3 花火①
俺は真っすぐ剛場を睨みつけた。臨戦態勢。
最初はポカンとしていた剛場の顔が、ヤカンの中の水みたいにぶくぶくと沸き立ち――次の瞬間には、どこぞのピンク色の魔人そっくりの形相になっていた。
「カッチーン」
出てきたのは、それだけ。
すると慌てたように、ノッポを含む三人が我先にと叫びだす。
「ぼ、僕が買ってきます!」
「俺が!」
「おい転校生、何やってんだ! 早く謝れ! ジュースなら俺らが買ってくるから! 取り返しのつかないことになるぞ!」
……まるでノッポたちが俺を庇っているようにも見えた。
「カッチーン、カッチーン、カッチーン」
床を踏み鳴らす音と同時に――。
ドガッ、ドガッ――! バゴォッ!
巨体を生かした右パンチ、左パンチ、右キックで三人は秒殺される。倒れたノッポたちには見向きもせず、そのまま椅子を蹴り飛ばすと金属音が響き――。
「ミッション発令――! クソ生意気な転校生を取り押さえろ」
「「「は、はい!」」」
八人。ノッポらを抜いた残り全員が、俺めがけて雪崩みたいに突っ込んでくる。
予想外すぎて、ほんの一瞬、体が固まった。
「離せよ! おい、ふざけんな!」
洒落にならない。一人避けても、すぐ次が飛びかかってくる。押さえられた手足を振りほどいても、また別の手が絡みつく。息もできねぇ……これじゃ、多勢に無勢だ。
「離せぇえ! 離せよおおお――――ッ!」
「暴れんなって」
「状況を受け入れろよ、マヌケが」
「人数差もわかんねーとか、転校生マジでアホだろ」
「ビビって漏らすなよ? 汚ねえからな」
「痛っ、こいつまだ反抗しやがる……オラッ!」
「暴れると背中ぶっ飛ばすぞ! ああもう、やってやる!」
「こういうのは肉って肉をつねってやんのが効くんだよ」
「脚も踏んでやるぜ……おらぁ、ぐりぐりぐり!」
痛くねえ……こんなの、痛くねえよ……。
「カッチーン。カッチーン……カッッッチーン」
低く、不気味な響きが場を裂いた。
剛場だ。
口の端を吊り上げ、真っすぐこちらへ歩いてくる。まるで真打ち登場を宣言するみたいに――。
「いいか? チーター……よーく覚えとけ」
取り押さえられ、動けない俺の頬を、剛場はぐいと掴んで言った。
「この町で俺に逆らうと、こうなる」
わざとらしく拳を握り、肩を回す。
「マシーンガァァン……パァァァンチッ!」
胴へ、胴へ、胴へ――――無造作に叩き込まれる。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァ!」
一発一発が鉛みたいに重い。巨体の腕が振り下ろされるたび、肺の奥まで響く衝撃に意識がかすむ。
……でも、不思議と顔には来ない。それが唯一の救いか――。
……違うだろ。
痛くねえ……こんなの、なんともねえだろ!
あいつのドロップキックと比べたら、猫パンチも同然じゃねぇか!
だから耐えられる……こんなところで、根をあげてたまるかよ!
俺は、常夏に勝った男。“瞬足の翔太”だ!
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァ!」
……痛くなんかねえ。こんなの……痛くなんかねえよ……!
「ぐがぁはあっ……」
痛く……なんか……ねえ。……ねえんだ……。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァ!」
「ぐぐえああ……あっがはっ……」
……常夏。なぁ、常夏……。お前と比べたら……こんなやつ、どうってこと……ねえよ……。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァ!」
――……一秒が、途方もなく長い。いつ終わるのかもわからない。
痛いはずなのに、だんだん感覚が遠のき、反応が鈍くなる。
――意識が……、沈む……。
「まっ、こんなもんか。顔は目立っちまうからなあ。やらないでおいてやったぜ? 感謝しろよな」
……あぁ、終わったのか。……なんてこと、なかったな。
「……屁でもねえ」
「おいおい……まだ元気あんのかよ、チーター。俺はよ、悲しいぜ? お前のこと、ちょっとは気に入ってたんだぜ? だからよ……俺にこんな真似させんなよ」
――――ンゴォッ。
巨体の全体重を乗せた、えぐるようなボディーブロー。
「……だっはぁ……!」
さっきまでの連打なんか比じゃない。内臓を鷲掴みにされるような一撃。
「どうした? さっきまでの威勢はどこ行った? もう終わりか?」
「がっはあ……ぐがあ……」
婆ちゃんのご馳走が、喉元まで逆流してくる。……だめだ……これだけは……。
「うっ……うあ……」
寸前でこらえる。歯を食いしばって、なんとか飲み込む。
「たく……見てらんねーぜ。もうわかったろ? 土下座しろ。今回はそれで特別になかったことにしてやんよ」
――ふざけるなよ……仲間に隠れてしか殴れねえ卑怯者が……。
「……クソ食らえ」
「あ?」
一瞬、間抜けな顔をしたかと思えば……その眉間に深い皺が寄る。
「カッチーン。カッチーン。カッチーン……カッチーン! カッチーーーン!!」
怒りの熱を全身にまとい――。
「ミッション発令! 明日までにこの馬鹿を、しっかり“しつけ”とけ! 明日になっても態度が変わってなかったら……連帯責任だ! わかったら返事!!」
「「「は、はい!」」」
「ま、顔はやめとけよ〜。椎名の腑抜けも、一応は教師だからな。見て見ぬフリができるように……気遣ってやらねえと可哀想だろ?」
剛場はそのまま自分の席にふんぞり返り、肘をかけて俺をにやにやと見下ろす。
全身が軋んで、足に力が入らない。
「悪く思うなよ。自業自得だからな」
耳元にノッポの低い声。
「お前が折れた瞬間に終わりだ。折れなきゃ一生続くからな」
「殴るこっちの身にもなれよな。拳だって痛えんだぞ」
駄菓子屋でノッポの後ろにいた二人が、吐き捨てるように続けた。
「空気読めない奴は死ね。控えめに言って死ね」
「お前、もう明日から来んな。めんどくせえ」
「むしろ今すぐ東京帰れよ」
「こんだけ嫌われて学校来るとか、頭ぶっ壊れてんだろ」
「足、踏んじゃお……へへへ。走れなくしてやろ」
女子は全員、視線を逸らしたまま沈黙。
ただ一人、佳純だけが……氷のような目で俺を射抜いていた。
そこに、ようやく椎名先生がやってくる。
「こらこら。チャイムはとっくに鳴ってるぞ。いつまで遊んでる」
「あ? 遊んでねえよ?」
剛場の眼光が、空気ごと椎名先生を押し潰す。
「……そ、そうか。仲がいいのはいいことだが……チャイムが鳴ったら席につけよ」
「へーい」
不気味な笑みを浮かべながら、軽く手を振る剛場。
椎名先生は、足を引きずりながら席に戻る俺を一瞬だけ見た。
――戸惑いを帯びた瞳が、焦るように逸れた。
……そっか。
二時間目が終われば、また躾けとやらが始まる。
捕まる前に廊下へ飛び出せば逃げ切れる。誰も俺にはついてこれない。
でも、しなかった。
瞬足の翔太が逃げたとなれば、あいつに顔向けできなくなる。
それに、こんなのちっとも痛くねえ。
剛場は、この中じゃ頭ひとつ飛び抜けた存在かもしれない。
けど、取り巻き連中なんざ数こそ多いが、一人一人の戦闘力はノミみたいなもんだ。
――だから、好きにやらせてやる。
教室の隅。壁際に押しやられ、ぐるりと囲まれる。
「妙に素直じゃねーか? こりゃ思ったより早く終わるな」
「ぎゃーぎゃーうるせえ奴だと思ったのに、こりゃ傑作だ」
「すぐ折れるようなら死ね! 控えめに言って死ねえっ!」
「誰の許可とって歩いてるんだよ? 踏んでやろ。ぐりぐりぐり」
三時間目も、同じようにタコ殴り。
四時間目が終われば給食――。でも、俺の分はよそわれなかった。
そうくるかと思い、教室を出ようとした、その時。
「……ださ。受け入れるんだ?」
背後から、静観を決め込んでいた佳純の声。
振り返るより先に、剛場が何かに気づいたように机をドンッと叩きつけた。
「つまんねぇことしてんじゃねぇよ! 誰だ、やった奴は。出てこい」
低く、抑えた声に教室の空気が張りつめる。
「三秒数える。名乗り出ねえなら全員、ぶっ飛ばす」
「……さん」
「……に」
「――」
「ぼ、ぼくですっ!」
名乗り出た瞬間、剛場がゆっくりと歩み寄る。
巨体が落とす影が、みるみる相手を覆っていく。
そして、有無を言わせず殴り飛ばした。
「おい、これは虐めじゃねえんだよ? “しつけ”なんだ。わかってんのか?」
そこへ、椎名先生がおそるおそる口を挟む。
「ご、剛場……ぼ、暴力は……や、やめなさい」
剛場はゆっくりと首を傾け、薄く笑った。
「なあ先生、チーターに給食がよそわれなかったの、見てたんじゃねーの? 配膳持って、戻して、廊下に出ていく生徒を……普通、見逃すか? なあ、おい? 飛ばしてやろうか?」
椎名先生の顔色がみるみる青ざめる。
「い、いや……き、気づかなかった……ほ、本当だ……見てたら……注意してる」
「そうか。じゃあ先生、トイレ行ってきていいぞ? 腹、壊してんだろ?」
「あ……ああ、そうだな……」
椎名先生が教室からでるとすぐさま
「よし、と。歯、食いしばれ。てめえは顔面パンチだ」
真っ青になり、全身をがくがく震わせ
「ひひひひ、控えめに言って……控えめに言って…………ぼ、ぼく、死――――」
ドカッ、ベゴッ――! バゴォン!
一発殴り、吹っ飛んだところを胸倉つかんで、さらに三発叩き込む。
最後にみぞおちへ蹴りをぶち込み、ひょろい体が情けない弧を描いて後方へ飛んだ――。
背中から古びたドアに激突。枠ごとガタリと揺れ、ガラスが派手に砕け散った。
破片が床に散らばり、ざらざらと不気味な音を立てる。
「いいか? もう一回言うぞ? これは虐めじゃねえ。しつけだ」
廊下に転がったひょろちびは、腕や肩に細かなガラス片をつけたまま、擦り傷からじわりと赤い筋をにじませ、苦しげに震える声を絞り出す。
「は、はい……ありがぐがああっ……ど、ど、ご……ざ……い……ず」
お礼を言いながら、まだ腰を抜かしたままの姿は狂気そのものだ。
「てめえらもわかったら返事しろ!」
「は、はい!」
教室に張り詰めた空気が、誰も逆らえない色をしていた。
剛場がその支配者であることを、全員が思い知らされている。
その剛場が、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。
「悪ぃなチーター。俺の牛乳やるから、今日のところは勘弁な」
……恐ろしいものを見た気がした。
こいつの中に、正義なんてものが潜んでいるなんて――。




