まあ、やっちまったもんは仕方がないので、そこは諦めて受け入れよう。
ラキルスが何とかしてくれると言ってたので、いくらなんでも命を取られるようなことにはならないだろう。
『あわよくば魔獣の越境討伐あたりで勘弁してくれないかな』とか、密かに画策してみるディアナであった。