表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/49

後日談①

 かつての宿敵と、海辺の石段に肩を並べて座っていた。

 潮の匂いと、絶え間なく寄せては返す波の音。乾いた石に体を預けると、ここで過ごした日々が胸の奥からよみがえってくる。


「なぁ、おい。本当に今日、行っちまうのかよ……」

「親父のこと、放っとけねぇって何度も言ってんだろ」


 ……あの人の時計は止まったままだ。

 三年前。俺をこの町に連れてきた、あの日から。


「んだよ。俺のことは一人にさせてもいいってのかよ?」

「お前は一人なんかじゃねえだろ。なにより寂しがるようなタマでもねえだろうが」


 軽口を叩いてはみたけれど、気づけば俺は目を逸らしてた。


「あぁもう喉乾いた! チーター喉乾いた! 水水水!」

「ったく。デブは燃費悪いんだから、水筒くらい持ち歩けよな」


 そう言って、水筒からコップに水を注ぐ。


 大きな体が、やけに小さく見えた。


「……寂しくなるな。こうやって、お前から水を分けてもらうこともなくなっちまうんだもんな」

「馬鹿言えよ。ただの水道水だ。飲みたきゃそのへんで蛇口ひねってこい」


 茶化したはずが、どこか遠くを見ていた。


「……俺さ、こうやってお前と並んで水飲む時間、好きだったんだよな」


 一瞬、胸の奥がざわつく。


「……なに感傷に浸ってんだよ。らしくねえって」


「俺は……あの日、間違えた。本当はお前にジュースをご馳走してやりたかっただけなのに、間違えちまったんだ……」

「やめろ。その話はもういい。俺だってガキだった。それで終わったろ」


 言葉が途切れ、俯いたまま声を落とした。


「終わっちゃいねぇ……」


 震える声が、次の瞬間には怒鳴り声へと変わる。


「終わっちゃ、いねえよっ!」


 その熱をさらに燃やすように立ち上がると、荒れる波に向かって叫んだ。


「何が飲みたいか、言えーッ!」


 ったく。


「いらねえよ」

「今日で最後なんだ。わがままだと思って聞いてくれ。頼むから……!」


 最後って言ってもよ。

 あのときと今じゃ、状況がぜんぜん違うだろ。


「頼む……! このままサヨナラなんて、俺はしたくねぇっ!」

「…………」


「チーター…………翔太!」


 胸をつかまれたみたいに、言葉が勝手に漏れた。


「……コーラ」


 その一言だけで十分だったようで、弾けるような笑みを浮かべて走り出して行ってしまった。


「……ったくよ」


 案外、受け入れてみればなんてことはなかった。

 こいつは気のいいやつで、それこそピンク色の魔人みたいに無邪気で、気づけば当たり前の存在になっていた。


 ただ、やっぱりリーダーはこいつだった。こうして一緒にいると、嫌でも実感させられる。


 ――剛場 司。剛場建設の跡取り息子にして、町議会議員のドンの孫。


 生まれながらにしてリーダーのやつと、空席にたまたま収まっただけの似非リーダー。その違いは火を見るより明らかだった。


 とはいえ、今の俺には勉強がある。

 それさえ頑張っていれば、いつかまたあいつと会ったとき、胸を張れる自分でいられる。



 ……そんなことを考えていると、背後からドタドタと足音が近づいてきた。

 思ったよりも早く剛場が息を切らしながら駆け戻ってきた。

 手には、キンと冷えてそうなコーラの缶。


「……はぁはぁ……ぐびっといってくれ! ……ぐびっと! はぁはぁ」


 満面の笑みで差し出されたそれを、俺は受け取る。


「さんきゅ」


 缶の冷たさが手にしみた。……俺の分だけ、か。

 あの日以来、剛場は小遣いなしの刑に処されている。

 ジュース一本だって、手に入れるのは楽じゃない。自販機の下を覗いたり、返却口を何度も叩いたり、道端や側溝まで目を光らせたり……。


 その姿が脳裏にちらついて、缶を開ける指先が動かなくなった


「おいおいおい! 変な想像すんなって! 悪さしたわけじゃねぇよ。爺ちゃんに頼んだらさ、庭の草むしりしたら今回だけ特別に許してやるって言われたんだ。ジュース一本分!」


 そこに剛場の分を含めないのが、あの爺さんらしいというか、なんというか。


 つーか、草むしりって……。


「……それ、どんだけかかったんだよ……」


 剛場ん家の庭の広さを思うと、想像するだけで気が遠くなるってのに――。


「へへっ。俺はよ、お前にジュースを渡せればなんだっていいんだよ。はぁ、よかった。よかった。ほんとによかった」


 剛場の目には、どうしようもなく優しい色が浮かんでいた。


 バカ野郎。


「つーか、一緒に飲もうぜ! なっ!」

「そ、それは……お前にあげたものだからいらねえ!」


 お小遣いどころか、贅沢禁止令まで出されてる。

 ジュースなんてもってのほかで、水ばっかの生活だ。


 ……俺は平気でも、こいつにはきっと地獄だ。

 あの日からの三年を、近くで見てきたから、わかる。


「俺の門出を祝うっつーんなら、乾杯しないとだろ」

「じゃあ、チーター水くれ水!」


「本日の営業は終了しましたー」

「はぁ?! てめえ……!」


「飲もうぜ!」

「し、仕方ねえな……ゴクリ」


 まるであの日をやり直すように、俺たちは缶を回し飲みした。

 甘ったるい炭酸の泡が喉を刺す。


 もし、あの日こんなスタートを切っていたのなら――。

 今頃、どうなっていたのだろうか。


 ……きっと、剛場とはここまで打ち解けていなかった。

 そして、嘘つき野郎の冬雪翔太はまだ、生きていたのかもしれない。


 そう考えると少し、ゾッとする。


 潮の匂いと、寄せては返す波の音ばかりが耳に残った。

 ふと横を見ると、剛場は黙って海を眺めていた。

 その横顔は、いつの間にか真剣な色を帯びていて、やがて静かに口を開いた。


「……なあ、いつでも帰って来いよ。ここはお前にとって帰るべき場所だ」

「なんだよ、改まって」

「茶化すなよ。いくつになってもいいんだ。それこそじじいになったっていい。結婚して子供ができたら、そのときは家族で遊びに来たっていい。今日が別れじゃないってことだけは、約束しろ」

「なんだよ柄にもねえな。まあ爺ちゃんに会いに来ることもあるだろうし、ちょいちょい来るだろ」

「ならいいんだよ。ただ、お前はよ、ときどき諦めたような面をするときがあるからよ。目の届かない遠くに行かせちまうのが、どうにも心配なんだよ」

「なんだそれ。保護者かよ」


「この減らず口が! まあ、いつでも戻ってこい。さっきも言ったが、ここはお前が帰るべき場所だ。忘れんじゃねえぞ」


「……おう。そうだな」


 胸の奥に、どうしようもなく本物と偽物の違いを刻み込まれる。


 ……思えば、この差を最初に見せつけられたのは、俺がサシで挑んで相手にされなかったときだった。


 お前はまじで強かった。


 普通ならあそこで敗北を認める場面なのに、冬雪翔太は抗い続けちまったんだよな。


 バカだよな。


 止まることを知らず、進むしかなかった哀れな男の行き着く先。


 ――きっと、なにを言っても止まらなかった。

 だから彼女が、背中を押して救ってくれたんだ。



 冬雪翔太は、あの日に、死んだんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ