11ー③
「捕まえた! もう逃げられないぞ! ……ぜぇ……はぁ……これは預からせてもらうからな!」
同時に、果し状を取り上げられる。
「こんな物騒なものを学校に持ってきよってからに。まったくけしからん! こんなんじゃ君はこれから先、何度でも同じ過ちを犯すぞ? 喧嘩などはせずに、対話を用いる術を学びなさい」
過ち……。なにが正しいのかはわからない。
それでも今日まで過ごした日々は、間違いではなかったように思う。
ぶつからなければきっと、こんなにも楽しい毎日にはならなかったはずだから。
それなのに──。
笑っていてほしかった奴らはみんな覇気のない面をしていて、かつてあれほどまでに燃やしていた闘志の炎は消えてしまった。
対話。……対話…………か。
決闘ができない以上、教頭の言うように話し合いで解決するしかないのかもしれない。
でも──。何を話せばいいのか、わからない。
俺たちはいつだってぶつかってきた。ぶつかることで、語ってきた。
言葉なんて必要なかった。
いらなかった。……はず、なのに──。
「さぁ、職員室まで来てもらうからな。時間が許す限りみっちりと話をしようじゃないか!」
このまま連れて行かれれば、もう二度と戻ってはこれない。
俺は今日、鹿児島に行っちまう。これっきりになっちまう。……ここまでわかっているのに。
どうしたらいいのかが、わからない。
……わかんねぇよ…………。
柄にもなく元気ない面しやがって。バカ野郎が……。
「ほら、しっかり歩きなさい! まったくけしからん。廊下を元気に走っていたかと思えばこれだ」
答えを見つけられずにいると──。
「教頭先生! 果し状を翔太に返してやってください。お願いします!」
「今日が最後なんです。今日しかないんです! 見逃してやってください!」
「俺たちの翔太は……永遠だ……! 永遠なんだ……!」
……お前、ら…………?
「なにを言っているのだね。この子は果し状なるものを持ち込んで来たのだよ? 教師として、大人として、これを見過ごすわけにはいかん。邪魔だてをするのなら君たちも共犯とみなすが、いいのかね?」
「僕のそろばんは示している。そんなの良いに決まっている! 僕たちは一蓮托生。ソロバンファミリアは永久不滅! そんなこともわからないで、僕たちの前で教師を語るな! さぁみんな! 脇の下をくすぐるんだ! さすれば道は開かれる! すべてはそろばんの意思が示すままに!」
「き、貴様! 教師に向かってなんたる態度!」
「よっしゃ! そろばんに続け!」
「今日のお前、輝いてんぜ!」
「なんかよくわかんねえけど、続け続け〜!」
「ふっ。折れたそろばんは脇の下をよく滑る。僕のそろばんはこの瞬間のためにふたつになったんだね! さぁみんな、奏でるんだ! そろばん交響曲第五番! もう一度、最終楽章へ向けてやり直すんだ!」
「や、やめんか! こんなことをしてただで済うっおっおぉぉおおひょひょおお」
微かに、俺の腕を掴む教頭の手が緩んでいる。
今なら、もしかしたら──。
「本当に男って救いようがないわよね〜。すーぐ頭に血が上って良し悪しの分別もつかなくなってしまうのだから、哀れよねえ」
「お猿さんが檻から脱走したところで、結果は覆られないのにね〜。どうしてこうも無駄なことばかりしたがるのかしら」
「まっ。わたしたち女子は関係ないってことで! これってどう見ても三年二組史上、最悪の大問題になりそうだしぃ〜」
違う……。女子たちの言うとおりだ。
くすぐりとはいえ教頭に手を出しては、ただでは済まされない。
それに、今のあいつは──……。
「お前らやめろ! もういいんだ。俺ならもういいから! 教頭先生。悪いのはぜんぶ俺なんです! だからこいつらだけは勘弁してやってください!」
「おい翔太! なにがいいってんだよ?!」
「勝手言ってんじゃねえぞ? 果し状はお飾りだったのか?!」
「やれ! いけっ! 翔太ぁああ! 止まるんじゃねえぞ!!」
なんなんだよ……。負けて冴えない面してたくせに、なんで今になってそんな熱い目をしやがるんだよ。
お前らがその気なら、やるしかなくなっちまうじゃねえか。
…………やるしか……。
「僕のそろばんは示している。今こそ、奏でるとき。そろばん交響曲第五番、第二楽章! 勝利のリサイタルは既に始まっている! さぁみんな! 頑固ジジィをくすぐり倒すんだ! 両脇、覚悟ぉっ! ウィーンガシャン。ツインソロバンライフル発射! ダダッダダダダダッダダダ! デュクシデュクシ!」
「やめっうひゃはyっっっっh」
「ナイスそろばん! 今日のお前、輝いてんぜ!」
「よっしゃ! そろばんに続け〜!」
「翔太に楯突いたこと、後悔させてやろうぜ!」
「デュクシデュクシ! デュデュデュデュ・デュクシ! ツインソロバンキャノン発射! すべてはそろばんの意思が示すままに! ダダダダダダッダダダ!」
「や、やめっうひゃうひょひょhっはは」
今なら──。三秒と掛からない。
教頭の腕を振り払い、果し状を奪い返し、あいつのもとまで駆けられる。
「翔太! 今だ! 今しかない!」
「今がチャアァァンス! ラストチャアァァンス!」
「いけ! 行ってくれ! 翔太あぁああ永久にぃ!」
わかっている。この機を逃せばもう、次はない。
それどころか二度と、教室には戻ってこれなくなる。
「やめんかあひゃっh! ぜ、ぜ全員、た、た、たただでは済ませんからなひゃひゃっh」
教頭に手を掛けてしまっているんだ。もはや単なる説教では済まされない。春休み中、洗脳とも言える『喧嘩ダメ絶対』派閥主催の特別授業を受けるハメにだって成りかねない。
だったら、やれよ?
やるしかねえだろ?
あいつらの覚悟を無駄にするんじゃねぇよ?
わかっている、のに……。柄にもない宿敵の姿が俺の身体を石のように重くさせる──。
……元気ない顔してるお前に果し状なんて、叩きつけられるわけねぇだろうがよ……。
いつだってお前は元気で、笑ってて、楽しそうで、馬鹿で、能天気で、食いしん坊で……。たまにお姉ちゃん気質な一面もあったりしてさ……。
こんな暗い面するような奴じゃねえんだよ。
今のお前は、なんだか……。俺の知っているお前じゃないみたいなんだよ……。
だからわからねえんだ。
どうしたらいいのかが、わからねえんだよ。
なぁ、常夏。
お前は俺と戦いたくねえのか?
なぁ、常夏。
負けたままでいいのかよ?
なぁ、常夏。
俺は今日、鹿児島に行っちまうんだぞ? これで最後なんだぞ? これっきりになっちまうんだぞ?
なぁ、わかってんのかよ?!
だから──。だからさ……。そんな顔してねえで、いつものお前に戻ってくれよ。
頼むから…………。なぁ、常夏──。
そうして──。
事態は急展開を迎える。
「くぅぉおおおお! けしからん! けしからんぞ貴様らぁぁああ! 集団で教師に手を上げるとはなんたること! 誠にけしからん! ケシカ・ラーン!」
「デュクシデュクシデュクシ! デュク・デュ・デュックーシ! ツインソロバン・フルバースト、発射! すべてはそろばんの意思が示すままに! ダダダダダダッダダダ」
「このクソ! くすぐり過ぎて効かなくなってきちまってるんじゃねえのか?!」
「あと一歩。あと一歩届かないってのかよ?!」
「ちくしょう……これじゃあ俺たち、無駄死にじゃねえか……こんなのって……こんなのってないだろうがよ……」
──誰もが目の前の敵に夢中で忘れていた。
この場には一同が恐れを成す、校内最強の教師が居ることを──。
「おどれら!! 静かにせんかァァッ!!」
三年二組、担任。──吉木 壱道。
仏の仮面が外れた、瞬間だった──。




