11ー⑤
ただただ呆気に取られるしかなかった男子たちも、これには一同に歓喜して、
「す、すっげぇ……! やっべぇ……! よっちゃん先生マジツエー!」
「やりやがった……! さすが俺たちの担任……! 仏の仮面を外した姿は伊達じゃねえぜ!」
「でもこれ、確実に死んだよな……。教頭に楯突いちまったんだ……。南無……南無……ぽくぽくちーん…………」
「そうだな。せめてもの手向けにみんなで合掌すっか!」
「「「南無!」」」
「よっしゃ翔太! よっちゃん先生の屍を超えて行け!」
「もう誰もお前を邪魔する奴はいねぇっ! ブチかませぇ翔太!」
「ここから先は永遠に! 翔太のターン!」
「僕のそろばんは示している。そろばん交響曲、第五番。最終楽章のスタートだ! みんな! 心の算盤を捧げよ! 旋律を奏でよ! 勇敢な我らが担任へのレクイエムも兼ねて、奏でるんだ!」
俺を阻む教頭の脅威が消え去った。
よっちゃん先生が自らを犠牲にしてまで繋げてくれた舞台。
……ここでやらなきゃ、男じゃねえ。
「あーらら。先生も所詮、男ってことかしらね〜。もう勝敗は決しているのに、お猿さんのために身体張っちゃって。こういうのなんて言うんだっけ〜?」
「えっこひーいき! 男子に忖度してるぅ! まっ教頭先生に刃向かったからには学年主任は降ろされちゃうかもね〜。奥さん可愛そ〜。これだから男って生き物はロクでもないのよ」
「ね〜! 家庭を顧みないなんて、男ってホントにロクデナシー! 臭いのは靴下だけでも勘弁なのに、生き様までクサイとか絶対無理ぃ〜! ってことで花火ちゃーん! 猿の戯言になんて付き合わなくていいからねー!」
「そーそー。果し状だかなんだか知らないけどー、情けをかける必要なんてないからねー!」
「まっ女子の勝利で幕を閉じているわけだから、今更遅いのよね〜! お猿さんは来世で出直して来てくださーい! さよならばいびー!」
──常夏花火。
誰よりも強くて、誰よりも能天気で、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも馬鹿なお前が今──。女子の中で誰よりも弱々しく見える。
その姿が俺の喉元を、再三にも渡り詰まらせる。
「とっ……とこな……とっ……とこ……! とっとこぉおおお!」
「翔太、どうした?」
「お前はもう自由だぞ?」
「…………走るのか?」
よっちゃん先生が果し合いのなんたるかを、背中で見せてくれたのに──。
俺の心はまだ、怯えている。
心の奥底で、ぶつかることを拒んでいる。
ぶつかる以外の選択肢なんて、あるはずもないのに──。
するとまたしても──。皆を先導するように、そろばんくんが声をあげた。
「負けたからどうした。女子の上履きを舐めたからどうした。僕たちは今日、翔太くんが居なくても立派に戦った。その結果、学年末の汚い上履きで顔をぐちゃぐちゃに踏まれても、口の中に無理やり突っ込まれて頬を抉られたとしても、心は決して折れない。すべてはそろばんの意思が示すままに! これは去りゆくヒーローに捧げる──そろばん交響曲第五番、最終楽章なんだ!」
「なんかよくわかんねぇけど、よく言ったそろばん!」
「まじで意味わかんねえけど、今日のお前、輝いてんぜ!」
「あっそーれ! そろばん! あっそーれ! そーろーばーん!」
「「「そろばん! そろばん! そろばん!」」」
「違うよ。ここはそろばんコールをする場面じゃない。勝利のシンフォニーはいつだって翔太君とともにあるんだ。僕たちの戦いは終わった。ここから先の戦いは、翔太くんによる翔太くんのためだけのリサイタルでなければならない! すべてはそろばんの意志が示すままに──。みんな、そろばんを捧げよ! 翔太くんが悔いなく新天地へ赴けるように、算盤を奏でよ!」
「そうだぞ翔太! もう戦争は終わったんだから好きにやってくれよな!」
「まっ戦いには負けちまったけど、勝負には勝ったってやつよ! だから翔太、お前もぜってー勝負には勝てよ!」
「今日までご苦労さん! 毎日最高に楽しかったぜ! まじ最高に心から感謝!」
「我ら、そろばん音楽団が出した決断は──せぇーーの!」
「「「勝ち負けなんかどーでもいい!」」」
なに言ってんだよ。……お前ら…………。意味わかんねぇよ…………。
そろばん音楽団ってなんだよ。聞いたことねえよ。初耳だろうが……。
……わかんねぇ。あぁまるっきしわかんねぇよ…………。わっかんねぇ……わっかんねぇ……わっかんねぇよ…………。
────嘘だ。嫌ってくらいに、わかっちまう。
いつからだろうか。目的と手段が入れ替わっていたのは──。
昨日までの俺は、誰よりも勝ちに拘っていた。その姿はきっと、何かが透けて見えていたのだろうか。
自分ですら気づかなかった矛盾に、お前らはとっくの昔に気づいていたんだな。だから俺が来ると信じていながらも、負けるとわかっていながらも──。女子に勝負を挑み、戦争を終わらせた。
負けても尚、勝ったと言えるだけのものを手に入れて、俺にバトンを渡した。托したのではなく、渡したんだ。
なににも縛られない、自由なバトンを──。
俺にもさ、負けてでも守りたいものがあるんだよ。それはなににも変えられない、かけがえのないもの。
俺はお前の笑顔を、守りたい。
──なぁ、常夏。
思えば俺は──。一度だってお前に、正面からぶつかったことはなかった。
正々堂々戦えば、勝てないとわかっていたから。
でもお前はいつだって、正々堂々、真正面からぶつかってきた。
「男って本当に未練たらしい生き物よね。終わったことをいつまでもぐちぐちと言っちゃって。情けなくて見てられないわ!」
「ほんとそうよねえ。負けたくせにロマンを語って美談に変えてしまうのだから救いようのない生き物だわ。花火ちゃん、相手にしなくていいからねー!」
「そそ。女子の勝利は揺るぎない事実。再戦を許すほど、私たち女子のオツムは緩くないのよ〜! 残念でした〜お猿さぁん! さっさとお家に帰ってバナナと戯れてなさいよ〜」
そんな真っ直ぐで馬鹿正直なお前が今、望まない勝利を手に入れてしまっている。
お前との時間があまりにも楽し過ぎて、すっかり忘れていたよ。
元気ない面を見るのは、これが二度目だったんだな。
始まりの日。
給食のプリンを懸けたジャンケン大会。
お前は俺の術中にまんまとハマり、グーだけは絶対に出さないと宣言した。
けれども、不幸な事故でうっかりグーを出してしまった。
そんときのお前は勝敗には目もくれず、自らが出したグーの手を見て、泣きそうな面をしていた。
勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。
でもそれ以上に、もっと。大切なもんがあるんだよな。
なぁ、常夏──。
「ど、どうした翔太? 急に悟ったような顔してどうしたんだ?!」
「おいおい、なにを悟ったってーんだよ? ひとりでふむふむしやがって! 俺らにも教えろください!」
「あぁ、翔太。ついに永遠になったんだな……!」
「僕のそろばんは示している。おかえり翔太くん! おかえり僕らのヒーロー! ずっと信じて待ってたよ!」
さんきゅーな。
お前らのおかげで、大切なものを見失わずに済んだ。
「あ~、やだやだ。勝手に盛り上がっちゃって見ているこっちが恥ずかしくなってくるわぁ! あのね、お猿さん? もうね、誰もあなたとは戦わないの。おわかり?」
「そーそー。さっさとお家に帰ってバナナ片手に一人で盛り上がってなさいってーの!」
「花火ちゃーん! こんな猿はシカトでいいからねー!」
それに比べて、お前ら女子は…………。
ごめんな。すぐに気づいてやれなくて。
お前は女子から慕われていて友達もたくさんいる。……けど、誰一人として本当のお前ってやつを理解していないんだよな。
プロレスごっこが大好きで、負けず嫌いで、意地っ張りでさ。戦争なんか関係なしに、俺と張り合っていただけなんだよな。おまけにバカで食いしん坊で、…………笑うとめちゃくちゃ可愛くてさ。
…………ったく。困っちまうよな。欲しくもねえ偽りの勝利を与えられて、勝ち逃げしろってんだから、そりゃ元気だってなくなっちまうよな。
でももう、大丈夫だ。
俺がまとめてぜんぶ、吹き飛ばしてやるよ。
そんな冴えねー面は、お前には似合わねえかんな!
なにもぶつかるだけが、俺のやり方じゃねえっ!!
もとよりお前には、ただの一度も真正面からぶつかったことなんか、ねぇんだよ!!!!
そうと決まれば、俺のやることはひとつ!
すぐさま教卓の上へとジャンプ!
「おいおい、なんの冗談だよ? ひょっとしてオタンコナスの女子共は、俺が本当に転校しちまうとでも思っているのか? このまま勝負を避けてれば勝ち逃げできるってか? バカ言っちゃイケねぇよ! 俺は光輝く一等星、カシオペア! 瞬速の翔太様が転校なんかするわけねぇだろうが! お前ら全員、消し炭確定なんだよ! いいかぁ? 耳をかっぽじってよーく聞けよ? 勝ち逃げは許さねぇっ!」
「よっ翔太! そうこなくっちゃな!」
「ようやくいつもの翔太に戻りやがったか! おせーっての!」
「俺たちの翔太は、永遠だ……! いつだって心の中にある!」
「翔太くん……。そろばんの次に大切な、僕らのヒーロー……。見え透いた嘘だとわかっていても、その背中を押すのが我らそろばん音楽団の意思! ……さぁさぁ捧げよ! 心の中のそろばんを旋律に変えて翔太くんにエールを届けよう! 奏でよう! そろばん交響曲第五番、最終楽章のはっじまりだぁー!」
ごめんな。今だけは俺の大嘘に付き合ってくれな。じゃないとあいつが、笑ってくれねえからさ。
このまま勝ち逃げだけは、できないんだよ。
だから、お前ら女子の勝ち逃げは許さない──。
そんで常夏! お前をもう一度、戦いのステージに引っ張り出してやっからな!




