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2 算盤起動――The Limited Edition――


 懐かしい匂いがした。振り返ってもそこに、君の姿はない。



「……また、夏の魔物か」


 いるはずもない影をずっと追い続けている。


 校門の隙間、下駄箱の中、教室の隅、図書室の奥、保健室のカーテンの向こう側、屋上の扉の、先――。


 そんなところにいるはずもないのに――。



 「やぁんっ! ルイ様が振り向きざまにわたしを見ましたわ!」

 「射貫かれたわ……ハートを完全貫通……ルイ様ぁ、あぁっ、はぁん!」

 「ルイ様の風下は蜜の味……。ごはんが進みますわ! 廊下でお見掛けしたら、ついていくに決まってますのよ! 昼休みでも昼食中でも構いませんわ!」


 不意に香る。お日様の匂い。

 正直もう、覚えているはずもないのに突如として襲われる。脳に直接語り掛けてくる。記憶が一瞬で蘇る。すぐそこに、君がいると錯覚してしまう――。


 不可解としか言いようがない、非科学的な事象。


 夏の魔物……。


 「ルイ様……その切な顔、あまりにも……あまりにも尊すぎますわ……!」

 「儚げなルイ様、反則ですわぁぁああ!! あはぁん」

 「……いけますわ。ごはん三杯! おかわりも余裕ですのよ!」



 ……いかんな。こんなにも廊下が騒がしくなっているのに気づきもしなかった。


 嫌々、仕方なくとはいえ生徒会長になったのだから気を引き締めなければいけないというのに。これでは職務怠慢ではないか……。



 ……ふぅぅ。よし。



「はい、そこ! 廊下で談笑しない! 二秒以内に去ってよし!」


 「るるるるルイ様から命令されましタワー!」

 「二秒よ! 二秒以内にルイ様の視界から消えますのよ!」

 「もうごはん三杯では追いつきませんわ……ヘイ大将! 釜ごとくださいまし!!」


「なにをわちゃわちゃしている! 三秒以内に行ってよし!」


 「は、はいぃぃいきます」

 「すぐいきますぅぅぅう」

 「はぅぅ。ルイ様からの許可、いただきましたぁ!」


「それから廊下で白米は食うな!」




 「はぅ?!!」





 一部生徒の乱れた風紀を正すのは生徒会の課題だな。


 だがそれよりも――。まずは生徒会の団結が先か。あの女はあまりにも自由過ぎる。自ら副会長に名乗りを上げたくせに、生徒会が発足して一週間。ただの一度も顔を見せやしない。


 僕を脅して生徒会長に推薦したくせに。ふざけている。


 今の僕はお前に屈するほど弱くはない。


 だが――。


 これは贖罪。僕さえしっかりしていれば、きっと今頃は――。




 ……翔太君。君の居ない毎日は、まるでイチゴの乗っていないショートケーキのようだよ。



 







 +


「ついに昼休みも返上か。……はぁ」


 生徒会室の扉の前でため息を吐くのは、この頃の僕の日課になっていた。


 様々な引継ぎ業務、部活連との反りが合わない中での予算追加申請。

 放課後だけでは追い付かず、家に持ち帰っても尚、時間は足らず。ついには昼休みをも返上する事態になった。


 まあ来週には書記と会計との顔合わせもある。ここが踏ん張りどころか。


 なんて思いながら扉を開けると――。


 今日まで頑なに姿を現さなかった女の姿があった。


「貴様、そこでなにをしている?」


「は?」


 この女……。煙たそうに僕を見るとは笑止千万。いささか状況と立場が理解できていないようだな。


 生徒会室をプライベートルームかなにかと勘違いしているようにも見えるしな。


「ソファーに寝転がって菓子を食べるのはよさないか。仮にも生徒会室だぞ? わかっているのか? 副会長殿」


 よりにもよってポテイトチップス。匂いもさることながら食いカスが散乱している。由々しき事態だ。これが絶賛売り出し中のモデルで、絶世の美女と呼ばれる女の実態なのだから世も末だ。


 まぁ副会長の自覚を持って行動してくれればいいだけのこと……。


 いや待て、そんなことよりも――。


「おおーい! その手でスマホを触るな!」

「は?」


「舐めるなー!」

「はぁ〜?」


「制服の裾で拭くのはやめろ!!」

「なに? 箸使って食えっての?」 


「そもそも生徒会室でポテチを食うな!」

「……馬鹿らし。毎ルール押し付けるとか何様。エアコン完備の自由空間を独り占めしようったってそうはいかないんだから。そもそもわたしが副会長になった理由は昼休みにこの部屋を使いたかったからだし~」


 こ、この女……。


「あのさ、用がないなら出てってくれる? 変な噂立てられて困るのはお互い様でしょ。もう既に勘違い起こしてる乙な人たちもいるし。ってことで、しっし。邪魔」


 こ、この女ぁぁああああ?!


「出ていくのは貴様だ! 散れ!」

「はぁ……立場ってものをわかってないでしょ? ソ・ロ・バ・ン?」


 な、ななな?!


「くぅっ……そ、その名で、よ、呼ぶな……や、約束が違うぞ……」


 人には後ろめたい過去のひとつやふたつある。黒歴史それを盾に取られたら人は抗う術を持たない。

 だがしかし、僕が生徒会長に就任し、この女を副会長に選任した暁には、過去は洗い流して綺麗さっぱり忘れると約束したはずだ。


「え、なになに聞こえなーい。もう一回言って~、算盤音楽団楽長さぁーん。シンフォニーばかり奏でてないで~、もう一回言ってくださいよ~ねぇ~?」


「くぅ……た、頼む……や、やめてくれ……」


 裏切られた。僕は騙されたのか……。な、なんてことだ……。


「はいはい。だったら邪魔しないでね~。今と~っても忙しいから。わかったらハウス。しっし」


 くぅ……。


 ソファーに寝転がってポテチをむさぼることのどこが忙しいと言うのだ……。その脂にまみれた指でスマホを触るのを今すぐに正したい……。あまつさえ舐めて、またポテチを取り……食べて、舐めて、スマホ、ポテチ、舐めて、スマホ。


「うああああああああああああああ」


「うるさ! ねぇ本当にうるさいから出てってくれる? 算盤でシンフォニーを奏でるのは自分の家だけにしなさいよね? 見てるこっちが恥ずかしくなるからさ」


「くぅっ……」


 胃がキリツク。限界だ。色んな意味で、もう限界だ。

 どうやら出ていくのは僕のほうだったようだ。でも――。


「ふぅ……」

「は? なんで椅子に座り出してんの? これ以上は身体でわからせるしかなくなるけど、いいの?」


「すまない。わかっているから、五分だけ頼む。……また廊下で懐かしい香りに当てられてしまってな……。目眩がするんだ。だから少し休ませてくれ」


「…………バカ。先に言えっての。あんたも重症だね。学校って場所が記憶を蘇らせるんじゃないの。……可哀想な人」

「かもな。夏の魔物だ」

「魔物って…………。ま、そういうことならしょうがない。今日はわたしが出ていってあげる。これは貸しね。いつものプリンひとつってことでよろ~」


「はは」

「なによ?」

「いや、べつに」

「ま、安静にしなさいよね。じゃ」


 翔太くんのこととなると妙に優しくなる。基本ガサツで仮面被りの女に残された、唯一の人間性。思いやりの心。


 お前も僕と同じだ。いや、それ以上かもな。


 なんせお前だけが転校した後の翔太くんと連絡を取っていたのだからな。


 でもそれはすぐに途絶えた。


 メッセージを拝見させてもらったが、翔太君は嘘ばかりついていた。


 おそらく鹿児島では、ボスにはなれていなかったのだろう。


 普段から翔太くんはお前に対してやたらと嘘を吐く。僕はそれをツンデレだと思って温かく見守っていた。ときには正し、ときには導き、二人の幸せを願っていた。



 ――夏休み、ボスになった俺様を見に来い。百人の部下と出迎えてやる。


 来いとは言うが、頑なに住まいも学校名も教えなかった。きっとわかっていたんだ。自分がボスになれないことを。


 そして、夏休みを待たずに連絡は途絶えた。

 メッセージだけではなく通話もしていたというのだから、救いのない話だ。


 当時はまだ、十歳にも満たない子どもだった。仕方のないことだとは思う。

 だがお前は大好きな相手の嘘に気づけず、いまもなお真実すら知らぬまま、

記憶の奥底に追いやろうと、日々葛藤している。


 自分が少しずつ壊れていっていることにさえ、気づかずに――。


 酷な話だ。


 あぁ本当に酷な話だよ。……どうして、気づけなかった。僕ともあろう者が……。どうして……。


「クソが……」


 あの日からずっと。僕たちの時間は止まっている。


 囚われているんだ。夏の魔物に。

 果たされることのなかった、小学四年生の夏休みに――。



「はぁっ、だから……いるわけがないだろうに……っ」


 あの女が食べ終えたポテチの袋の中を覗いてしまう僕は、間違いなく重症だった。


 こんなところに、いるはずもないのに――。



「ていうか食べ終わったならゴミ箱に捨てろ! あの女ぁぁ!!」



 そう、このときまでは本気で思っていた。


 夏の魔物に当てられているだけだと――。



 存在もしない影を追いかけてしまう僕は、どうかしているのだと――。











 +


 七月中旬。

 

 生徒会の業務にも慣れ、落ち着いた日常を送り始めた頃――。


「よし。ここまで!」


「さすがです、会長! わずか一週間で前任からの引き継ぎ、部活連の不届き者たちの追放、そして目安箱に訴えた哀れな子羊たちの救済までも……。これほど鮮やかに片付けてしまうとは、いやもう言葉も出ません。まさにお見事の一言です!」

「すごいです会長ぉ! カックィーですぅ! ひゅーひゅー!」

 

「ふっ。これも、我々のチームワークあってこそ成し得た技だぞ」


「も、勿体ないお言葉です……。でも、副会長は本業が忙しくてなかなか来られませんからね。チーム全員とは言えないのが少し心苦しいところではありますが……」

「ボク、まだ一度も副会長さんと会ったことないですぅ〜……」


「そ、そうだな」


 あの猫かぶりめ。きっと今頃は自宅で美顔ローラーを頬に当てながらポテチをむさぼるような、アンバランスなことをしているのだろうな。

 休み時間以外来ないのだから、その図々しさには呆れるを通り越して尊敬すらしてしまう。


 とはいえは会計に一年男子主席。 

 和泉いずみみなとくん。実家は和菓子屋の老舗だという。礼儀作法が自然と身についており任された仕事は黙って確実にやり遂げる、職人気質で愛想のいいやつだ。


 そして書記に同じく一年、女子。

 雨宮あまみや柚乃ゆのさん。引っ込み思案なところはあるが、とても素直で良い子だ。三姉妹の長女だけあって、口調や見た目に反して隅々にまで気を配れる視野の広さと、面倒見の良さを兼ね備えている。


 そして二人ともパフォーマンスの高さに加え、従順で協調性がある。やはりここが一番か。あの女に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。


 バランスの取れた非常にいいチームワークの下で業務に当たれる日々は、なかなかに悪くない。


「よし。業務もひと段落ついたことだし、帰りにラーメンでもいくか?」


「いいんですか?! ご一緒させていただいて?」

「ぼ、ボクも是非ご一緒したいですぅ」


「ふん。構わないが、二郎系だぞ? 無理そうなら遠慮なく断ってくれていいからな」


「なんと……! 会長が二郎を嗜むお方だったとは……! 痺れます、憧れますッ!! 断るなんて、とんでもない! どこまでもお供します!」

「ひぃええ……じ、じろうさぁん……で、でも! ぼ、ボクもお供させてください! か、かいちょと一緒なら……じろうさんにだって……か、勝てる!」


 あの女に騙されて就任したことを後悔していたが、今では良かったとさえ思う。


 あぁ。非常に良いチームだ。


「では向かうとしよう。我らが友、駅前通り三丁目の二郎へ!」


 「「はい!」」


 あぁ、本当に良いチームだ。生徒会発足以来、最強の布陣と言ってもいい。

 

 チーム三年二組には遠く及ばないが、これはこれで悪くない。



 ……あぁ、悪くない。






 +


 そして、止まっていた時間が動き出す――。


 七年の時を経て――。

 運命の歯車ソロバンは、もう誰にも止められない。


 





 二郎談義に花を咲かせ、校門を出る――。

 誰一人として疑う者はいなかった。これから楽しく三人で三丁目の二郎へ行くことを――。



「いいか。合言葉は“油増し増し”だ。そして、魔法の言葉は“にんにく増し増し”だ」


「な、なんて破滅的な言葉なんだ。会長の底が見えない!」

「ひぃぃ……ま、ま、まひ……まし」


「よし。では店主に舐められないように、私の後に続け! 油増し増しのにんにく増し増し。さんっ、ハイ!」


「油増し増しのにんにく増し増し!」

「ま、まひまひ……にんにひ……ひゃぁぅ」


「ははは。和泉いいぞ! それに比べて雨宮。レディーに増し増しは厳しいか? 想像しただけで唇が震えあがっているようでは、増し増しデビューは見送らざるを得ないぞ」


「い、いえ。ぼ、ボクも生徒会の一員。一緒にま、まひましが食ひたいですぅぅ……! いぃiiiiiまひまひぃぃぃ」



「ははは。良い志…………だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?!」



「ど、どうしたんですか会長?」

「……か、会長ぉ?」



 目を疑った。


 見間違えるはずがなかった。あの鋭い眼光。一度見たら忘れられるものか。


 あれは、夏の魔物なんかじゃなかった。


 僕のヒーローは、こんなにも近くに……。


 居たんだ。ずっと、すぐそばに居た。――だというのに……!





「……人違いですよ」

「あー……、ね? そっかぁ、人違いかぁ」




 そんな、ゔぁかな?!


 ヴァヴァヴァ……ヴァァァカナァ?!


 およそいくつもの重大で重要、かつ深刻な問題点を遥か彼方へと追いやり、僕の脳内に警鐘を鳴らしたのは、彼の表情――。その一点だった。


「こ、こ、困り顔をしている?! あの翔太君が! あんなに困り顔を!!!!」



「あ、あの……会長?」

「ショタくん? え、か、会長ぉ…?」



 鋭い眼光が陰りに包まれている。僕の知っている君は、一度だってそんな顔は見せなかった。


 誰だ、あの女は。否、誰でもいい。

 翔太君を困らせる奴は全員、敵!!!!


 あの頃に、あの頃に戻るんだ。

 恐れるな。君に会えた喜びの前では、全てが無に等しい。


 ――算盤、装填完了。

 発動許可、自己承認。


 黒歴史? 違う。君との大切な思い出だ――。


 ――今こそ解放せしめし。己が魂に宿す算盤。

 


「算盤起動――The() Limited(リミテッド) Edition(エディション)――」




「な、なんですか。い、いったいなにが始まるって言うんだ」

「ぼ、ボク……なんだか怖くなってきちゃった……」



「戦闘モード、アクティブフェイズへ移行――対象、計算範囲内…完全ロックオン。《コードネーム:デュクシの達人》」



「会長! しっかりしてください!」

「怖い……怖い……会長が壊れちゃったよぉ」


 

 僕は君のためならソロバンを身に宿す。何度だって、何度でも!


 翔太くんは僕が守る!!



「貴様ぁっ! 今すぐ、その場から離れろぉぉおおおおおお!」


 思うよりも速く、誰よりも速く。


 僕は走り出していた。理解がまるで追いつかない状況の中で、確かに見つけた――ひときわ輝く一等星を目がけて。



 閃光のソロバン、押して参る――。













 +


 そうして――。時間にして、零コンマ二秒。己が犯した罪の愚かさに気づく。


 あまりの衝撃に、見逃していた。

 普段なら見逃さないであろう、いくつもの不可解な事実。


 その数、ざっと二十と六。


 中でも翔太くんが当校の制服を着ているという事実には、戦慄が走る。


 そして面々。

 おそらく県外に通っているであろう他校のギャル、過激派として知られる御方親衛隊三番隊隊長、白牙の銀次郎。さらには副隊長・弥彦丸が同席しているという事実。


 ……もっとも、三番隊の二人に関しては無視して構わないであろう。

 ギャルを前にして伸び切った鼻の下は、隊を担うにはあまりに情けない姿だ。

 僕と目が合うなり、気まずそうに俯いてしまった。

 整える時間を与えることは、彼らの尊厳を守ることでもあり、場を荒らさないことにも繋がる。

 人間、自暴自棄に陥ったときほど恐ろしいものはないからな。


 やはり、ギャル。貴様こそが翔太くんを苦しめる元凶――。


 許す、マジ。


 とはいえ――。今の僕が取りうる行動の中で、確実にドベから五番以内の選択をしてしまった。


 リカバリーはできるだろうか。……否、僕に不可能はない。


 すべては、ソロバンの意志が示すままに――。


 もう二度と離さない。君の手は、何があっても離さない!!


 好きだよ、翔太くん。大好きだ!


 もう一度、奏でてみせる。

 ソロバン交響曲、最終楽章・第五番――。


 君のために!!









「いったいなにが起こっているというのですか……愛、愛なのか?」

「なんだかボク、胸が熱くなってきちゃったカモ……く、くるしぃ」






ラブではなくライクです!笑


次話からは鹿児島編スタートです!

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