2 伝説の翔太ファミリー鹿児島支部①
『ただまー! 今帰ってきたよー、バカ翔太!』
『遅っ。俺様からのメッセージが来たら二秒で返せっての』
『馬鹿じゃん。相変わらずバカそうで安心した』
『はんっ。お前もバカそうで安心したぜ』
『ねぇー! なんでそうやって翔太はすぐバカって言うの?』
『いや、それはお前だろ?!』
『わたしはいーの! でも翔太はダメー! ふふんっ』
こいつはすげえや。
画面越しなのに、すぐそばにいるみたいだ。
なぁ、常夏。会いてぇよ。今日会ったばっかだってのに、こんなこと言ったら驚くかもしれねえけど……。
『はぁ? なんでだよ?』
『それは翔太が翔太だからー!』
『まじで意味わかんねーっての!』
会いてえ。
会いてえよ……なぁ、常夏。
嘘をつかずにメッセージを送れたのは、最初の日だけだった。
いつからだったか、会いたい気持ちは消えていた。
会うのが、怖くなっていた。
どうにもならない現実だけが、目の前にあった。
それでも、お前が好きだった。
好きだから進むしかなかった。
止まったらもう二度と、会えなくなるとわかっていたから。
止まらなくても、もう――、会えないとわかっていたのに。
+
鹿児島に来て、一週間が過ぎた。
春休みも折り返し地点を越えて、退屈な日々は終わりのカウントダウンに入っていた。
「ね〜、うち行こうよ〜。広いし、ごろごろできるし〜」
「畳の上でだってごろごろできる。嫌なら帰れ」
「痛いし無理~。じゃあさ、スマホ貸して」
「ダメだっつってんだろ! 俺の目の届くとこでしか貸さねえ!」
──このやりとり、もう何回目かわからないんだよな。
ここ三日ほど、佳純は毎日のようにうちに入り浸っている。お目当ては俺のスマホだ。
最初は“地元案内してくれたお礼”に加えて、ちょうどこいつの誕生日だったから、仕方なく貸すことにしたんだけど──ここ二日は案内なんてそっちのけ。
今じゃ俺よりよっぽど使いこなしてる。
……むしろ、操作を教えてもらってる始末だ。
「頑固だね~。今ならお菓子もつけるよ? 広い部屋でお菓子食べて、ふかふかベッドの上でごろごろして、隣には可愛い可愛い佳純ちゃんがいるの。想像してみ? 夢みたいじゃない?」
「畳の上で塩握り。最高!」
「げぇ~。そういうとこ、全然シティボーイっぽくないんだよなぁ。なんか謎だよね、君って」
「つーか、買ってもらえよ。1円スマホとかゼロ円スマホとかたくさんあんだろ?」
「買ってもらえるわけないじゃん。まだ三年生だし。それにここ、クソ田舎だよ?」
出た、クソ田舎。初めて聞いたときは驚いたけど、今じゃすっかり聞き慣れた。こいつの口癖だ。
「ほら、うちのお母さんってさ、お店やってんじゃん? わたしがスマホ持ってたら、それだけで素行が悪いとか始まるわけ。そう思うとさー、翔太くんってほんとチートだよね」
どうやら──。爺ちゃんは世間体の外側にいるらしい。自由奔放というか、年功序列というか。よくはわかんねぇけど、たぶんそんな感じだ。すぐにキレる性格が、功を奏してんのか災いしてんのかは知らねぇけど。
「なんか、めんどくせえよな」
この町は、なんつーか──みんな顔見知りみたいな空気がある。
すれ違うたびに挨拶が飛んでくるのが当たり前で、俺が住んでた埼玉じゃちょっと考えられないんだよな。
「ねぇ~。ってことで、うち行こっか?」
「だから行かねえって!」
こいつのことは相変わらず苦手なタイプだし、嫌いなのは変わんねえ。
……でも、一緒にいても不思議と嫌じゃないんだよな。……なんかもうよく、わかんねぇや。
+
『今日は駄菓子屋に行ったら、新学期を共にする同級生らしき集団に会ったぜ』
『へぇ、仲良くなれた? 翔太は意外と人見知りだからなー』
『んなっ?! 馬鹿言ってんじゃねぇよ! さっそく俺様の瞬足っぷりを見せつけてやったら、全員が翔太様って讃えてきやがったぜ!』
『見せつけるって……翔太は弱っちいんだから無理しないの!』
『はぁ? 俺様に負けておいてどの口が言ってんだよ!』
『もぉ。お姉ちゃんとして弟くんに勝ちを譲ってあげてただけなのに』
『ああそうかよ。勝手に言ってろ。まっ、この調子なら俺様が一番になる日も近いな』
『だーかーら。無理だけはしないでね? 翔太をやっつけていいのはわたしだけなんだから』
『はん。俺様を傷つけられるやつはどこにもいねえぜ! 』
『喧嘩とかやめてほしいなー。翔太を殴ってもいいのはわたしだけの特権だったのに』
『俺様は瞬足だぜ? 鹿児島連中のぬるいパンチなんか止まって見えるっての。喧嘩にすらならねーよ。まっ、お前くらいだぜ? 俺様にパンチ当てられるのは。誇れよ、これでも認めてやってんだからな』
『はいはい。怪我だけは気を付けてよ? お姉ちゃんはそれだけが心配です』
『勝手に言ってろ! まっ、友達100人っつーか! 伝説の翔太ファミリー100人が、鹿児島を統べる日も近ぇな。ボスの座は、もう決まったようなもんだぜ』
+
「ていうかさ、翔太くんってお小遣いいくらもらってるの?」
「うちはそういうのねーよ。今まで一度ももらったことないし」
佳純の目がまん丸になる。今にも「え?」って声が出そうな顔だ。
「まじ? こーんなに良いスマホ使ってて、お小遣いなしとか意味わかんないんだけど。……あ、もしかして好きなときに好きなだけもらえちゃう感じ?」
「ん? なんだそれ。どこのブルジョワだよ?」
ぴんと来ない俺に、佳純は眉間にしわを寄せた。
「え。じゃあさ、今いくら持ってるの?」
「ないぞ?」
「はぁ~? お年玉は? 残さないで使っちゃうタイプ?」
「いや、俺んちにお年玉システムはなかったな」
当たり前のように口にすると、佳純は一瞬、息をのんで、なんとも言えない顔になった。
「あーね? ふぅん。ごめん、ちょっと意味わからないかも? 一旦整理させて⋯⋯⋯⋯⋯⋯えっと、東京の人ってこういうの多いの? それとも君が特別なの?」
「うーん。特別なんじゃん?」
からかうつもりはなかった。けど、佳純の目がスッと細くなる。
「……なんか前にも似たようなセリフ聞いたけど、そんときはもっと格好良かった気がしたんだけどな〜気のせいだったかなぁ」
な、なんなんだよ……こいつ……。
「べ、別に金なんかいらねー。欲しいと思ったこともねーし!」
駄菓子屋に行けば、なぜかお菓子が集まってくるし。金がなくても、毎日は十分楽しかったからな。
「あぁね。今日は駄菓子屋に連れて行ってあげようかなって思ったんだけど、お金ないっていうんなら無理そうだね」
「おっ駄菓子屋! 久々に行きてえなあ!」
思わず目が輝くと、またもや目がスッと細くなる。
「いやだから君……お金ないんでしょ?」
「お金なんかなくたっていいよ! 行こうぜ駄菓子屋!」
婆ちゃんが毎日ご馳走作ってくれるから、腹は減ってないしな!
「いや、君さ——」
言いかけて、少し考えるそぶりを見せると、
「はあ。佳純ちゃんはね〜、男に貢ぐ趣味はないんだけど……仕方ないから連れてってあげる。でも、そのかわり、帰りは佳純ちゃん家に寄ること! 約束できる?」
いたずらっぽく笑い、したり顔で指をピンと立てた。
「いやいや、奢ってくれなくていいよ! 俺、隣で見てるだけでいいから。駄菓子屋の雰囲気が好きなんだよなぁ」
「……いや、正気? ほんっと君って掴みどころないよね〜。ま、どのみち帰りはうちに来るってことで。じゃないと連れてってあげな〜い」
「げぇ〜、マジかよ……。でも駄菓子屋……行きてぇかんな……」
頭を抱えながらも、気持ちはもう完全に駄菓子屋モード。
「『げぇ〜』って何?! クラスの男子だったらさ、佳純ちゃんに『家来る?』なんて言われた瞬間、鼻血出して気絶するレベルだからね?! ……ま、誘わないけどね!」
なに言ってんだこいつ……。
「……まあ、しゃあない。今日だけ、特別だかんな!」
「なーんかムカつくね、君!」
+
駄菓子屋に着くなり、俺は声を張り上げた。
「うおおおおお!! これこれ! なあ佳純、俺、これ食いてえ!」
ソースせんべい。これだよこれ! よく食ったよなあ……腹持ちいいのなんのって。
「あーれー? お金なんかなくてもいいとか言ってたのに、もう矛盾してるじゃん? まぁ、今日だけじゃなくて明日もうちに来るなら買ってあげるけど?」
「うっ……こればかりは仕方ない……」
「はい決まりー! まいどありー! 他にも欲しいのあったら遠慮なく言ってね! 明後日も明々後日もうちに来るって約束してくれれば、なーんでも買ってあげるからぁ!」
「お、おう……」
……完全に、上手いことやられてる。でもこればかりは仕方ねぇ。そういや昔も、みんなよくタダでお菓子くれたよな。特にそろばん君なんて、毎回山ほどくれたっけ……。
思い出に浸りつつ、ソースせんべいを最後の一枚まで噛みしめた。指先のソースをぺろりと舐めて、ふたたび棚へ目をやると――。
「って、おいおい! これは!」
「なぁになぁに? どれが欲しいのかな〜、しょーたくん?」
「ほ、欲しいけど……ブ、ブタメンは……さすがに無理だよな……。ここはラーメン太郎で……我慢するか」
あまりの懐かしさに、ついはしゃいじまう。鹿児島に来てまだ一週間なのに、棚にはあっちと変わらない駄菓子がぎっしりだ。
今思えば不思議なもんだ。
学校が休みの日、朝飯の強奪に失敗して、すがるように駄菓子屋へ行くと……決まってそろばん君がブタメンくれたんだよな。
ブタメンっつったらスープ一口の取り合いで血みどろの争いが起こる高級品だってのに……本当に世話になったよなあ。
――と思ったら、目の前にそれが差し出されてきた。まるで昔みたいに。
「違う違う。君が食べたいのは、こっち! ブタメンでしょ?」
「……い、いいのか?!」
「明日も明後日も佳純ちゃん家に来るなら、買ってあげないこともない!」
「……くっ……い、い……いく!」
「はーい、まいどありー!」
婆ちゃんのご馳走で腹は満たされてるのに、それでも食いたくなっちまうんだから、不思議なもんだ……。またいつか、みんなに会いてえな。
そして、お湯を注いで一分。湯気と香りが鼻をくすぐる、ブタメンの食べ頃だ。
「これだこれこれ、たまんねぇな!!」
「めっちゃ美味しそうに食べるじゃん」
「なんだろうなぁ……こればかりは、俺にとってマイ・ソウルフードってやつかもしれねぇ」
湯気の向こう、ほんのり甘じょっぱい香りが鼻をくすぐる。思わず、あの頃の駄菓子屋での争奪戦を思い出しながら、俺はカップを佳純の方へ突き出した。
「ほら、一口やるよ!」
「えっ?! いやいや、いいし。だ、だって君の食べかけ……」
佳純は落ち着かない様子で髪先を指に巻きつけ、ちらっと俺を見るも、すぐに視線を逸らした。
「はぁ? なに遠慮してんだよ! 買い与えた手前、もわうのは申し訳ないってか? 違うだろ! ブタメンっつったらみんなで食うもんだろうが! スープの取り合いで病院送りになる奴もいたくらいなんだぞ! ひとり占めしたら死人が出るっつーの!」
俺の勢いに観念したように「……じゃあ一口だけ」と、カップと箸を受け取ると、ちょびっとだけ食べて、わざとらしく咳払いしてそっぽを向いてしまった。
ここに来て俺は、もうひとつの可能性に気づく。
「あれ……もしかしてブタメンのとんこつ味、好きじゃねえのか? カレー派だったか?」
「べ、べつに嫌いじゃないよ……」
「そっかそっか! 良かった。ならスープも飲めよ! うんめぇから!」
「っ……!?!?」
佳純の肩がびくっと跳ね、そのまま盛大にむせた。
「ちょ、おま! なんてタイミングでむせてんだよ! ほら、スープこぼれちまったじゃねえか! もったいねえ!!」
俺が慌ててカップを覗き込むと、佳純はカップから顔を離し、両手で口元を隠すと、そのままそっぽを向いた。
「ひょっとして顔に掛かっちまったか? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから。残りは君が食べて。……ね?」
「そうか? じゃあ遠慮なく」
こりゃ間違いねえわ。確実にカレー派だな。
しゃあねえ。次があったらカレーにすっか。
ブタメンを食べ終えれば、心も腹も大満足。
次はなにがいいかなぁ……と考えた瞬間、はっと思い出す。そうだ、一個食うたびに佳純ん家に行かなきゃいけないんだった!!
……よし、今日はこのへんでごちそうさまだな。
満ち足りた余韻にひたりつつ、周りに目をやる。
……あれ、静かだな。駄菓子屋ってもっと、ガヤガヤしてるもんじゃなかったっけ。
「そういや、他に誰も来ないんだな?」
「そだね。今日は剛場が家の用事で、この辺にいないって聞いたからねー。だから遊びに来れるかなって思ったの」
「……剛場」
鼻をツンとされ、短く告げられる。
「剛場には逆らわない」
「……お、おう」
「そもそも人いないからね~。どうせ翔太くんの通ってた小学校って、何百人っていたんでしょ? こっちは全校生徒で六十人もいないからねぇ」
「え、ええええええええええ」
「予想通りの反応すぎて、なんて言ったらいいかわからないね? ていうか君、こっちに越してきたっていうのに、なにも聞かされてないよね?」
「……まあな。朝起きて学校行こうとしたら、鹿児島行くぞって言われて来たからな」
「なにそれ……君って本当に、謎」
佳純の笑い声が、やけに遠く聞こえた。胸の奥が、ちくりと痛む。
──鬼に捨てられた。それだけのことを、わざわざ口にする気にはなれなかった。
駄菓子屋の空気に浸って、ついつい時間を忘れていた。
棚から漂う駄菓子の匂い、外から差し込む春の光。こんな時間が、ずっと続けばいいのに──そう思っていた、その時だ。
「か、佳純ちゃん!」
入口から三人組の男子が現れた。見た感じ、俺たちと同じくらいの年。
その中で一番背の高いノッポが、もじもじしながら近づいてくる。
「あー、ごめんね? 今ここ貸し切りだから。三十分後くらいに来直して? いいよね、おばちゃん?」
駄菓子屋のおばちゃんは、にこっと笑ってうなずいた。
「そ、そっか……でも、そいつ」
ノッポの視線が俺に刺さる。もじもじしていた顔が一転、あからさまに敵意を帯びた。
「帰れって言ったの、聞こえなかった? それともなに? 同じこと二回も言わせんの?」
「ご、ごめん。でもいくら佳純ちゃんでも、これはまずいって」
後ろの二人も顔をこわばらせ、俺をじっと見てくる。
「ふぅん。──帰れよ?」
声は小さいのに、空気が一瞬で冷えた。
その瞳は、冷たい刃のように細く光る。──さっきまでの佳純とは、まるで別人だった。
「い、いや……ごめん……」
「…………ンゴ」
「……ご、ごめんなさい」
三人は縮こまり、足音も立てずに外へ出て行った。
まるで寸劇でも見ているようだった。いや、寸劇っていうより……見てるこっちが背筋冷えるやつ。
「なんか感じ悪くね?!」
「剛場の手下っていうか、使いっぱだからね〜」
「違う違う! お前だよ、お前!」
「はぁ? わたし? なにそれ! ほんと君って、面白いね」
いやいや、どう見たってお前だろ……。
まあでも、確かにあいつらの俺を見る目つきも相当だった。友達にはなれなさそうだな。……はぁ。
「でもね、わたしの予想だと翔太くん、剛場には気に入られると思うんだよね。普通に友達っぽくなれるんじゃないかなって」
「ん?」
「でもさ、あいつ、君よりずっとガキだから。君が大人にならないとだめだよ」
「なんだそれ。まあ見ての通り、俺は大人だけどな!」
「あそ。まあ、でも? 指切りしたからね。佳純ちゃんは君を信じることにしたの。……裏切らないでよね?」
まーた、そういう顔するんだよな。
「あぁ、いいぜ」
だから勝ちゃいいだけの、シンプルな話だろって――。




