16. そんなヤツはいない
姫とラキルスの婚約白紙のことは、他人の傷口に塩を塗ってるような気分にさせられるので、こう見えてディアナも、はっきり口にすることは憚られていた。
が、さきほど何気に口にしてしまったし、ラキルスの様子も思ってたより傷に染みてるカンジもしないしで、もうこの際がっつり訊いてしまおうと、ディアナは意を決して切り出した。
「大切にしてた姫との婚約を強制的に白紙にされたんだから、いくら国のためとはいえ、ラキだって傷ついたでしょ…?」
ディアナは内心ハラハラしていたのだが、ラキルスは不思議そうな表情を浮かべているだけで、傷ついてる様子も、無理している様子も、ディアナには全く感じ取れなかった。
「姫との婚約は政略的なもので、私としては義務でしかなかったから、肩の荷が下りたというか、気が楽になったかな」
ラキルスは、ディアナとしては思ってもみなかったことを、大層あっさりと、何でもないことのように言ってのけた。
「ラクに…?」
「ああ。私の言動ひとつで、王家が不利益を被るかもしれないと思うと、日常生活の些細なことすらも気を抜けないというか、勝手にプレッシャーを感じてしまって、息苦しく思っていたんだ」
ラキルスの家は何代も前の王弟の血筋なんだそうだが、今の王家とは親戚という距離感とは程遠く、もはや単なる一臣下でしかないという。
ラキルスとしてもそんな感覚しか持っていないところに、姫との婚約。
栄誉に感じる前に、ラキルスが何かやらかしたら、それがそのまま王家の評判に繋がってしまうんじゃないかという強迫観念のようなものの方が強く、とにかく品行方正に振舞うことで武装していたらしい。
「でも大切にしてたんでしょ?辺境でも耳にするくらい有名だったよ?」
「相手は姫なんだし、臣下が丁重に扱うのは当然だろう」
「ええ…?…あれ…?」
ちがう。想像してたのと、なんか違う。
姫に対する思いが薄いというか…温度が低いというか…。
(あれ?おかしいな…。大切と丁重って同じ意味だったっけ…?)
「突然、婚約が白紙になっただけでなく、すぐに辺境伯家のご令嬢と結婚しろと言われたことに驚きはしたけど、そういう役割なんだなと思っただけで、傷ついてはいないよ」
やけにあっさりし過ぎているラキルスの態度に、それはそれで衝撃を受けてはいるのだが、『ディアナに気を使って、本当の気持ちを押し殺して言ってくれてるのかも』とは、何故だかちっとも思わない。
そのくらいの信頼は、ディアナの中にも生まれているらしい。
「わたしてっきり、ラキは姫に未練タラタラなんだと思ってた…」
ぽそっと呟いたディアナの言葉に、ラキルスは苦笑を浮かべる。
「我ながら薄情だと思うけど、姫に思い入れはないんだ。本音を言うなら、重責から解放されて、ただただホッとしてる」
ディアナには別の種類の重責を感じるけどね、と言いながらも、確かにラキルスは肩の力が抜けているように感じた。
「もうなにそれ…。紳士的な好青年はどこ行ったの?」
呆れと、ほんの少しの安堵が入り混じった、なんとも力の抜けた声になってしまったディアナに、ラキルスは何ら気負うことなく淡々と言ったのだ。
苦笑を消し去り、さっぱりとした表情で。
「そんなヤツはじめから居ないよ」
―――――その言葉は
ディアナにも少しだけ分かる気がした。
生まれる家は選べない。
例え、他人から見たら羨望の的でしかない家であっても、本人が望んでそこに生まれたわけではない。
ただ皆、生まれた場所で生を全うするだけだ。
ラキルスはきっと、はじめから優秀な人間だったわけではないのだろう。
公爵家の嫡男として求められるレベルに達するために、ひたすら努力を重ねて、地道に築き上げて、今に至っているということなんだと思う。
それは、本人の意思がどこうとか向き不向きがどうとかではなく、『やらなければならなかったこと』で、ラキルスが根本から好青年だったかどうかは関係がない。
そうならざるを得なかっただけなのだ。
運が良いことに、ディアナが持って生まれた能力は辺境伯家としては好ましいものだったし、ディアナ自身、辺境伯家のお役目に適した思考回路の持ち主でもあった。得意分野に邁進させてもらえる環境にあった。
だから、ディアナは大した苦労はしてきていない。
武の辺境伯家とはいえ貴族の一員として、所作などは有無を言わせてもらえず身に付けなければならなかったものの、それ以外は、ただただ腕を磨き、好きなことを極めていただけだ。
そんなディアナから思えば、ラキルスはやっぱり犠牲者なのだ。
国のため、家のために、『自分』を犠牲にしてきているのだ。
「姫との婚約のことは、どうしようもなかったことだと思うけど、ラキばっかり犠牲になることなんかないと思う。わたしは今まで好きなことさせて貰って、もう満足できてるから、これからはわたしが頑張るから、ラキは無理しないでいいよ?」
ディアナは、鋼鉄の心臓でもって、これからも殆どのことに びくともしないで生きていけるだろう。
だから、ディアナはたぶん大丈夫。
大丈夫な人が頑張ればいい。
「犠牲?…私が?」
「うん。姫の隣国への輿入れも、わたしとの結婚も、ラキが国のために犠牲になってくれたから成り立ってるわけじゃない?もうこれ以上、ラキが我慢することないと思うの」
すると、ラキルスは急に表情を硬くして、真っ直ぐにディアナに向き直った。
「違うよディアナ。一番の犠牲者は君だ」




