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1ー③



 父ちゃんは仕事が残っているらしく、「夕飯くらい食べていきなさい」という婆ちゃんの誘いも断って帰ってしまった。ただ、帰り際に父ちゃんがこう言ったんだ。


「必ず迎えに来るから」


 そして俺の頭をぽんぽんと撫でた。だから俺は言ってやった。


「父ちゃんは父ちゃんの好きに生きてくれよ。俺なら大丈夫だ! 心配すんな!」


 そしたら父ちゃんってば、また――。


「……すまない」


 なんて下を向いちまってさ。すかさず爺ちゃんに頭を引っぱたかれてたよ。


 なんかよくわからねえけど、すっげえ仲良しに見えた。これが親子ってやつなのだろうか。俺と父ちゃんも、いつかこんな風になれるのかな。……なれたらいいな。





 そんなこんなで、鹿児島での生活がはじまった。



 俺の寝床になったのは二階の奥の部屋。昔、父ちゃんが使っていた部屋らしい。

 畳は少しだけ湿っぽくて、土壁には古い傷が残っていた。古びた机にちょっとだけ父ちゃんを感じた。気のせいか、父ちゃんがすぐそばにいるような気がした。


 婆ちゃんは毎日、信じられないくらいのご馳走を用意してくれた。煮物に焼き魚、炊き込みご飯に味噌汁、そして名産らしい海の幸!

 どれもこれも給食で出てくるようなものや鬼が食べ残したものとはまるで違った。


 テレビや常夏ん家で見たような、夢にまで見た組み合わせばかりだった。

 特に一番驚いたのが唐揚げ&ポテト! そんなの俺の人生じゃ一度も並んだことのない黄金タッグだ。それが何も言わずに当たり前のように食卓に並べられるってんだから驚いたよ。……なんなんだよ、これ。ここ、天国か? ってな!


 そういや父ちゃんが言ってたな。


 ――毎日好きなものだって食べられるぞ。


 冗談だと思ってた。

 大層な夢を語り出しちまったなって、笑い飛ばしちまった。


 でも違った。ここでの暮らしは本当に夢そのものだった。


 だからこそ、爺ちゃんの言葉が身に染みる。


 ――「タダ飯食らいは許さねえ!」


 ……だってのに、俺と来たらさ。

 料理はほとんどやったことがなくて、手伝おうにも包丁の持ち方から「あぶねえ!」ってダメ出しされる始末。


 結局。まともにできたのは洗い物くらいで、俺の貢献なんて、その程度。


 それでも、朝起きたら必ずあったかいごはんが用意されている。

 昼まで腹がもつのは不思議だったし、こんなにも身体が軽いのは初めてだった。


 だからこそ、婆ちゃんの役に立ちたかった。

 ……でも、料理はできねえ。洗い物だけじゃ物足りない。


 あぁ……、どうすりゃいいんだよ……。


 そんなことを考えながら、昼下がりの居間でゴロゴロしてたら――。

 不意に、声をかけられた。


「翔太おめえ、ずいぶん家事の手際がいいらしいじゃねえか。婆さんが驚いてたぞ。掃除に洗濯、その手際の良さときたらよ」

「家事? 料理はてんでできねえよ……。俺、毎日ただ飯ばっか食って申し訳ねぇよ……しかも超うめぇしよ……」

「あん? 掃除に洗濯してんべ? なにがだめなんだ?」

「へ? そんなのは当たり前だろ? なに言ってんだ爺ちゃん」

「ああ?! バッキャロー! 子供は遊ぶのが仕事だっつーのによ。おめえと来たら! 遊びもしねえで、婆さんの手伝いばっかしやがってからに! 家中ぴかぴかじゃあねえかよ!」


「いてっ! ちょ、な、なにすんだよ?!」

「遊んでこー! いげえっ!」

「ちょっ、なんだよ?! や、やめっっ」


 いったい何が爺ちゃんの癇に障ったのか――。

 よく分からないまま、俺は家を飛び出していた。


 でも、行くあてなんてどこにもない。

 この土地のことなんか、何一つ知らないんだから。


 遊び場がどこにあるのかも分からないし、そもそも誰一人として知ってる奴なんかいない。


「遊ぶっつってもなあ……」


 ぽつりと漏らした声は、あっけなく風に流されていく。返事なんて、もちろんない。ただ一人、知らない坂道をとぼとぼと下っていく。


 静かだ。耳が痛くなるくらいに。

 遠くから聞こえるのは、海の匂いと、名前も知らない鳥の声だけ。


 そうして俺は、家の周辺をぐるぐると歩き回った。何かを探すように。何も見つからないと知りながら、それでも足を止められなかった。


 すると――。


「シティーボーイー!」


 唐突な声に、ぴくっと肩が跳ねた。

 そういや一人だけ居たな。知ってる奴。

 声のした方を見上げると、二階の窓から顔を出していたのは、やっぱりあの女だった。


 じわっとにじんでいた背中に、別の汗が追加される。


「……いや、だから!」


 途中まで言いかけて、やめた。


 シティーボーイってなんだよって言おうと思ったけど、たぶん言い方からして東京が絡んでそうなんだよな。

 

 俺は東京じゃなくて、埼玉。

 父ちゃんの職場はたぶん東京なんだろうけど……。


 わざわざ説明するのもなんか変だし。

 それに言ったら爺ちゃんの立場がなくなっちまう。シティボーイって自慢気に言いふらしてるみたいだしな……。


 つーか爺ちゃんも俺が埼玉って知らなさそうなんだよな。……もう笑うしかねー。はは……。


 肩を落としていると再び二階の窓から、声が落ちてきた。


「なーにしてんのっ?」

「なにも。あえて言うなら暇してる」

「ひょっとして誘ってんのー?」

「ば、ばっか! んなわけ!」

「あはは。焦っちゃってわかりやすー。ちょっとそこで待ってて」


 正直、苦手なタイプだった。

 好きか嫌いかって言われれば、まあ嫌いなんだけどそれ以上に苦手。


 もっぱら俺と言えば、女子からは嫌われ者で通ってたからな。まあ戦争してたし、仕方ねえさ。


 だからこうしてフレンドリーに来られるのは、違和感しかない。


 まぁ、待つ必要なんてないし。どっか行くか。……とは思うも行くあてがないのが今日の俺。


 そういえば、名前なんつったかな。なんて思っているとすぐに答えは飛んできた。


「じゃーん! 佳純ちゃん登場っ!」

「お、おう」

「東京生まれ東京育ちのシティーボーイに、このクソ田舎を案内してあげましょー!」

「お、おう?」


 ん? 今、クソって言ったのか。さすがに聞き間違いか。


 なんて思っていると、「こっちこっち、神社いくよー!」と軽やかに言い放ち、歩き出していた。

 慌てて追いかけて、気づけば並んで歩くかたちになる……ん? 微妙に、俺より背が高いのか? おいおい、まじかよ……。冗談じゃねえぞ……。


「ていうかさー、シティーボーイも散々だよねえ。こーんなクソ田舎に連れて来られて」


 ――って、聞き間違いじゃなかった!


「そうか? いい所だと思うけどな」


 毎日ご馳走食えるし、常夏に会えないことを除けばパラダイスだろ。


「へぇ、田舎で空気も美味しくて最高ってわけ?」

「べつに。そんなんじゃねぇよ。毎日、婆ちゃんの美味ぇ飯が食えるから、それだけだ」


「なっっっっにそれ! シティーボーイ、面白すぎ!」


「つーかお前な。俺の名前は翔太。シティーボーイなんて名前じゃねーから」

「あーはいはい翔太くんね。了解でーす! ちなみにわたしも“お前”じゃないからね? 佳純ちゃんって呼ぶよーに!」


 本当に苦手なタイプだ。

 恐れも遠慮もまるでなし。……あいつじゃあるまいし、まじで勘弁してくれ……。


 いいようにペースに飲まれないように気を付けねーと。


「佳純ね。おっけー」


「あー……呼び捨て、かぁ……。それはちょっとまずいかも? まあ、二人きりのときならいいけど。学校始まったら佳純ちゃんって呼ぶこと!」


「いや、ちゃんとか付けて呼ぶ趣味ねーし」


「いやいや、冗談抜きで忠告してるの。わたし、翔太くんのこと嫌いじゃないし? てか、シティーボーイってだけで好感度チート級だからさ」


 マジで何言ってんだこの女……。


「佳純ちゃん呼びが嫌なら、苗字で晴海さんでもいいけど、どうせガキだから“さん”付けで呼ぶのも嫌なんでしょ? ってことで名前呼ぶの禁止。ちなみに、お前呼びもNGワードなんで覚えておくように!」


「はあ? 意味がわからねえんだけど? なにそのルール?」


 つーかさらっとガキ扱いしやがって……。まあ確かに、苗字にさん付けとか呼びたくねえけどさ……。


「ん? みてわからない? わたし、超可愛いでしょ?」


「お、おう……?」


 マジで何言ってんだよ、この女……。


「みーんな、わたしのこと好きになっちゃうの。いわゆるモテモテってやつ? でさ、ちょっと、うるさいのがいるんだよね。とびきりうるさいのがさ」


 ふーん。そういうことか。


「なんだよ。そういうのなら構わねーよ。……ひとつだけ確認な。佳純は、そいつのこと好きなのか?」


「え、大嫌いだけど? 好きとかないない。むりむり!」


「じゃあ話は早ぇな。俺がそいつんこと、やっつけてやるよ。だから“ちゃん”付けの件はチャラな」


 佳純は一瞬きょとんとしたかと思えば、急に吹き出して、くっと肩を揺らして笑い出した。


 そして。

 笑いが止まると、空気が変わった。

 

「……ほんと、君って面白いね。東京の人だから? それとも、君が特別なの?」


 背筋に、冷たいものが這い上がる。

 軽さのあった笑顔が、一瞬で“別物”になっていた。


「……わかんねぇけど。特別なんじゃん」


「ふーん……じゃあ忠告。剛場ごうばには逆らわないこと。それが、この島でうまくやっていくコツ」


 言葉は淡々としていたけど、

 その目だけが冗談を許さない色をしていた。


「ちゃんと約束してくれるなら、そーだなぁ……」


 人差し指を、俺の唇に当てて。


「――キス、してあげる」


「はぁ?! なっ、なに言ってんだお前?!」

「ふふっ、反応かわいすぎ~。冗談に決まってんじゃん! 翔太くんって本当にガキだよねえ」


 けらけらと笑う声は、またさっきまでの“軽さ”を取り戻したように見えた。……けど、俺はもう笑えなかった。


「……まっ、冗談はさておき。君のこと、気に入っちゃったからさ」


「は……?」


 冗談の、冗談……? つまりどっちだよ?!


「君になら、ファーストキスをあげてもいいくらい、守ってあげたくなっちゃったの」


 するとまた――。人差し指で、そっと――。今度は唇をなぞられた。


「この乙女心、わからないかなぁ?」


「わ、わ、わっかるわけねぇだろ!!」


 やばい。こいつ、さっきから何考えてんだ――!


 この女はだめだ。危険だ。


「じゃあ、わからなくてもいいからさ。剛場には逆らわない。約束できる?」


 そのくせ、なんでそんな顔するんだよ。

 なんで――。そんな、切ない顔をするんだよ。


「わ、わかんねぇよ。嫌な奴だったら仲良くなんてできねぇし。それにお前だって大嫌いなんだろ? そいつのこと」


「そっか。見たくないなぁ。君がボロボロになるところ」


 その言葉には、妙に現実味があった。

 まるで――。すでに全部、見えているかのようで恐ろしさすら感じる。


 だから――。


「悪いが俺は、前の学校じゃ瞬足の翔太って言われててな。誰も逆らえない学年のバーサーカーをもねじ伏せた男だ。みんなは俺を光輝く一等星カシオペアと崇めた。だから、期待には応えてやれそうもないが?」


「……そっか」


 ぽつりと返されたその声には、さっきの切なげな響きがまだ残っていた。

 その目は、先ほどと寸分たがわず、まるで俺がボロボロになる未来を見ているようだった。


 ……意味わかんねぇ。


 まあ、要は勝ちゃいいんだろ? 簡単な話じゃねーか。


 剛場って奴が何者なのかは知らねえが、俺は常夏と唯一渡り合える存在。負けるわけがない。


 ……なあ、常夏。

 俺らも、舐められたもんだよな。困っちまうよなあ、ったく。


 ま、ここで俺が返事をしなきゃ、こいつの笑顔は戻らねぇ。


 俺は光り輝く一等星、カシオペア。

 女の笑顔も守れないような、ヤワな男じゃねえ。


 だから――。


「まぁ。お前がそこまで言うなら、約束してやってもいーよ」


 約束を反故にしても、俺が勝ちゃいい。


 シンプルな話だろ?


「ふぅん。嘘つきって顔に書いてあるけど? でも、信じてあげる。そのかわり、指切りね? わたし、約束守れない男は大嫌いだから。先に言っておいてあげる」


「ああ、いいぜ!」



 ……この時の俺は、傲っていた。

 常夏と唯一渡り合える――。その自信が、すべての間違いだったのかもしれない。



 井の中の蛙、大海を知らず。



 ここから先は、地獄だった。



 思えば俺は、あの頃からずっと、嘘ばかり吐いていた。 


 









 +


 なぁ、佳純。

 お前が居てくれたから、たぶん俺は今もまだ、生きている。



 でもさ、あの日。

 お前がくれた生きる理由。高校の入学式でなくなっちまったんだよ。


 それで今、俺が生きてる理由ってのは――――。



 きっと、お前が知ったら怒るだろうな。

 それとも、鹿児島に連れて帰ろうとするか?


 ……本音を言うとさ、俺、もう……疲れちまったんだよ。


 お前には、全部透けて見えてそうで……。


 それだけが、ちょっと、怖いよ――。





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