第19話 田中、定時を超える
「褒めてやろう。この姿にさせた人間は初めてだ」
「そうか、それは光栄だな」
"全然思ってなさそうで草"
"早く帰りたいくらいにしか思ってなさそう"
"もういい時間だしな"
"ルシフくんを相手にしてあげて"
「余裕を見せられるのはここまでだ。黒の夜明け」
ルシフが手をかざすと、黒い魔力の嵐が巻き起こり、田中を空間ごと吹き飛ばす。
その威力は凄まじく、空間にバキバキ! と亀裂が入るほどであった。
「おわっ!?」
「遊びはしない、全力で叩き潰してやろうタナカ! 召喚:ジャイアントデーモン!」
巨大なデーモンが出現し、宙に浮いている田中を地面へ叩き落とす。
そしてそのままその巨大な拳を何度も叩きつけ田中を滅多打ちにする。
『ガアアアアアアッ!!』
拳を叩きつけるごとにダンジョンは大きく揺れ、地面に亀裂が走る。
それほどまでにジャイアントデーモンの力は規格外であった。
"うおお!?"
"え、つよ"
"魔王の名は伊達じゃないな"
"シャチケン大丈夫!?"
"ま、まままままだ慌てる時じゃなななな"
"クッソ焦ってて草"
"今までで最強の敵なのは間違いないな"
魔王ルシフは異世界で負けなしの魔族であった。
魔法だけでなく死霊術にも精通し、その実力と知識量は魔族の中でも群を抜いていた。
彼の前には凶悪な悪魔を頭を垂れ、忠誠を誓った。
最強にして最恐の存在、それが彼であった。
自分に敵う者などいない、そう思っていた。
――――今日この日までは。
「ガアガアうるさいっ!」
胴体を真っ二つに斬り裂かれ、崩れ落ちるジャイアントデーモン。
砂煙から現れたのはピンピンした田中であった。
「服が汚れちゃったじゃないか……はあ」
"なんでそれだけで済んでんだよ"
"知ってた"
"強すぎてキモいレベル"
"スーツ汚しただけでも健闘賞をあげよう"
"ジャイアントデーモンくんはようやったよ"
召喚した配下を瞬殺されたルシフだが、なおも彼は笑みを絶やさなかった。
それほどまでに強者と出会えた喜びは大きかった。
「素晴らしいぞタナカ。人の身でよくそこまで鍛え上げたものだ」
ルシフは心からそう称賛する。
「どうだ? その力、私のもとで振るう気はないか。そうだな、この世界を支配した暁には……」
「世界の半分をくれてやる、とか言わないよな? そんなものいらないぞ」
「……そうか。残念だよ」
「本当にその気だったのか……魔王ってのはどの世界でもこんな感じなのか?」
呆れたように言う田中。
世界の半分など全くもって彼は魅力に感じなかった。
「それほどの力を持っていて現状に満足しているというのか? 強者には支配者になる権利がある」
「ほどほどに仕事して、ほどほどに給料が貰えて、たまに友人と酒でも飲めれば俺は十分だよ。それ以上はいらない。世界の半分なんて貰ったら激務そうだしな」
ははっ、と田中は笑い飛ばす。
その言葉を聞いたルシフは残念そうに「そうか」と呟く。
「では……ここで死んでもらうとしよう」
冷たく、そして濃密な魔素がルシフの体より放出され空間を満たす。
それは高い魔素量を持つリリシアとダゴ助ですら気分が悪くなるほどの魔素濃度であった。常人であれば一瞬で魔素中毒に陥ってしまうだろう。
「タナカ、貴様は強い。しかし魔素量は私の方が高い。その差に気づかぬ馬鹿ではあるまい」
「……確かに今のままではお前に勝つのは厳しいかもな」
田中はあっさりそれを認める。
大きなダメージこそまだ負っていないが、先程のように多種多様な魔法で攻撃されては反撃する隙はない。このままではいずれこちらが先に体力が尽きると認識していた。
"嘘だろ? シャチケンが負けるの?"
"魔王には敵わないか……"
"おいおい終わったわ"
"田中ァ! 嘘だよなァ!?"
"いや、俺はシャチケンを信じるよ"
"やばい泣きそう"
視聴者たちの間にも不安が広がる。
大人しく負けを認めた田中を見て、魔王ルシフは笑みを浮かべる。
「ほう、潔いな。なら……」
「ああ……惜しいな。俺たちがあと一時間早くここに着いていたら、お前が勝っていたかもしれないのに」
「ん?」
田中の言葉にルシフは首を傾げる。
一時間早くてもなにかが変わるようには思えない。いったいなにを言っているんだと困惑していると、田中が自分のつけている腕時計を見せてくる。
「18時23分……定時を過ぎている。定時外先は、正規労働時間にはいかない」
田中はそう言ってネクタイを外し、スーツの上着を捨てる。
"え、なにが始まるの?"
"シャチケン負けないで!"
"とうとうおかしくなった?"
"マジで流れが分からない"
"なにが起きるんです!?"
困惑する視聴者たち。
そんな彼らをよそに、田中は言葉を続ける。
「――――俺はもともと、長く戦えるタイプじゃなかった。短期決戦型とでも言うか、二時間も戦い続けると疲れて満足に動けなくなってしまった」
田中は社畜時代を思い出しながら語る。
通常のダンジョン探索であれば休憩を挟みながら進めばいいのでそれで問題なかったが、過酷なノルマを課せられていた社畜時代はそうはいかなかった。
「だけど仕事はそんなこと考慮してはくれない。一日何時間も残業する毎日を過ごす中で、俺は戦法を変えることを余儀なくされた」
短期決戦型から、長期継戦型へ。
田中は無限に襲いかかってくるノルマをこなすために自分のスタイルを変える必要があった。
そこで田中は鍛冶師の志波薫に頼み、ある物を作ってもらった。
「さっき外したネクタイは『枷』だ。あのネクタイは魔素の出力を抑える強力な効果がある。当然そうすることで力は弱くなるが、出力を絞ることで長い労働時間にも耐えられるようにした」
「なんだ? なにを言っている……?」
困惑するルシフ。
田中の言っていることが正しいと、彼は今まで力を制限していたことになる。そんなこと信じられなかった。
「枷の力を強くするためにダンジョンの深層で取れた色んな素材を使ったせいで定時内は外せない呪いのアイテムになってしまったが……定時を超えた今、その呪いは解かれた」
田中は湧き上がってくる力に浸りながら、宣言する。
「――――久しぶりに、少しだけ本気を出すとしよう」
田中は今までキツく締めていた強さの栓を少し緩める。
すると彼の体から莫大な量の魔素が放たれ、一瞬にして空間を満たしていたルシフの魔素を塗り替える。
「な……っ!?」
絶句するルシフ。
そんな彼に、田中は宣言する。
「斬業モード。悪いが残業を長引かせる趣味はない。とっとと終わらせて退勤らせてもらうぞ」




