3ー③
『登校三日目にしてドンの孫をも配下につけちまったぜ! こいつは子悪党だからな。仲良しこよしってわけにはいかねえ。仕方ねえから右腕にしてやったぜ! 100人の翔太ファミリーがお前を出迎える日は近いかもな』
『ほんっと毎日無理ばっかして! わたしはね、元気な翔太ひとりに会えるだけでいいんだから! 他の人なんていらなーい! ぽいっ』
『ははっ。おまえは最近どうなんよ? プロレスごっこはしてんのか?』
『してない。翔太としたのが最後』
『技に磨きを掛けとかねえと、また俺様に負けちまうぞ?』
『負けたらまた会いに行くからいいもん。冬休みも春休み会いに行くからいーもん!』
『やれやれ。伝説の翔太ファミリーのボスはそんなに暇じゃないんだけどな。来るっていうなら仕方ねえ。もてなしてやんよ!』
『その日だけは翔太を貸し切りにできる?』
『しょうがねーな? 特別だぞ?』
『ふふん。じゃあ特別にわたしのことも貸し切りにしてあげる!』
『はいはいそりゃどーも』
『まったく素直じゃないんだから。嬉しいくせに』
『そ、そ、そんなわけないだろ! う、嬉しくなんかねねねねーよ!!!!』
+
登校三日目の朝。
玄関を出ると、婆ちゃんが腰に手を当て首をかしげていた。
「あら、今日は佳純ちゃんじゃないのねえ……」
縁側から差す朝の光に照らされて、婆ちゃんの眉間の皺が深くなる。
――どうやら、ノッポが俺を迎えに来たらしい。
昨日の帰りも、俺の後ろをずっとついて歩いて来やがった。まるでストーカーだ。正直、うっとうしい。
とはいえ婆ちゃんの前で変な素振りはできねえ。
「じゃあ、婆ちゃん! 行って来るな!」
「……うん。気を付けてね」
何か言いたげな顔で見送ってくる婆ちゃんを背に、俺はノッポと並んで家を後にした。
「つーか道はもう覚えてるから、わざわざ迎えに来なくていいぞ。うっとうしいだけだからな」
「……迎えじゃねえよ。監視だよ」
「は?」
「剛場くんのお達しだ。……お前が逃げないように見張っとけってな」
「逃げる? 笑わせんな」
「……馬鹿が。考えなおせ。今ならまだ間に合う」
急に両肩をつかまれた。指先が強張っている。
「は?」
少なくともこいつは他の奴らとは違う。人を殴る痛みを知っている人間だ。
「剛場くんはな、やるって言ったら本当にやる人なんだよ。いい加減気づけよ……これ以上、俺にお前を殴らせるな」
泣きそうな目だった。俺のことをよそ者と嫌っているはずなのに、どうしてそんな顔ができる。
「俺のこと嫌いなんだろ?」
「嫌いだからって、お前を殴っていい理由にはならない。当たり前のことだ」
――ここまでわかってる奴が、暴力を振るう。
だったら、なおさらやるっきゃねえ。
「知らね」
「どうしてお前ってやつは……」
沈黙が重く落ちたあと、ニヤリと笑ってやる。
「ちなみに、お前のへなちょこパンチな、ちーっとも痛くねえかんな。いっちょ前に罪悪感なんざ覚えてんじゃねえよ。おこがましいんだよ、雑魚が」
「……馬鹿が」
そしてまた、小さく吐き捨て――。距離をとって後ろを歩き出した。
教室についた俺は、迷いなく剛場の席へ向かった。
取り巻きが進路を塞ぐ暇も与えず、真っすぐ、駆け足で――。
「剛場ぁぁあ!」
「あ?」
席にふんぞり返ったまま、俺を見上げる。
「果たし状じゃあああ!」
机の上に叩きつける。
紙がバサリと跳ねた瞬間、剛場は椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった。
「てめえら! しつけはどうなってやがる?!」
俺には目もくれず、ノッポの胸ぐらを掴むと、ためらいなくぶっ飛ばす。
鈍い音を立ててノッポが床を滑った。
「この野郎ッ!」
飛びかかろうとしたその時――。足首を掴まれた。
振り返れば、倒れたままのノッポが必死に腕を伸ばし、首を横に振っている。
額に汗を滲ませ、まるで「行くな」と全身で訴えていた。
「離せ!」
必死に足を振り払おうとするが、その手は決して離れない。
剛場は俺に構うことなく、取り巻きの方へ詰め寄った。
「来いよオラァ!」
――完全に視界から外された。狙いは、俺じゃない。
剛場は、取り巻き共を殴る蹴るしていた。
「連帯責任っつったよな? ああ?! てめえらこんだけいて、しつけすらできねえのかよ! やり方をよ、俺が直々に教えてやるよ!」
さっきまで俺を痛めつけていた奴らが、今は無抵抗でぶん殴られている。
ノッポまでもが、俺の足首を放して立ち上がった。
そして、ふてぶてしい笑みを浮かべたまま言う。
「よく見とけ。お前のせいで、今日から毎日、これが続くんだ」
「……は?」
そう言い残し、殴られに行くように剛場の前へ歩き出すノッポ。
果たし状は、床の上で踏まれていた。
――なんだよ、これ。
……なんだよ?!
ただ、そこに立ち尽くすしかなかった。
鼓動の音だけが、やけに大きく響いている。
視界の端で誰かが息を呑む。
気づいたときには、剛場の“しつけ”はもう終わっていた。
「朝の会はいなくてもいい。一時間目までに戻って来い」
低く、怒気をにじませて告げると。
すぐさま「……はい」と、小さく答えた。
「行くぞ、転校生」
痛みに顔をしかめ、腕を押さえる者。
足を引きずる者。肩で荒く息をする者。
全員が満身創痍のまま、苛立ちを引きずりながら教室を出ていく。
通りざま、ノッポが俺の背中を軽く叩いた。
「……ここから先は、地獄だぞ」
その背中は「来るな」と告げていた。
床に落ちた果たし状が目に入る。拾い上げた瞬間、喉の奥が熱くなる。――こいつは卑怯者だ。
挑まれた勝負から逃げるなんて、許されるわけがない。
――そうだよな? よっちゃん先生。
だから俺はノッポに背を向け、踏み出す。
そして――。
「戦えよ! 逃げてんじゃねえぞ、クソデブ!」
「あ? ああ?! お前らぁぁああああ!」
剛場の怒号が、瞬時に教室を震わせる。
廊下へ出ていたはずの取り巻きが、獣のような勢いでなだれ込んできた。
「なにやってんだよ! お前何見てた?」
「お前はこっちだろ? 脳みそついてんのか?!」
「死ね死ね死ね死ねよお前!」
「空気読めねえなら学校来んな! 死ね!」
「帰れよ? 今すぐ下校しろ!」
「この足を潰すまで、俺は何度でも踏み続ける!」
ノッポの言葉は、最悪の形で現実になる。
本当の地獄が、始まった――。
+
朝から校庭裏に連れて行かれた。
どいつもこいつも剛場にやられてボロボロのくせに、昨日までとは明らかにパンチの重みが違う。
顔つきも、目も、構えも。すべてが変わっていた。
……でも効かねえよ。
こんなの、あいつのパンチに比べたら痛くもねえ。
布団叩きの棒以下だ。
おまけに言葉も――。
「仲良くできねえなら帰れよ!」
「お前、嫌われ者の自覚ある?」
「なんで引っ越してきたんだよ? いらねえんだよ!」
「死ね死ね! 死ねーッ!」
「歩けなくしてやる! 踏んづけてやる!」
……効かねえよ。
悪口のセンスがねえ。鬼を見習えっての。あいつは俺の存在を、何度も何度も否定してきた。何度も何度も何度も――。
それに比べりゃ、帰れ? 死ね? ……くだらねえ。
同じことばかり繰り返しやがって。壊れたオウムかよ。
「だからお前は! 足ばっかやってくんじゃねえっ!」
「ぐががががががあああああ!」
「あ、諦めない……お前の脚を……壊す!」
昨日までとは違う。
鼻血が出たくらいじゃ泣きもしねえ。
剛場の“しつけ”で、痛みにはもう慣れちまってるんだろうか。
「壊す壊す壊す! お前の脚ぃぃぃぃいい! 壊してやるぅぅう! ペェグシビャアアア!」
……だめだこいつ。壊れてやがる。
…………やるっきゃねえ。あいつは俺との一対一の勝負を避けてやがる。だったら、こっちから作ってやるまでだ。
闇討ちでも奇襲でも、卑怯だのなんだの言われようが関係ねえ。
邪魔が入らない場所で、ぶっ潰す。
+
それから一週間、好機をうかがい続けた。
けれど剛場がひとりになる瞬間なんて、ただの一度もなかった。
休み時間は取り巻きが机を囲み、トイレに立てば必ず二、三人がついて行く。
放課後は決まって佳純と帰って、俺は校庭裏に連れて行かれる。
一人になるのが怖い、臆病で卑怯なやつ。
そのせいで、苛立ちは日ごとに増していく。
このままじゃ永遠にチャンスを逃す。そんな焦りが胸の奥をじりじりと焼いた。
そんな日々の中で、ドキプリ執事のデイリーを消化して、特にやることもなく机に突っ伏していると、スマホが鳴った。
常夏からのメッセージかな……と思ったが、聞き覚えのない着信音だった。
画面には、――着信中〈常夏花火〉。
「ちゃ、着信?!」
初めてのことに持っていてスマホを落としそうになるも、既んでのところでキャッチして、息を整いて通話ボタンを押す。
間髪入れず、受話口から飛び出すように――。
「翔太っ!」
「お、おう……」
「ふふんっ、翔太っ!」
「……お、おう?」
「なーにしてんの?」
「べ、べつになにもしてねーよ! て、天井眺めてた……かな」
「そーなんだ! じゃあいっぱい電話できるねっ!!」
電話口の常夏は普段聞きなれない声で妙に甘えてくる感じだった。
どうにもそれが慣れなくて、たじろんでしまう。
電話は苦手だ。と思いつつも、何故かこいつの声を聞くと元気が出た。
「ねえ、昨日の夕飯はなに食べたの?」
「マグロの煮つけ」
話す内容はあってないようなものだった。
「そっちはなに食べたの?」
「えーっとね、……何食べたんだっけ?」
「いや、俺に聞かれてもわかるわけないだろ!」
「もーう。翔太にはもっとわたしを知ってもらいたいのに!」
「む、無茶言うなよ! わかるわけないだろ!」
他愛もない、安らかな時間。でも――。
「なあ、上級生にさ、卑怯な奴がいてよ。俺とサシで戦おうとしないんだよ。いつだって取り巻き使ってガードしてきやがる」
「また喧嘩の話? しかも上級生?! もうやめなよ!」
「俺様っつったら最強だからな。敵がいない平和な日っつーのは簡単に訪れないのよ」
「……バカ。でも翔太なら脚が速いんだから、追いかけっこすればいいんじゃない?」
「追いかけっこ……」
「みんな疲れて、最後に残るのは翔太だけ!」
考えもしなかった。
「す、すげー……」
「ふふんっ。翔太のことなら任せない! だから昨日のわたしの夕飯がわからなかった翔太は罰ゲーム決定!」
「いやだから! わかるわけねーだろって!」
「好きっていってごらん?」
「は、はぁ~?!」
「なに? 罰ゲームなんだよ? べつにいいでしょ。罰ゲームなら!」
「む、む、む、無茶言うなよ!」
「まったくもう、照れちゃって!」
「て、て、照れるとかじゃねーの! そそそそそそういう問題じゃねーの!」
勝利の女神だと思った。
これで剛場をぶっ倒せる。
そしたらお前と、夏休みに会える。
そしたらお前に、好きって……伝えられるかな。
この日が――。常夏と連絡を取った、最後の日になった。




