第31話 どうか幸せな人生を(ランス視点)
午前の訓練の時間。
詰所の訓練場にたちこめる騎士たちの汗のにおい(くさい)とむさくるしい熱気。
木剣がぶつかり合う音。
雨の日は憂鬱だな。屋外の訓練ならばこのニオイと熱気は感じずに済むんだが。
まだ可愛げが残る騎士見習いたちへの指導を終え、私は部屋の隅の椅子に座った。
私ももう四十三だ、さすがに体力の衰えを感じてきている。
すぐそこで見習い二人をボコボコにしている副団長殿は体力が有り余っているようだから、今日の訓練はあいつに任せてそろそろ引っ込もう。
そういえばあいつは子供のころから可愛げという言葉とは無縁だったな。
クソガキという言葉があれほど似合う子供はいなかったろう。
ミリア様の紹介でなければもう少し厳しくしてやったんだが、告げ口されて私への印象が悪くなったらたまったものではないからな。
だが子供の頃から運動神経は抜群だったし“気”の力も当時からすでに大人の騎士に匹敵するほどだった。
戦うために生まれてきたような子だと思ったものだ。
戦争がある時代なら、きっと英雄と呼ばれる男になっただろう。
ミリア様がいなくなってからは、クソガキとすら呼べない子供になってしまっていたな。
他人を受け入れず、笑うことも稀で、唯一ミリア様を悪く言われた時にだけ怒りを爆発させる。そんな子供になっていた。
セティウスのことだけはずっと気にかけていたが。
リーリア様があの頃のレオに会っていたら、さぞ心配されたことだろう。再会したのがレオが大人になってからでよかった。
十五歳の頃にグレンと出会って少し変わり始め、ようやく本来のレオらしくなってきたのは二十歳を過ぎてからだからな。
それにしても。
今日は訓練に身が入っていないな。
いつもならもう少しうまく手加減もするだろうに。
二人相手にしているが、二人とももう限界だぞ。
「レオ、こちらに来い」
呼びかけると、レオがこちらを振り向く。
床にのびている二人に何か声をかけると、こちらへと歩いてきた。
「何か用ですか」
「訓練に集中していないようだな。周りが見えていない」
「……」
「まあ座れ」
レオは素直に隣に座った。
「何かあったか?」
「いえ何も。指導に熱が入りすぎただけですよ」
「そういえば昨日は聖女様と街に行っていたな」
「……」
「途中とんでもない土砂降りになって大変だったろう」
「……」
「どこで雨宿りした? そういえばレオは街に家を借りていたなぁ」
「……性格悪いって言われませんか」
「よく言われるよ。で……」
「団長が心配するようなことは何もありませんよ。俺は神聖騎士団副団長であり、年若い聖女様を警護する責任者です」
まるで自分に言い聞かせているみたいだな。
レオがリーリア様を好きなことくらいはとっくにお見通しだ。
だがレオは不器用なところがあって“ほどほど”というのが苦手だ。
恋心を完全に認めて女性として見てしまえば、自分が役目すら忘れて暴走するのではないかと危惧しているのだろう。
自分を抑えるのは騎士、副団長としては正しい。のだが。
「お前のことは信用しているし、聖女様を傷つけるような真似はしないと確信しているよ」
「はい」
「だが聖女様の特別でありたいという気持ちも強いのだろう?」
「……。正直なところ、どうしていいのかわかりません。一度気持ちをぶつけてしまえばどこまでも突っ走ってしまいそうで。聖女様がそれを受け入れられない場合、俺に警護されれば聖女様はかなり気まずいでしょう。何よりも聖女様とは年齢差もある上にまだ十六歳です」
「ははっ、あれこれと言い訳ばかりだな」
レオがあからさまにムッとした顔をする。
なかなか楽しい。
「では私が聖女様を口説いてもいいのかな?」
「あんたロリコンですか」
だんだん素が出てきたな。
「あと二年もすれば大人と言えるだろう。だいぶ歳の差があるが、ロリコンではないだろう? 私は独身だし問題ない」
挑発的に微笑んでやると、レオの瞳が鋭くなった。
騎士見習いならこれだけで震えあがるな。
「普通の十六歳なら四十過ぎのおっさんなど気色悪いだけだろうがね。あの方は案外年上が好きなのだよ」
なんせ前世の記憶があるからな。
「ハッ、妄想もたいがいにしてください」
「選ぶのは聖女様だ、振られたら潔くあきらめるよ」
本気で口説こうと思っているわけではないが。
私はミリア様が好きだった。
その魂を持つリーリア様に惹かれる部分はもちろんある。
だが、歳が離れすぎてしまった。
自分の娘とも言えるほどの年齢差になってしまった。
レオにはああ言ったが、四十三歳と十六歳……さすがにありえない。
犯罪の匂いすらする。
ミリア様がリーリア様に生まれ変わったと知ったとき、本当はひどく苦悩し後悔した。
生まれ変わるとわかっていたなら、あの時一緒に死んでいたのに。
そうして彼女と共に生まれ変わったら、何の躊躇いもなく今度は愛を伝えられたのに、と。
自分が彼女の近くに生まれ変われる保証などないのに、馬鹿な考えだ。
「まあ冗談はおいといて」
「たちの悪い冗談ですね」
「どうするかはお前の自由だ。ただ……お前には後悔してほしくない」
「ミリア様のことを言っているんですか」
「さてね」
聖女であることに苦悩しながら、誰よりも聖女の責任を果たそうとしていたミリア様。
そんな彼女に、愛を告げることができなかった。
自分のほうが七つも年下だったことにも引け目を感じていた。
ミリア様の前の聖女は三十歳で引退をしたというし、三十歳を過ぎているミリア様もきっともうすぐ聖女を降りるだろうと思っていた。
そうしたら何の気兼ねもなく告白できる。
受け入れてもらえれば、一緒に暮らしたい。
なんならレオとセティウスを養子にしてもいい。
そんなのんきなことを考えていた。
待ち受ける運命も知らずに。
********************
半年前、私は副団長になった。
少しでもミリア様のお側にいたかったから。
神聖騎士団は貴族出身者が半分強で、平民である私は副団長になるための団員からの推薦を受けるのに苦労した。
慣例として貴族出身者が副団長や団長になるからだ。
平民出身の者がすべて味方してくれるかといえばそうでもなくて、同じ平民出身だからこそ、頭一つ抜きんでた実力と派手な容姿を持つ私をやっかむ者が多くいた。
そんなこんなで苦労しつつも二年がかりで推薦をかき集め、私は副団長になった。
それなのに。
今、私の目の前に広がっている光景はなんだ。
声が枯れるほど泣き叫ぶ二人の子供。
無言で頭を下げている神官と侍女たち。立ち尽くす団長。
そしてベッドの上にちりばめられた白い花とともに横たわる、ミリア様。
震える足で一歩近づく。
白い肌はいっそう白く、胸の前で組まれた手はぴくりとも動かない。
優しい深緑の瞳は、まぶたに隠されて見えない。
ランス卿、と呼んでくれた愛らしい唇は色を失って。
これは、なんだ。
どうして。
まだ三十四歳ではないか。まさか、どうして。
聖女を降りたら、告白しようと思っていた。
一緒に暮らしたかった。
子供たちを養子にして、穏やかに暮らしていければと。
ミリア様のお力が衰えてきているらしいという噂を聞いたときはうれしかった。
もうすぐだと。
私はなんて愚かなんだ。
ミリア様がいつまでもお元気でいることを、疑いすらせずに。
あれこれ言い訳ばかりして何も行動しないで、想いすら告げられないまま別れの時が来るなんて。
「そろそろ棺へ……」
神官長が遠慮がちに言う。
嫌だ。やめてくれ。どうして棺なんかに。どうして……。
逃げ出したい。嘘だと叫びたい。これはただの夢なんだと誰か言ってくれ。
団長がベッドに近づく。
私はその腕をつかんで止めた。
「団長。私に……やらせてください」
意識のない人間は女性といえど重い。
聖女様を二人がかりで荷物のように運ぶわけにはいかないから、騎士で腕力がある団長が運ぶ役割を買って出たことはわかっている。
副団長である私が聖女様の警護責任者とはいえ、本来なら団長が運ぶのが筋だろう。だが。
「どうか」
「わかった。任せよう」
「ありがとうございます」
ベッドにさらに近づく。足が震える。魔獣を前にしたってこんなに震えることなどなかったのに。
花に囲まれて眠る、いとしい人。
ミリア様。あなたは美しい。
容姿に自信がないようだったけれど、あなたはとても魅力的だったんですよ。
私の他にもあなたに気のある男が数人いたのを知っている。
けれど、私の想いはそんな男たちとは比べ物にならないほど大きかったはずだ。
私は、あなたを愛していた。知るほどにどんどん惹かれていった。
もし、私がそれを伝えていれば。
たとえ数年だったとしても、恋人として与えうる限りの愛をあなたに捧げていれば。
あなたは、もっと女性として幸せだったのだろうか。
あなたも私に対して好感を抱いていたと思うのは自惚れではないはずだ。恋と言うには少し足りなかったかもしれないが。
けれど。そんなことを思ってみても、もうなんの意味もない。
ずっと触れたかった頬に触れる。
残酷なまでに冷たい。
首の後ろとひざの下に腕を差し入れると、そこはまだ少し温かかった。
力の入らない体がぐらりと傾かぬよう、しっかりと抱える。
あなたの肌の柔らかさを、こんな形で知ることになるなんて。
ベッドの奥に置かれた棺に、ゆっくりと近づく。
嫌だ。本当はあんなものに入れたくない。どうして。どうして。どうして……!
ミリア様の衣装にひとつふたつと小さな染みができて、自分が泣いていることに気づいた。
皆に背を向けているから見えないだろうが、見られたところでもうどうでもいい。
熱を持たぬ額にそっと口づける。
それを咎める者は、誰もいなかった。
********************
「団長?」
レオに呼びかけられ、はっとする。
だいぶ過去の記憶に引きずられていたようだ。
思い出すにはあまりに辛い記憶なのに、いつまでも鮮明なまま残っている。
危ない。団員の前で涙をこぼしてしまうところだった。
「……あの方を、思い出していたんですか」
「さてね」
「あの方のことになると団長はいつも“さてね”しか言いませんよね」
「誰しも心に触れられたくない部分はあるものだ」
「まあ、そうですね」
私とは違った種類であっても、レオの中にミリア様を喪った悲しみはいまだにある。
すぐ側にミリア様だった人がいると知った時、レオはどうするんだろうな。
喜ぶのか、戸惑うのか。
それともなぜ黙っていたのかと憤るのか。
リーリア様のことが好きなのだから、なおさら複雑だろう。
「お前の人生だからお前の思うように生きればいい。どんな道を選んでも少しも後悔をしないことなどないだろう。だが、後悔の少ない道を選んでほしいと願うよ」
「はい」
「明日のことは誰にもわからない。今日のような明日がある保証などないんだ。それだけは忘れるなよ」
「……はい」
レオはしばし無言で考え込んだ後、訓練の場へと戻っていった。
午後になって雨は止み、空には美しい虹がかかっていた。
滅多に行かない庭園に足を踏み入れると、予想通りというべきかリーリア様が散歩をしていた。
今日の護衛はセティウスか。
セティウスがリーリア様に向ける笑みはどこまでも優しい。初対面の時が嘘のようだ。
セティウスが部屋に侵入したと聞いたときは斬り捨てるつもりだったが、リーリア様は必死で私を止めた。
リーリア様の中にいまだに色濃く根付く、ミリア様としての意識がそうさせたのだろう。
本来なら部屋への侵入など厳罰ものだが、聖女様にかかわることは聖女様の意思が最優先される。
あの方の意思に反してセティウスを処罰してしまえば、あの方をかえって不幸にしてしまう。
だから不問とし、レオにすら侵入を知らせなかった。
納得をしたわけではなかったが、そうするのがリーリア様にとっての最善だったのだから仕方がない。
だがそのセティウスのおかげでリーリア様はラッセルにさらわれずに済んだのだから、まあ結果的には良かったと言えるだろう。
そういえば、ラッセルも本気で聖女様に手を出すつもりなどなかったのでは、などと寝言をぬかしていた数人の近衛騎士がいたな。
その後の調査で明らかになった、ラッセルが偽名で郊外に借りていた家の情報を聞けば黙ったが。
その家の地下にあんなものを作っていたとは。
聖女様のことばかり書いた妄想満載の日記、数々の怪しい薬、それと……いや思い出すのも不愉快だ。
とにかくあいつがリーリア様をさらって地下に監禁しようとしていたのは確実だ。
未遂で済んで本当によかった。
セティウスが私に気づいて、あからさまに嫌そうな顔をする。
はは、相変わらず少しも可愛くないな。
あいつは昔からレオ以上に私を毛嫌いしていたからな。大事なミリア様と親しかったからだろうが。
一方のリーリア様はどこか上の空というか、ぼーっとしているな。時折ため息をついている。
ぼんやりしながら低木の上にいるカタツムリの触角をつついて遊んでいる。
そっと殻をつかんでセティウスに渡そうとするが、激しく拒否されてまた戻した。
ふむ……声をかけてみるか。
「聖女様。ご機嫌麗しゅう」
「ランス卿」
ランス卿、か。
初めて会ったときもこう呼ばれたな。
役職で呼ばれないことに違和感を覚えたが、まさかあの時はこの方がミリア様だなんて思いもしなかった。
ミリア様とは違う容姿、声、年齢。
それでもこの方が生きて私の名を呼んでくれているだけで心が満たされる。
「聖女様。少しお話させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい。わたくしも話したいと思っていました」
ムッとするセティウスに、視線であっちに行けと命じる。
が、従わない。
なるほど、やはり可愛くない。
「セティ。ちょっとだけ外していてくれる?」
「えー」
「カタツムリあげるから」
「いりませんよ絶対。仕方ないなあもう」
渋々離れていく態度の大きい護衛とは違い、淑やかな侍女はぺこりと頭を下げて距離をとった。
「セティウスのことをセティと呼んでいるのですね。……昔のように」
「はい。セティがそう呼んでほしいと言ったので。心を許してくれたようで、嬉しいです」
セティウスがセティと呼ぶのを許したのはミリア様にだけだ。
それほどまでにリーリア様に心を許したのか。
――あるいは?
「それで、お話というのは」
「聖女様が何かお悩みのようなので、気になりまして。事情を知っているのは私だけですので、何かお力になれることがあればと」
「お気遣いありがとうございます。たしかに……悩んでいます。自分がよくわからなくて……」
庭園をゆったりと歩きながら、リーリア様がため息交じりに言う。
雨上がりで足元が悪いので手を差し出すと、リーリア様は少し照れたように私の手をとった。
温かい手。
生きている証であるその温もりに、心が揺さぶられた。
「前世の記憶に関することですか?」
「はい。自分がミリアなのかリーリアなのかわからなくなる時があります。自分の今の年齢も、不思議な感じがして。それに……自分の中の気持ちも」
リーリア様がうつむく。
その頬は赤く染まっていた。
ああ、なるほど。そういうことか。
年齢を重ねると無駄に鋭くなるのが悲しいな。
胸がまったく痛まないわけではない。けれど、私たちの縁はもう結ばれることはないとわかっている。
だから、ただこの方の幸せを願い見守ろう。
私にはもう、それしかできないのだから。
「もしかして好きな男でもできましたか?」
相手までわかっているが、そこまで言ってしまえばこの方を変に追い込んでしまうかもしれない。
「えっ……何故」
ますます赤くなった頬が愛らしい。
「勘、でしょうか。長く生きておりますので。誰に恋をしているかはわかりませんが、私はミリア様としてではなくリーリア様として生きて欲しいと願っています」
「リーリアとして……」
「ええ。あなたは十六歳の少女なのです。たまたま前世の記憶を持って生まれてしまっただけで。たとえあなたに前世の記憶があっても、あなたは三十四歳でも五十歳でもなく、十六歳なのです。体も心も」
「体はともかく……心も、ですか」
「私はそう思います。レオとセティウスを救ったのだから、あなたはもう前世を忘れてもいい頃です。どうか、リーリア様としての人生を幸せに生きていただければと思います」
あなたを失い、暗闇の中をひたすら歩いていた。
人生の目標も希望も何もないまま、ただ終わりに向かって命を消費してきた。
けれど、リーリア様がミリア様の生まれ変わりだと知って、ミリア様の後を追わなかった後悔よりも強く幸せを感じた。
私の愛した人は、生きている。年齢も姿も名前も違うけれど、たしかにここに生きているのだと。
私はその事実だけでもう十分だ。
だからあなたには幸せになってほしい。
共に歩むのが私ではなくても。
「なぜ、ランス卿に言われるとこんなにも心が軽くなって、でも胸が締め付けられるような……こんな気持ちになるのかしら」
泣き笑いのような表情になるリーリア様。
血の通った柔らかそうな頬に手を伸ばしそうになるのを、かろうじて抑える。
「私はいつでもあなたを見守っています。……そうですね、ミリア様の娘を見守るような感覚です」
そんなのは嘘だが。
今更ミリア様が好きだったなどと告白してこの方の重荷になるわけにはいかない。
それに見守りたいと思う気持ちに嘘はない。
「ミリアの娘ですか。なんだか不思議ですね」
「ふふ、そうですね。リーリア様、どうかお心のままに生きてください」
あふれだしそうな感情に、なんとか蓋をする。
ああ、セティウスが遠くでイライラしてるな。
……長生きを、したいな。
リーリア様にも長く生きてほしいと思うから、それ以上の寿命か。なかなか厳しいな。
よぼよぼで歯も髪も全部抜けて早く死ねジジイとか言われても、一日でも長く。
そして来世で少しでも年齢差が縮まって生まれたい。
そんなことが叶うかどうかなどわからないが、今世ではかつて愛した人を諦めるのだから、不確かな来世に望みをかけるくらいは許されるだろう。
だがひとつ、気がかりなことがある。
ミリア様だけでなく、前聖女も短命であったこと。
ただの偶然ならいいのだが、聖女が長生きできないのだとしたら?
……考えたくない。
二度もこの方が旅立つのを見たくない。
初代やその次の聖女は長生きだったというし、どうか長生きをしてほしい。
今度こそ、幸せな人生を。
どうか。




