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3ー②

 昼休み、校庭裏に連れて行かれ、袋叩きにされた。剛場の姿はない。

 殴る奴、引きつった顔の奴、笑って踏みつける奴。

 中には、人の痛みを知らないゴミが混ざっている。


「だからてめえは! 足ばっか踏んづけてんじゃねえっ!」

「ぐがっ……!」


 殴り返した手のひらがじんじんする。相手は地面に手をつき、息を荒げた。


 ノッポが小さく吐き捨てる。


「馬鹿が……」


 わかっている。ここで潰しあったって、なんの意味もない。それどころか――。


 火がつくように一斉に怒声が飛んだ。


「このクソやり返しやがったぞ!」

「アホすぎるだろ! 立場ってもんがわからねえのかよ?!」

「東京に帰れよ! 今すぐ! いらねえんだよお前!」

「よそもんが調子乗ってんじゃねえよ!」

「控えめに言って死ねぇ! 死ね死ね死ねぇっ!」


 いつの間にか、先ほど剛場にぶっ飛ばされた奴も参戦していた。血を垂らしながら笑ってるその顔は、まともじゃなかった。



 ……結局、火に油を注ぐだけなんだよ。



「痛い……痛いよ……血、血が! ママに言いつけてやるからな!」



 ……ほらな。






 予鈴が鳴ると、殴る蹴るの手はぴたりと止まる。


「放課後どうする? こいつ、田中ん所の爺さん家に住んでんだろ」

「じゃあせいぜい三十分くらいだな。帰り遅くなって勘づかれたら面倒だし」

「空気読めよ……一秒でも早く家に帰りたいのに」

「死ね死ね死ね! 死ね死ねミサイル!」

「ママに言いつけてやるからな!」


 皆がぞろぞろ教室へ戻る中、ひとりだけ俺の前で立ち止まった。


「もう、わかっただろ。これからずっと続くんだぞ? いいのか?」


 ノッポが問いかける。


「ヘッチャラ」


「……馬鹿が」


 吐き捨てるような声だけ残し、ノッポは背を向けた。


 校庭裏に、ひとり取り残される。

 仰向けに倒れたまま、白くかすんだ空を見上げる。

 呼吸のたびにあばらの奥がきしみ、動くたびに腕や脚のあちこちから鈍い痛みが這い上がってくる。


 ……授業なんか受ける気にならねえ。

 学校に来る意味なんて、あるのかな。そんな考えが、一瞬だけ脳裏をかすめた。


 ……馬鹿野郎。

 こんな姿、あいつに見られたら笑われちまう。


 行かないと。そう思っても、節々の痛みが腰を重くして、なかなか立ち上がれなかった。



「五時間目ってなんだったっけかな」


 不意にこぼすと、意外な声が返ってきた。


「さーんすう」


 佳純だ。


「なんだよ、見てたのかよ」


「うん。最初からずっと」

「はは。そりゃどーも」


 観戦料でも請求してやるか。そう思った矢先、


「なにがおかしいの? なんで笑ってんの?」


「……なにがって、笑えるだろ」


 お前にだけは、笑われてもいい。

 笑ってくれたほうが、まだ気が楽だ。


「ふぅん。約束破っておいて、謝りもしないんだ?」


「……悪い」

「は? それで謝ってるつもり?」


 なんだよ。勘弁してくれ……。


「ごめん」

「違うよね? ごめんなさい、でしょ? 言えよ。早く」


 ……本当に、勘弁してくれよ。

 俺、今、そんな余裕ねえんだよ……。


「ごめんなさい。約束破って。俺は嘘つきです」


「うん。偉いね。格好いいよ、今の君」


「ちょ、なんだよ? やめろよ」


 怒っていたはずの佳純が、急に頭を撫でてきた。


「痛っ」


 避けようとするも、節々が痛くて佳純の手をどかせない。


「いい子ついでにさ、剛場にも謝っちゃおっか。土下座はしなくて済むように頼んであげるから。ね?」


 ……そういうことかよ。回りくどい真似しやがって。


「……できねえ」


 それに、まだ俺には――。手段が残ってる。




「あいつはやるって言ったらやるんだよ。明日も明後日も、君の心が折れるまでやり続ける。一週間後も、一か月後も、君がこの町にいる限り続く。しかも明日、君が折れてなかったらノッポたちはぶっ飛ばされる。わかる? みんな必死になって君を殴る蹴るするようになるんだよ? 今日とは比べ物にならないくらいにね」


「……そっか。そしたら少しは骨のあることになりそうだな。猫ちゃんパンチの応酬じゃ、あくびが止まらなかったぜ。……へへ」


「いいって、そういうの。もうさ、折れるフリしちゃいなよ。それでいいじゃん。よくわかったでしょ?」


 フリってなんだよ……。


「……できねえ」


「誰も見てないって。それにわたし、身の程を弁えた男は嫌いじゃないし。べつに弱いともダサいとも思わないよ。立派だよ」


 ――嫌だ。


「……果たし状だよ。あんなデブ、ワンパンだ」


「ねえ、話聞いてた? それに君じゃ剛場には勝てないよ。誤解してるみたいだから、はっきり言ってあげる」


「…………俺が、負ける?」


 佳純は首を横にし、呆れ顔のまま吐き捨てた。


「もう好きにしなよ」


 そして――。


「嘘つき」


 去り際の一言だけが、今までに聞いたことのない響きで胸に突き刺さった。


 ……話は変わらない。シンプルだ。

 果たし状だ。俺が勝てばいい。ただ、それだけだ。

  



 泥と埃にまみれた服で教室に戻ると、椎名先生は一瞬だけ驚いた顔を見せ、すぐに視線を逸らした。


 そこへ剛場が、にやりと笑って声をかけてくる。


「おいおいチーター? 授業サボって遊んでちゃだめだろ? 先生に怒られちまうぞ? なあ、先生?」


「そ、そうだな」


「え? 授業サボっても怒らねえの? 遅刻だぞ? 遅刻? ……なあ、先生、遅刻って言葉、知ってるか?」


 机をドンッと叩く。

 給食のときとはまるで別人だ。


 ……このデブの中の“正義”がわからない。


 椎名先生が、口ごもりながら言う。


「た、田中……授業の時間には遅れないように」


 先生は悪くねえ。弱いだけだ。弱いことは、悪いことじゃねえ。


「ごめんな、先生。次から気をつけるから」


 椎名先生は苦い顔を見せた。


「だってよ、授業にはちゃんと遅れず来いよ、チーター?」


 釘を刺すような声音だった。


 今はただ、睨み返すことしかできない。……でも明日は、果たし状だ。



 お前がこの中でボスだって言うのなら、一対一の男同士の戦いを断れないはずだ。


 断った瞬間、お前はもうボスじゃない。

 ただのデカいだけの負け犬になるんだよ。


 


 +


 放課後。


「じゃあ、しつけとけ~。田中んところの爺さんに出て来られると面倒だから顔はやめとけよ? それから帰り、誰か送り届けてやれな~? ってことで佳純ちゃん、途中まで一緒に帰ろうぜ~。もうあんな馬鹿のことを気にする必要ないぜ~?」


「……そうだね」


 胸がちくりとした。――なんでかはわからない。

 二人が並んで歩いていく背中を見送るうち、じわりと胸が痛くなった。



「行くぞ」


 ノッポの声がして、背中をぽんと叩かれる。――気にすんな、とでも言うように。



 ……今日はいい。明日だ。


 明日、勝てばいい。それだけでいい。

 話はシンプルだ。


 そしたら佳純との約束だってチャラになる。

 全部、元通りになる。俺は笑って、あいつも笑って――。




 ……果たし状だよ。





















 +


 その日は、佳純がスマホを借りにくることはなかった。

 珍しいな、と思いつつも、胸の奥がちょっとだけざわつく。


 家に帰ると、爺ちゃんはもう風呂に入っていて、居間はテレビの音だけが流れていた。

 靴を脱ぎ、軋む廊下を通って自分の部屋に向かう。

 ドアを開ければ、いつも通り何もない四畳半。机の上には朝置いたままのスマホが転がっている。


 画面には見慣れない通知がいくつか並んでいた。


「……なんだよ、デイリーって。未消化?」


 ゲームか何かのミッションらしい。

 よくわかんねえけど、やらずに置いておくのも気持ち悪くて、つい消化してしまった。


 ドキドキプリンセスと七人の執事。という、聞いただけで頭が痛くなるようなアプリだった。

 暇つぶしには……まあ、丁度よかったかもしれない。


 布団に転がりながら、指先で画面をなぞっているうちに、考えはまた同じところへ戻ってくる。


 四の五のいらねえ。御託もいらねえ。

 勝てばいい。ただそれだけだ。


 なにも考える必要はない。明日、すべてが丸く収まる。

 明日だ、明日。




 ……なあ、常夏。

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