2-③
ハッとして手を放そうとすると、
「ていうかさぁ、今どきスマホ持ってないとかそれ、事実だとしても通用しないからあ! もぉ笑っちゃうよ~!」
「今のご時世、スマホ持ってない奴なんていないですからね!」
「それなぁ! って、ん……? あれ……? そういえば、なんで敬語なの?」
「え?」
それは……初対面だし、もしかしたら年上かもしれないし、彼女は被害者で俺は加害者になりかけた側。おまけに助けてもらったし、敬語を使うのは当然のこと――。
本当にそうか?
違う。答えはもっとシンプルだ。
俺がオタク君で、彼女が一軍女子だから。
なんて返答に困っているうちに、彼女のスマホが鳴り出してしまった――。
「あ、ごめんね! ちょっと出てくるから待っててっ!」
そう言って小走りに駆け出す。けれどなぜか、俺の手は握ったまま。
そのまま元いた位置から十メートルほど離れた階段脇で立ち止まると、
「もしもーし! おまたおまた〜!」
さも当たり前のように電話に出てしまった?! 俺の手はまだしっかり握られたまま――。
……嘘、だよな? え、これ気づいてないのか? いや違う、わざとだろ。これ、絶対ツッコミ待ちだ。
でも何を言えばいい? 迷っているうちに――。
「え~、だからほら翔太くんだよぉ!」
脈が跳ねた。
彼女の口から出た言葉。
翔太。
…………くん?!
「わかんないって、なんでよ?! 翔太くんだよ?!」
その親しげな響きとは裏腹に、記憶はまったく呼び起こされない。
耳慣れたはずの名前なのに、まるで他人のもののように響いた。
……君は、誰だ?
「だから初恋の人だってば!」
……は?
「そーそー! 運命の再会っ。しかも盗撮から守ってくれたっていうねっ! だからたぶん、本当の盗撮魔は最初に騒いでたやーつ! でぃすてぃにーいただきましたぁー!」
……おかしい。
下の名前で親しげに呼ぶくらいだから、中学時代の知り合いではなさそうだけど……。
「うんうん! ってことで、あとのことは頼んだ! 今度スイパラ奢るから~」
……三年二組。
「え?! お祝いに奢ってくれるの?! いやいや、それは気が早過ぎるよ~もぉ~! まあ、二人が再会しただけのお祝いってことなら、奢られてあげるけど~!」
いや、ありえない。俺は女子から総好かんを食らってた。こんなふうに話しかけてくるやつなんて、一人もいなかった。
考えを巡らせているうちに電話は終わり、彼女は何事もなかったかのように振り返った。
「近っ! なんで居るの?!」
言ってすぐに視線は繋がれた手へと落ちる。
「あっ、ごめんっ……繋いだままだった……」
ここまで状況が揃うと疑うしかない。
この子は……。
ひょっとしたら、もしかして⋯⋯。
いや、もしかしなくても――。
天然……なのかもしれない。
「俺の方こそ悪い。気づいてたのに言い出すタイミング逃しちゃって。だから気にしないでくれな」
「うんっ。ありがと。優しっ……。で、ね。あの、さ……ちなみになんだけど……電話の内容、聞こえちゃってたりする……?! 」
……え。この距離で聞こえてなかったら、ここまで会話できてないだろ……。でも、聞いてくるってことは――。
聞こえてないって答えてほしいんだよな。
「いやっ、声は聞こえたけど、内容まではまったく!」
彼女はなにかに気づいたように「あっ」と声を漏らし、視線を反らした。
……なんだよ、それ。完全にバレてんじゃねえか。
嘘、下手になったな……。昔の俺なら、こんな場面くらい息を吸うように切り抜けられたのに。
これは後退なのか、それとも前進なのか。わからねぇ。
……いや、違う。
俺は人と、ほとんど話さずに生きてきてしまったんだ。
そのツケがいま、まわってきてる。
重たい沈黙が落ちる。どうしたらいいのか、わからずにいると――。
「あっ、暑いねーっ、な、夏だねー……夏、あ、あははぁ……」
頬を染め、顔をあおぎながらごまかすように笑った。
そしてすぐに――。
「ち、違うの! その……さっきのは、なしで!! なし! お願いっ。聞かなかったことにしてくれないかな……?」
……え?! 危うく吹き出すところだった。
でも彼女の顔は真剣そのもので、とても笑いを許す空気じゃない。
やっぱりこの子、ちょっと天然が入ってる……!
「お、おう……! ナニモ、オレハ、キイテナイ!」
笑いをこらえたせいか、少し片言になってしまった。
それでも彼女は気にする様子もなく、ぱっと花が開くみたいに笑顔を咲かせる。
「ありがとっ! やっぱり翔太くんって優しいよね~。こういうところ、昔から変わらないねっ! じゃあここから先は聞かなかったってことで、よーいドン!」
「なんだよ、それ!」
気づけば敬語じゃなくなっていた。
久しぶりに、こんなに人と話した気がする。
間が持つことさえ新鮮で、まるで昔からこんな感じだったような錯覚に陥る。
――なのに、どうして思い出せないんだ。
君は本当に、誰なんだ?
「あー! その顔はひょっとして、わたしのことを実は思い出せないって感じかなぁ~?」
ば、バレた。……いや、顔に出てたのか。
なんかさっきから、このパターン多いな。……ひょっとして俺、コミュ障ってやつなのか……?
「うんうん。仕方ないよ。だってあれから、七年? 八年? ……七年だ! 経ってるもん。お化粧だってしてるし、もしかしたらわたし、別人になってるかも! ってことで問題でーす! わたしは誰でしょーか!」
三年二組の誰かであることは間違いない。
だが女子から総好かんを食らっていた俺に、こんな態度を取る子がいたはずもない。
矛盾が絡み合って、答えは見えないままだった。
「はーいぶっぶー! 時間切れでーす! 正解は、綾瀬でした! いえーい! 翔太くんっ、ひっさしっぶり〜!」
嘘だろ……?
なぁ、冗談だって言ってくれよ……。
は? あやせ……?
……あやせって言ったのか?
はぁ……?!
――――――――誰だよ?!




