第10話 凛、ダンジョンボスを追う
海に飛び込んだ絢川凛は、必死に足を動かし水晶魚を追っていた。
(絶対に止める。二度と魔物災害は起こさせない……!)
凛は魔物災害により、両親と住む街を失った。
幼い頃は感情表現豊かだった彼女だが、その一件以来表情を失い、寡黙な少女になってしまった。
しかし天月や田中に出会うことで彼女は徐々に感情を取り戻していった。表情こそまだ固いが、生きることに喜びを感じ、幸せな日々を送ることができるようになった。
しかしそれでも魔物災害のトラウマは消えたわけではない。
目の前で両親が凶悪なモンスターに蹂躙された凄惨な光景は、彼女の脳裏に焼き付き消えることはない。
いくら幸せな生活を送ることができても、この記憶が消えることはないと彼女は理解していた。
だからこそ、そのような思いを二度と誰にも味わってほしくなかったのだ。
ゆえに彼女は死の危険を冒して水晶魚を追っている。
(やっぱり速い。このままでは逃げられる……!)
必死に泳ぐ凛であったが、水晶魚の泳ぐ速度はかなり速く距離を離されていた。
水晶魚は体に秘めたSランク相当の力を『透明化』と『泳力』に振り切っている。ゆえに戦闘能力こそ低いが、その泳ぐスピードはモンスターの中でもトップクラス。
ヒレの先端から圧縮した魔素を噴出し、ジェット機を彷彿とさせる速度で水中を進むのだ。
(諦めてたまるか、絶対に魔物災害は起こさせない!)
しかし凛は諦めなかった。
彼女はまず、咥えていた小型ボンベを捨てる。そして腰に装備していた二振りの剣も捨て、余分な装備を全てなくす。
そうすることで少しでも水の抵抗をなくし、スピードを上げたのだ。
(後先は考えない。たとえ刺し違えてでも倒す……!)
肺の中に貯めていた空気を全て吐き出し、浮力を少しでも減らす。
体内の酸素が減ったことにより、体に重い負荷がかかるが凛はそれを無視した。
次に体を覆う魔素の膜を調整し、更に水の抵抗を減らす。更に雷の魔法を使い、筋力を底上げし速度を上げる。
体の残存体力を全て泳力に注ぎ込み、彼女の速度は普段の倍以上に達した。
水晶魚がその急激な速度上昇に気づいた時には、彼女は水晶魚のすぐそばまで接近していた。
(止める、私がここで……!)
水晶魚に肉薄した凛は、右手の指先に雷をまとわせる。
そして水晶魚のエラの部分目がけて、鋭く立てた5本の指を打ち込む。
空手の貫手によく似たその一撃は、水晶魚の体内に勢いよく侵入し、その体内を激しく損傷させる。
『……!!』
そして彼女の一撃は、水晶魚の体内に存在したダンジョンコアを破壊するに至る。
手に伝わるダンジョンコアが壊れる感触に、凛は安堵の笑みを浮かべる。
(やっ、た……)
絶命する水晶魚を見ながら、凛の体は止まり力なく水中を漂う。
今の一撃で彼女の体力と酸素は底をついた。とても水から出る体力は残っていない。
遠くなる意識。彼女の脳裏に死の一文字が浮かぶ。
今まで彼女は魔物災害を止めるために体を鍛えてきた。それを成したのだから、ここで死ぬことに後悔はない。
しかし……一つだけ、心残りがあった。
(先生と……もっと一緒にいたかったな……)
ゆっくりと目を閉じながら、最愛の人のことを想う。
そして完全に目が閉じられるその瞬間、遠くから黒い影が高速で接近するのが目に入った。
(え……?)
それはまるで魚雷がごとき速度で接近してくる田中であった。
水着ではなくいつものスーツ姿。服を脱ぐ暇すら惜しんで追ってきたことが窺える。
「びん! ぶばべびびばぼ!」
田中は沈みゆく凛の手をしっかりつかむと、彼女の体を引き寄せて強く抱きしめるのだった。




