第8話 田中、日常に戻る
「誠っ!」
「んわっ!?」
地上に落下した俺は、いきなり天月に飛びつかれる。
どうやら心配してくれていたみたいだ。俺は天月を安心させるためにその背中をなでる。討伐一課の人たちが温かい目で見てくるので恥ずかしい。
「おかえりなさい田中ちゃん。見事だったわ」
そう話しかけてきたのは雪さんだった。
雪さんのドレスはあちこちが擦り切れ、体も凍っている箇所があるけどピンピンしていた。頑丈なのは変わらないな。
「天月と一緒に戦ってくれてありがとうございます雪さん。おかげで助かりました」
「よしてちょうだい。私はあまり活躍できてないわ。天月ちゃんや他のみんなが頑張ってくれたおかげよ」
そう謙遜するが、雪さんがいなければ犠牲者を出さずに全員が生還するのは難しかっただろう。今度お礼しなくちゃな。
――――少しして落ち着いた天月から、俺は被害状況を聞く。
次元の裂け目を消した時の衝撃で瓦礫が多少落ちたみたいだが、それらは天月が対処してくれたらしい。
おかげで町への被害もほぼゼロと言っていい。
配信を終了した俺は辺りを見回した後、天月に気になっていたことを尋ねる。
「なあリリを見なかったか? あいつが塔を受け止めてくれてたんだ」
「ええ。あの子も見つけて回収したわ。でも……」
討伐一課の職員の一人が、黒いものを抱えてこちらに来る。
見間違えるはずがない。それはリリだった。
元の小さなぷよぷよの体に戻ってはいるけど、ちゃんと生きている。
「リリ!」
「んん……?」
リリは寝ていたみたいで、俺の声で目を覚ます。
そして俺の存在に気がつくと、こちらにぴょんと飛びついてくる。
「りり! たなか!」
「良かった……無事だったんだな」
俺はリリを抱き抱えながら、その丸っこい体をなでる。
その中にあった大きな力は、すっかり萎んでしまっている。完全に溜め込んでいた力を使い果たしてしまったみたいだ。
おそらくもう人型にはなれないだろう。言葉を話すのも、以前の様にはいかないみたいだ。
こんな小さな体でそんなに戦ってくれるなんて……感謝しかない。
「ごめんなリリ。無理させてしまって」
「りり、いーよ。やくたてて、うれしかったから」
「ありがとう……ゆっくり休んでくれ」
俺は疲れた様子のリリを胸ポケットに戻す。
するとリリは間も無くすやすやと寝息を立てる。よっぽど疲れていた様だな。
「おい人間、少し聞け」
「ん?」
腰につけた生首ストラップが喋り出す。
俺はそれを腰から外して持ちあげ、視線を合わせる。
「なんだ。話なら後でたくさん聞いてやるぞ」
「敗者は勝者に支配されるもの、それが定めではあるが……残念ながら、私の命はもうすぐ尽きる」
見ればガングラティの頭部は、少しずつ砂のように崩れていっていた。てっきりこの状態でも生きていられるのかと思ったが、そうではなかったようだ。
「聞け、私はこの世界の存在とルシフを倒した存在のことを聞き、侵攻を決意した。そこまでは話したな」
「ああ、それは聞いたけど……」
「だが、そのことを誰が話したかは言っていなかったな」
「……っ!」
確かに、誰がそんなことをわざわざガングラティに話したんだ?
少なくともその存在は俺たちの世界のことを知っていて、更に俺がルシフを倒したことを知っている。
こっちの世界の人間ならそれらを知ることはたやすいが、なんでそれを知っている存在が『異世界』にいるんだ?
「悪いが私も奴らが誰かは知らない。奴らが情報と手段を用意し、私が侵攻する。そういう契約だったからな。よく覚えておけ、この世界は何者かに狙われている。もちろんお前も含めてな」
ガングラティはそう言って笑う。
俺がその言葉で怯えると思っているのだろうか。だが残念ながらそうはならない。
「そんな奴がいてもやることは変わらない。いつも通り働いて、敵対したら斬るだけだ」
「くく……面白い。貴様の活躍、あの世で鑑賞させてもらうとしよう」
ガングラティは満足げに笑うと、完全に砂となって消えていった。
やれやれ、どうしてこう厄介なことが重なるのかね。俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに。
◇ ◇ ◇
――――早いもので氷の魔王を倒してから一週間の時が経った。
あの事件は当初世間を騒がせたが、人々はたくましくすぐにその話題は過去のものになった。都内から人が消えることも懸念されたが、結局多くの人は残っている。
なんでも「どこ行ってもダンジョンは出るだろうし、だったらシャチケンがいる都内の方が安全じゃん」らしい。
俺はセキュリティシステムじゃないぞ?
「おかえりなさい誠。今日は早かったわね」
「お、おお。ただいま」
仕事を終え、家に帰るとエプロン姿の天月が出迎えてくれる。
なんだか新妻感が強くてドキドキする。討伐一課の制服を着ている時は冷たく鋭い印象を受けるが、家での天月は外と違い優しい目をしてるしな。
あの塔が落ちてきた一件以来、天月は休みを貰えるようになった。ダンジョン関係の変な事件も起きてないし、しばらくはゆっくり過ごせるそうだ。
最近は星乃に料理を教わっているらしい。そしてその成果を俺に披露してくれている。意外と不器用なところがある天月は最初こそ失敗もあったが、練習の甲斐あって料理の腕はかなり上達した。
「さ、夕飯ができているから食べましょう。席に座って」
「ああ、いただくよ。今日も美味しそうだな」
リリの一件は悲しかったが、あの戦いのおかげで平和な日常を変わらず送ることができる。リリには感謝しなくちゃな。
「たなか。箸取ったよー」
「ああ、ありがとうリリ……って、ん!?」
隣の席から渡される箸を受け取った俺は、驚いて隣を見る。
するとそこにはリリが人の形をして座っていた。え、え、なんで? 今日の朝はショゴスの姿だったよな!?
「えっと、リリ? なんでその姿になれたんだ?」
「んー、いっぱい食べたらまたなれた! リリはつよいので」
「そ、そうなのか。いや良かったけどビックリした」
リリの生態は謎だらけだな。
「じゃあご飯にしましょうか。リリ、箸は使える?」
「いけるはず。きよーなので」
天月から箸を受け取ろうとしたリリだが、なんと急に元の丸い姿に戻ってしまいテーブルの上に転がってしまう。
「リリ!? 大丈夫か?」
「むー、もどっちゃった」
リリはまた人型になろと体をうねうねと動かすが、上手くいかなかった。どうやら人の姿でいられる時間は短いみたいだな。
「しゅん、ざんねん」
「まあいいじゃないか、焦っても上手くいかないだろうし、ゆっくり練習しよう」
そう言ってリリを肩の上に乗せると、リリは「うんー!」と答える。元気でいてくれるならそれで十分だ。
「誠の言うとおりね。焦らず頑張りましょう。私ももっと強くなれるように頑張るから」
「うんー! りりもまけない!」
楽しそうに話す天月とリリ。実に平和な光景だ。
……この世界を狙っている奴がいるとかガングラティが言っていたが、いつでもかかって来いって感じだ。
この平和で何気ない日常を守るためなら、俺はいくらだって剣を振るうことができるし、負ける気がしない。
「誠? ご飯食べないの?」
「たなか、たべよー」
「ああ、そうだな。いただきます」
温かいご飯を食べ、他愛のない会話を楽しみながら、俺はそんな風に思ったのだった。




