1 じゃーん! 佳純ちゃん登場っ!①
「やっべぇ! 父ちゃん見てみろよ、雲の上だぞ?! 俺ら飛んでんぞ!!」
「……そうだな。こうして翔太と一緒に空を飛べて父さんは……父さんはな……」
「おいおい、父ちゃんよ? そうやってすぐにしんみりするのはやめようぜ? な? 空の旅、超楽しい! いえーい! だろ? ほら言ってくれよ、いえーい!」
「お、あ……い、いえ……ーい!」
「お、おう。なんか無理させちまったみたいで、ごめん……」
「……あ、ああ、そ、そう見えたか? す、すまん。ま、まあ何か欲しいものがあれば遠慮なく言うんだぞ。機内食のお菓子やジュースも好きに頼んでいいんだからな」
「ん? だからいいって食いもんは。プリン食ったからしばらく何もいらねー。つーかもう、おなかいっぱい! へへ」
まさかこんなにも笑顔で鹿児島へ行けるとは思ってもいなかった。
――最終戦績、一五六勝一五〇敗。
最後の勝負は本気でぶつかった。
ちゃんとお別れをして、再会を誓った。
大粒の雨が止むと、どちらからともなく言葉もなく、お互いほんの少しだけ「ふっ」と、気まずそうに笑って、拳をそっとぶつけて――。
俺たちはぶつかった。
いままでで一番激しかったかもしれない。
そんで俺は勝っちまった。
あいつは悔しそうにする素振りも見せず、何度目かわからない言葉を、最高の笑顔で言った。
「勝ち逃げは許さない」
……まったく。ふざけた野郎だよ。
この期に及んで、わざと負けやがって。
おまけに、お、俺に――。ぷ、プリンを「あーん」とかしてきやがってからに……!
ほ、ほんとに、困ったやつだよ。
ま、まあ……だから、あれだな。あれだよ、あれ。
負ける必要なんてなかったんだ。あいつは負けず嫌いだからな。
俺が勝ち続ける限り、どこかでまた、いつか。……必ず会える。
俺とお前は戦友で、宿敵と書いて『トモ』だからな!
でも――。
ひとつだけ、嘘をついてしまった。
なんで、あんな嘘をついたのか。
……まあ、日頃から嘘ばっかついてるからな。身から出た錆ってやつだ。
……違うな。今回ばかりは、望んじまったんだ。
お前と、もっと話していたいって。
少しでも、お前を近くに感じていたいって。
だから、正直に話すっきゃねえ!
「と、父ちゃん」
ポケットで握りしめていた紙切れを、勢いよく差し出す。
「こ、これ! と、常夏の……で、電話番号! 聞いたんだ……!」
「おっ、連絡先交換したのか! 気軽に会える距離じゃないけど……翔太が望むなら、こうして飛行機に乗って、旅行になるが……帰ってくることだってできるんだからな」
「お、おう……でも、そうじゃねえんだ。お、お、俺!」
「どうしたんだ……?」
「す、す、す……」
「す……?」
「っっス――。マホが欲しいんだ!!」
「……まったく。改まるから何かと思えば。そんなことか」
なんだよ、その呆れ口調……くっ、だめだ。ここで引き下がるわけにはいかない。
常夏と約束したんだ。連絡するって、約束しちまったんだ。スマホ買ってもらえるって、言っちまったんだよ!
「頼むよ。そこをどうにか父ちゃん頼む……! 一生のお願いだ。俺、大きくなってバイトできるようになったらスマホ代も通信費も、全部ぜんぶみんな必ず返すから……! 買ってくれなんて言わねえ。貸してくれ……頼む……!」
「翔太……なにを馬鹿なことを言ってるんだ。返すとか借りるとか、そういう寂しいことは今後一切言わないと約束しなさい」
「で、できねえ。スマホがないと、スマホがないと、俺……。頼むっ。必ず返すから! 後生だよ、父ちゃん……」
「……スマホは買う。最新の一番いいやつを買おう」
「え……?」
「でも、貸すとか借りるとかじゃないんだ。いいか、翔太。欲しいものは“欲しい”って言えばいい。それだけのことなんだよ」
「と、父ちゃん……! わかったよ! でも俺、一番安いのでいい! ネットも見ない。メッセージさえ使えればそれでいいんだ!」
「翔太……。まったく、お前って子は……空港についたら携帯ショップに行くぞ」
「おぉ! サンキュー父ちゃん! 恩に着る!」
「恩だなんて言うのはよしなさい。……家族なんだから」
「ん? わかった! よくわかんねえけどサンキュー父ちゃん!」
良かったぁ。けど父ちゃんってばやっぱ、ところどころ変なんだよなあ。なーんか会話に穴がある感じ⋯⋯。まあ、細かいことはどうでもいっか! これで離れていても常夏と連絡が取れる!
やったぜ!
+
鹿児島の空港に着くと、なんだか季節が変わったような気がした。
暖かい風が肌をなでて、遠くの山がぼんやり霞んで見える。
ここがもう埼玉じゃないって、嫌でも実感してしまう。知らない土地。知らない匂い。ほんの少しだけ、胸の奥がざわつく。
でも――。
そんな気持ちに浸るよりも、初めて鹿児島の地に降り立ったことよりも――。
俺の頭の中はスマホと常夏のことでいっぱいだった。
「と、父ちゃん! 行こう。携帯ショップへ! さぁ、行こう今すぐに!!」
「ははは、まったくもう。スマホは逃げたりしないから大丈夫だぞ」
「いいから早く、父ちゃん!」
そんなこんなでタクシーに乗って連れて行かれたのは、大っきな電気屋だった。
店に入るとすぐ、スマホコーナーがドーンと構えていて俺のテンションは最高潮!
もう飛びつくみたいに駆け出して、
「こらこら、危ないから走るんじゃない」なんて父ちゃんに言われてもおかまいなし。
「父ちゃん、こっちこっち!」と急かして、ズラリと並んだ実機に手を伸ばす。
「す、すげー……!」
興奮しながらいろんなスマホを触っていたら、ふと気づくと、父ちゃんと店員さんが真剣な顔で話してた。
なんか……もう、話まとまってる……?
まさか……え、ちょっと待て。もう買う流れになってる?! 早くね?! たぶんまだ二分も経ってなくね?!
なんて思っていると案の定――。
「では、こちらへどうぞ〜」
店員さんの爽やかな笑顔とともに、まさかの奥の契約ブースへ案内されてしまう。
そしてまた――。
二分と経たずに、俺は驚愕してしまう。
「に、に、二十四万?! こ、こここ、こんなのいらねえよ!! あそこ! あそこの看板に書いてある一円スマホってやつにしよう! 決まりだ、決まり!」
「翔太、スマホはなハイスペックなものを使っておけば間違いないんだ。見てみろ、これ。縦折りで画面が二つ。タブレットサイズにもなるんだぞ?」
「い、いらねえって! お、俺はメールができりゃそれでいいんだ!」
「なあ、翔太。父さんのわがままだと思って、もらってくれないか? 翔太から何かをせがまれるなんて……思えば、初めてじゃないか」
いや、まあ。今朝は唐揚げせがまれて、あげたけどさ?! わらしべ長者にしてもこれはやり過ぎだろ!
こんなのは絶対の絶対にだめだ!
「無茶言うなよ! そうだ! 昔父ちゃんが使ってたお古のスマホでいいよ! あんだろ? べつに今日じゃなくてもいいから! それにしよう。よし帰ろう父ちゃん、今すぐに!」
「こらこら、じっとしてなさい」
「だ、だめだ父ちゃん……! だ、だめだああああ! 帰る、帰るんだああああああ!」
その様子に、店員さんが苦笑しながら言った。
「将来は勘定奉行にでもなりそうな立派なお子さんですね! それとも会計士さんかな?」
適当なこと言いやがって……! 父ちゃんをそそのかしやがってからに!
「もういい帰ろ…………いや、ちょ、待てよ? あそこに0円って書いてあるぞ! ぜ、ぜ、ゼロ円スマホ?!?! そんなのもあるのか?!」
「こらこら、静かにしないと託児所コーナーに閉まっちゃうぞ? あーもう閉まっちゃおうね」
「と、とうちゃあああああああああああん」
+
願いは虚空へと消えていき、勘定奉行の完全敗北で幕を閉じた。
俺たちは、電気屋の自動ドアを抜けた。
来るときはあれほどまでに夢希望未来に溢れていたのに、今はもう絶望しかない。
さっきから手が震えて止まらない。……やべぇ。やべーって……。
まるで生まれたての仔猫でも抱えるように、両手でスマホを持ってしまうのは当然のことだった。
「落としたり壊したりしても父さんは怒ったりしないから。それに保証にも加入しているから、翔太が心配するようなことはなにもないぞ? だからそんなにおっかなおっかな持たなくていいんだ。なっ?」
父ちゃんは、横で優しく言った。
いつもの調子で、さも当然のように。
「ほ、保証ったって……。……こ、これ……に、に、に、二十四万円だぞ?!」
声が裏返った。もう一回言っても信じられない金額だ。
「いいか、翔太。それにはもう二十四万円の価値はない。購入して手に取った瞬間に中古品になるんだ。だからもっと気楽に使いなさい」
中古品……? そ、そんな考え方あるか?
「そ、そうなのか……ちゅ、中古品。って、いくらくらいなんだ?」
「もう気にするな! 男だろ! 今の翔太を常夏さんが見たらきっと笑うぞ?」
「……うっ。そ、そうだよな……お、俺は男……だ。お、お、お、男だ……」
震える手でスマホをぎゅっと握りしめる。
父ちゃんの言う通り、俺は男だ。……男なんだ! 常夏と唯一渡り合える、男なんだ⋯⋯!
+
そこからはあっという間だった。
初めてのタクシー! 初めてのフェリー! 初めての海ぃー!
今日は初めてがいっぱいだ。飛行機だって初めてだったしな。
思えば、埼玉を出たのも初めて。鹿児島に来たのも初めて。す、す、スマホも初めて……!
すげー……! 世界は広い! 海は青い! 地球も青い! なんて謎の悟りを開いているうちに、爺ちゃん家に到着!
ここではいったい、どんな初めてが俺を待ってるんだ? とりあえず、爺ちゃんとは今日が初対面。どんな人なんだろ……ワクワクすんなぁ!
なんて、思っていたのに――。
「けぇれ! 二度とその面見せるなっていっただろうが! バカタレが! どの面下げて玄関を跨いでやがる! 二度と跨がせねぇって言ったろうが!」
え。えええぇぇぇぇぇえええええええ?!




