表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/49

2 君は、誰だい……?①

 駅までの足取りは、笑えないくらいに重かった。

 歩道を行き交う人たちの笑い声も、遠くの車のクラクションも、すべてがどこか遠い世界の出来事みたいに聞こえる。


 冗談にしては質が悪すぎる。まるで悪い夢でも見ているようだった。


「……まみちゃんって、誰だよ」


 お前は、佳純だろ?!


 信号待ちの人波に紛れながら、頭の中を嫌な考えばかりが駆け巡る。

 あの笑顔も距離の近さも全て、本物だった。……見せつけられた、気がした。


 それもまた、あの男だ。

 常夏の隣にいるのも、佳純の彼氏だというのも……すべて五球瑠偉。


 佳純がなにをしに来たのかなんて、もうどうでもよかった。

 あの様子から察するに、おそらくは二郎で待ち合わせなのだろう。


「……知るか」


 なぜ、こんなにも胸が痛むのか。

 自分でも答えを出せないまま、改札を抜ける。構内のざわめき、ホームに吹き込む風、全てが自分をすり抜けていくようだった。


 電車が滑り込む音が響く。

 車輪のきしみも、人々のざわめきも、今の俺には何ひとつ届かない。



 そして――。


 ガシャンと響く閉扉の音に、現実に引き戻される。


「あっ――」


 気づけば車両は遠ざかっていた。


 俺はまた、置き去りにされてしまった。


 しかも二度目。


 何やってんだよ、俺――。


 結局、電車に乗れたのは、さらに二本を見送ったあとだった。



 だからこれはきっと、単なる腹いせだ。


 電車に揺られて数分。ドアを背もたれにする俺はふと、視線が吸い寄せられた。

 端の席に座る男。歳は同じくらいに見える。茶髪に、少し着崩した制服。今風の見た目に似合わず、神妙な面持ちでまわりを見渡していた。


 その正面には、四人組の今どき女子高生。二人が端に座り、二人が吊り革につかまりながら笑い合っている。電車が揺れるたび、短いスカートの裾がふわりと揺れ、あられもない太ももが露見する。


 ドアに寄りかかっているせいか、俺の位置は男から見てちょうど死角になっていた。

 だから――。その一瞬の動作を、俺だけが目にした。


 男が手にしているスマホは手帳型ケースに入っていた。

 ほんのわずかな手つきでカメラを起動すると、録画が始まった。カバーを閉じる所作は迷いがなく、あまりに自然だった。そのまま何事もなく膝に置かれたスマホは、真正面の女子高生たちを外すことなく捉えていた。


 ――盗撮か。



 俺の本分は目立たないこと。

 座右の銘は、一歩前に出ない勇気だ。


 だから盗撮なんて目に入ったとしても、過ぎ去る景色のひとつにすぎない。


 別に俺が特別なんじゃない。今の世の中、ほとんどの人間がそうだ。わざわざ声を上げる者は少なく、声を上げれば逆に注目され、第三者に撮影されて拡散されるかもしれない。


 生きづらい世の中になった。


 だからこれは、ただの腹いせだ。

 今日の俺は、虫の居所が悪い――。



 スマホを持つ男の手首をガシッと掴む。


「なっ、俺はやってなっ――」


 反射的な否定。それはもう認めているのと同じだった。


 だが、俺の顔を見た瞬間。

 焦り顔は、何事もなかったように剥がれ落ちた。


 そして――。


「おめえ! なにしやがんだよ?!」


 世の中は、存外に腐っている。


 だが、今日の俺はここで引き下がれるほど、お利口ではない。


「なにってお前!! とうさ――」


「あーあーあー! あーあーあー!」


 俺の声をかき消すように、突然の大声。甲高いその叫びに、車内の空気がビクリと揺れる。数人がスマホを下ろし、何事かと視線が集まった。


「盗撮魔! 盗撮魔がいまーす!」


「は?」


 頭の中が真っ白になる。掴んでいた手から自然と力が抜けていった。

 男はその一瞬を逃さず、身をねじって俺の腕を振り払った。

 立ち上がると、今度は指を突きつけて叫んだ。


「こいつこいつ! 盗撮魔! 盗撮魔!」


 俺を指さしながら一歩、二歩、三歩と下がる。人々の視線が一斉に俺へ突き刺さる。次の瞬間、男は隣の車両へと駆け出していた。


 残された俺のまわりで、車内がざわめき始める。好奇と嫌悪の視線が重なり、逃げ場はどこにもない。


 群衆の圧に背中を押されるように、大柄な男の手が伸び、俺の腕を掴んだ。


 ――私刑執行人。


「おい、兄ちゃん、スマホ出しな」


 その言葉を聞いて、絶望が胸を突いた。

 なんてことはない。盗撮していないのだから、スマホを出せば済む話。


 でも、俺にはそれができない。


 ――持っていないからだ。


 どうせ。どこに隠しただの、捨てただのと始まって、そのうちに撮影されて、ネットにアップされて、拡散されて――。


 俺の無実が警察署で晴れた頃には、すべてが手遅れで――。


 そう、思えるだけの根拠がざわざわと耳に入ってきて――。


 「なんか怪しかったもんな」

 「あれは確実に撮ってたよな」

 「つーかいかにもな見た目じゃん」

 「青春、盗撮で終わらすとかバカだね~」

 「どう見たって青春送ってないって面な!」

 「性欲モンスターかよ、引くわ~。猿高生かって」

 「見るからに童貞で草」


 もう一度、言う。


 世の中は、存外に腐っている。



 ……いや。やめよう。本分を忘れた罰が当たったんだ。


 一歩前に出ない勇気。


 大人になるってそういうことだって、教えてもらったのに⋯⋯。


 本当に学ばないな、俺は――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ