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聖女リーリアはわがままに生きたい【電子漫画化】  作者: 星名こころ
本編(完結済)

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第24話 狂気


 レオを見送った後、部屋に占月官が訪ねてきた。

 占月官は満月の夜に行われる「(みそぎ)の儀」を取り仕切る女性で、禊の儀が近くなると三日に一回ほど私の体調を見に来る。

 体調というか、月の穢れと禊の儀がぶつからないようにするのだけど。

 いまだにどういう理屈かわからないけれど、占月官は、二~三日後の月の穢れの開始を言い当てることができる。

 ミリアのときもそれは外れたことがない。

 その占月官が、明後日に月の穢れが始まると言い出した。


「明後日? もっと先のはずですが」


 ミリアはわりと不規則だったけれど、リーリアになってからは周期が安定していてほとんどずれることがない。

 だから安心していたのだけど。


「間違いございません。恐れ入りますが、禊の儀を一日早め、明日の夜に行ってください」


「……薬は?」


 ミリアのとき、満月と月のものがぶつかる場合は開始を早めたり遅らせたりする薬を使っていた。

 子供を産む予定もなかったし、聖女としての仕事が優先だからそれを嫌だと思ったことはなかったのだけど。


「使うなとの大神官様の仰せです。満月から多少ずれてもいいから禊の儀のほうをずらせとのことです」


「……」


 私が特別な聖女だから、体に気を遣ってくれるの? 儀式をずらしてまで。

 たしかに満月の日に行うことも、そもそも禊自体もただの伝統行事で意味はないのだけど、リーリアが特別扱いを受けるたびにミリアってなんだったんだろうと思ってしまう。

 でも、考えても仕方がないわね。

 それにしても、明後日ならレオも帰ってきていたはずなのに、明日の夜とは。

 レオがいてくれたほうが心強いけど、まさか「レオがいないから禊の儀は受けられません」なんて言えるはずもない。

 私は継承の儀も受けておらず、祈りの間にも行っていない。

 目に見える形で聖女らしいことはやっていないのだから、周囲を納得させるためにも伝統的な行事は受けないわけにはいかない。


「わかりました。明日行います。ルカ、グレンに連絡を。警備の準備があるでしょうから」


「承知いたしました」


 それにしても、禊の儀。

 リーリアになってからは神殿に入る前に一度禊を受けたきりだけど、私は前世からそれが大嫌いだった。

 なぜなら水がものすごく冷たいから。

 神殿の外れにある小さな滝から水を引いていてそれを頭から浴びるのだけど、とにかく冷たい。

 真昼間ならまだましなのかもしれないけれど、夜に行わなければいけないから、水も冷え切っている。

 冷水を頭からかぶる苦行のような儀式。

 今は昼間こそ暖かいけれど、夜になるとまだ冷え込む季節だから辛い。真冬よりはましでしょうけど。

 けれど、「そんな行事は意味がないからやらない」と言うことはできない。

 憂鬱だわ……。


 そして、禊の儀を受ける夜。

 エイミーに飾り気のない白い衣装を用意してもらい、着替える。 

 今日ばかりは精霊絹の衣装は着ない。

 なにせ服を着たまま聖なる泉(という名の水風呂)に浸からなければいけないから。

 絹って水に弱いのよね。

 髪も結わずにすべておろしたままで、最後に精霊絹の外套で肌を完全に隠し、廊下に出た。

 待っていたのは、アイラとベテラン女性騎士。

 この儀式だけは、女性の騎士のみがつくことになっている。

 騎士は禊の間には入らないとはいえ、水浴びをするのだから男性は遠ざけられる。

 グレンは少し離れた場所で警護してくれることになっていた。


 女性騎士二人が先導し、私、着替えを持ったエイミーと続く。

柱に埋め込まれた月光石のわずかな明かりだけが照らす渡り廊下を歩くと、突き当りに五段ほどの階段と両開きの扉が見えた。

 女性騎士は扉の前で止まる。エイミーが扉を開けて二人で中に入った。

 奥から聞こえる、水が流れる音。

 薄暗い部屋の中、目に入るのは天井から下がっている白い厚手のカーテン。

 扉を開けてすぐの「控えの間」と奥の「禊の間」を完全に仕切っていて、今は「禊の間」は見えない。

 侍女が入れるのはこの控えの間までで、禊の間へは聖女のみが足を踏み入れることができる。

 外套をエイミーに預け、私は二重になっているカーテンの奥へと進んだ。

 

「はあ……」


 思わずため息がもれる。

 天井にあいた穴から流れ出る、とても冷たそうな水。

 あれを頭から浴びなきゃいけないとは……。

 誰よ、こんな儀式を考えたのは。

 今はまだ我慢するけど、そのうちここに水じゃなくて温泉をひいてやるわ。


 聖なる泉(水風呂)は床よりも低い位置に掘り下げられていて、階段を三段ほど下りて腰まで水に浸かる。そして流れ出る水を頭からかぶる。

 一体何の修行かしら。

 聖女が風邪をひいたらどうするの?

 体調に気を遣うというなら、ここにこっそりお湯でも流しておいてほしいわ。

 適当に入ったふりをしてもばれないんじゃ、と思ったけれど、それもみっともないので覚悟を決める。

 一段下がると、脛まで水に沈んだ。つ、冷たい!

 二段、……ああっ

 三段! ああああつめたいぃぃ

 さむい!

 もうさっさと終わらせたくて、流れ出る水の下に体をもぐらせる。


「――っ!」


 これは聖女を殺すための儀式か何かなの!?

 むり! もうむり! 出る!

 ザバザバと乱暴に水をかき分けながら出る。

 がたがたと震えがきた。

 長い髪が水をたっぷり吸って重いし冷たいし。

 振り返って水風呂のほうに腰をかがめて髪の水分を絞る。

 服もびしょびしょなので当然寒さは軽減されない。

 あとはエイミーに着替えを手伝ってもらって――


 パリン


 後ろで、何かが割れる音。

 妙な魔力が部屋を包み、水の流れる音が聞こえなくなった。

 私は振り返る。

 ――そこに、近衛騎士ウィリアム・ラッセルが立っていた。

 やけに優しい笑みをたたえて。


 全身に鳥肌が立った。


 なぜ、どうして、ここに。

 どうやって、どこから。

 護衛はどうしたの。

 逃げる? 戦う? いいえ無理だわ。護衛を呼ばなくては。

 そうだ、魔石を……!


 そう思った時には、すでに彼は目の前にいた。

 悲鳴すら凍り付く中、彼は私の左腕を掴み、紐に通して手首につけていた魔石をむしり取った。

 私の腕をつかんだまま、彼はそれを投げる。

 水風呂の中に落ちたらしく、ポチャンと儚い音がした。

 その音で、ようやく私は我に返る。


「だ、誰か……!!」


「無駄です」


 彼の口元には笑み。

 左腕は掴まれたまま。

 このひどい震えは寒さゆえか、恐怖ゆえか。


「防音結界の魔石を使いましたので、外には声は響きません」


 そこではっとする。


「エイミーは? 私の侍女は!」


「ご安心を。薬をかがせて気絶させただけですから。死にはしません」


 よかった……。

 エイミーの無事にほっとしたことで、少し落ち着きを取り戻す。


「一体どこから入ってきたのですか。外の護衛は!?」


 外には警護の騎士が二人立っているし、少し離れたところに男性の騎士もいる。

 それに使われない時は禊の間は厳重に施錠されているはず。

 いつ、どこから入ってきたというの。


「そこの水が流れる穴ですよ、聖女様。穴の上の石をひとつ外してもまだ厳しくて、最終的に肩を外してなんとか入れました。護衛は間抜け面で外に突っ立っているのでは?」


 異常だわ。

 そんなところから侵入してくる執念も、それを世間話のように話すことも。 

 髪や服があまり濡れていないということは、前もって侵入して儀式が始まるまで禊の間のどこかに隠れていたということ?

 儀式前には占月官と女性騎士によるチェックも行われるはずなのに。

 ううん、今はそれよりも。


「これは何の真似ですかラッセル卿。近衛騎士ともあろう方が……!」


 そう言う声も情けなく震えている。

 防音結界の魔石なんて、決して一般に流通するものじゃない。

 さらに、とんでもなく高額のはず。

 そんなものを用意してまでここに侵入した目的は。

 ……考えたくない。


「ああ、そんなに怯えないでください、聖女様。私は何も不埒な真似をしようとここに来たわけではないのです。ただ二人で話がしたくて」


 それを聞いて安心なんてできるはずもない。

 そう言いながらも彼は濡れた私の体を見下ろしている。

 水に濡れることと着替えを考慮して選んだ袖のない前合わせのワンピースが、水を吸って私の体にぴったりと張り付いて体のラインを浮き上がらせている。

 厚手の服だから完全に肌まで透けてはいないとはいえ、男性に見せられるような姿じゃない。

 ずっと掴まれている左腕が痛い。さらに力が入ってきている気がする。

 圧倒的な筋力の差を思い知らずにはいられない。

 

「私は話をしたいだけなのに、いつも赤毛の騎士があなたを遠くから見張っていて……」


 レオが?

 ここのところ護衛はレオ以外にお願いしていたけれど……私の知らないところでずっと警戒してくれていたの?


「ジークさんだって、あなたを部屋に送る役目を譲ってくれないどころか説教まで。なんでみんな邪魔しかしないんだ」


 陛下とのティータイムの帰り、フランダール卿と言い合っていた。

 フランダール卿のあの動き、私がこの男を見ないようにではなく、この男が私を見ないように隠してくれていたのだと今ならわかる。


「ただ、私は、話を……話をしたいだけなんです」


 大きな手が伸びてきて、指先が頬を撫でる。

 顔をそむけてその手から逃れようとするけれど、今度は首に触れられた。

 本当に怖いときは悲鳴すらでないのかと思い知る。


「なんて滑らかな……。ずっと、あなたに触れてみたかった」


 話をしたいだけが聞いてあきれる。

 無骨な指が首筋を撫でながら鎖骨のあたりに下りてくる。

 嫌だ、気持ち悪い……!

 身をよじって避けようとしても、がっちりと腕をつかまれてほとんど動けない。

 男の息遣いがはっきりと聞こえる。

 いやだ。こわい。助けて。誰か、誰か。

 誰も……来ない。

 防音結界で、この部屋の音は外に響かない。窓もない。

 水に落ちた魔石を拾おうかと考えたけれど、身体能力に差がありすぎて拾う前に止められる。そもそも腕を握られたままで動けない。

 なら、諦めるの? こんな男にこのまま自由にされるの?

 ――冗談じゃない。

 男の指が無遠慮に肩と服の間に潜り込んできた瞬間、怒りが恐怖を凌駕した。


 私は右手を彼の顔に向かって突き出すと、「壁どん」を放った。


「ぐぁっ!」


 至近距離で不意打ちをくらったラッセルは、後方に吹っ飛んだ。

 気絶させられたかもしれないと思ったのもつかの間、彼はすぐに膝をついて起き上がる。

 鼻をおさえた指の隙間から血が流れていた。

 片手撃ちで威力が落ちているとはいえ、あの距離で不意打ちをくらってすぐに起き上がれるなんて。

 もしかして吹っ飛んだのではなく、威力を殺すために自ら後方に飛んだのかもしれない。

 でも感心している場合じゃないわ。

 私はラッセルを睨みつけた。


「無礼者、わたくしに触れるな」


 こんな男に屈したくない。

 その思いが、声の震えを止めた。


「お前と話すことなどないわ。さっさと立ち去りなさい。身の程を知るがいいわ」


 これで素直に立ち去るとは思えなかったけれど、時間を稼いで対策を考えたかった。

 真正面から壁どんや床どんを連発したところで、騎士に敵わないのはレオに思い知らされた。

 ならどうすればいいんだろう?

 窓はない。

 魔石を拾うのもおそらく無理。正確にどの位置に落ちたかわからないし、探している間に捕まる。


「ああ……なんと気高く美しい。どうかもっと私を罵倒してください」


 え!?


「私はあなたが神官長に怒りをぶつけた時から、あなたの虜なのです。ずっとあなたに引っ叩かれたい、踏まれたいと思っていました」


 鼻血をぬぐいながら、恍惚とした表情で言う。

 変態だ。

 こういう思考回路の変態がいると聞いたことがある。

 気持ち悪い。怖い!


「もっと……私に痛みを……」


 一歩、変態が近づく。


「来ないで!」


 再び壁どんを放つけれど、岩のようなものをまとった腕に砕かれる。

 痛みが欲しいんじゃなかったの!


「食らいたいのは山々ですが、戦っている時間は惜しい。結界は長時間はもちませんし、時間をかけすぎるとさすがに護衛も乗り込んでくるかもしれませんから」


 ラッセルは土属性の紋章使い。騎士の強さに詳しくはないけれど、この年齢で紋章を使いこなすなら、腕がいい方のはず。

 何発撃っても無駄かもしれない。

 それなら。

 床どんを放つと、彼が一瞬よろめく。

 その隙に、扉に向かって壁どんを放った。

 扉に当たれば、扉が開くかもしれないし、開かなくても振動で外の護衛が気付いてくれるかもしれない。

 けれどその望みは、紋章の力をまとったあびせ蹴りで打ち砕かれた。


「なかなかお見事です、聖女様」


 彼が床を蹴って私の目の前に迫る。

 私は動くことすらできなかった。


「けれど通じません」


 優しい声音で、彼が言う。

 両手首を容赦なく掴まれた。

 痛みに顔をしかめる。


「そういうお顔もたまらなく素敵でゾクゾクします。あなたの色々な顔を見てみたい。外の護衛を斬り捨てて逃げましょう。そして二人で暮らすんです」


 何を言っているのこの男は。

 騎士や兵士がそこかしこにいる中で私を連れて門を突破できるわけがない。

 計画性も何もない、後先を考えない行動の数々。


「お前は狂っているわ」


「だとしたら、それは聖女様が悪いのです。聖女様だって私を好きなはずなのに、神聖騎士ばかり侍らせて。もしかして嫉妬させたかったんですか?」


 怖い。

 話が通じない。

 この男は妄想の中で生きているの?


「お前を好きだったことなど一度もないわ」


 すう、と彼の瞳が氷のように冷たくなる。

 話を合わせれば勘違いが暴走するだろうし、何も言わなくても肯定ととるだろう、この男の思考回路なら。

 それなら言葉の上だけでもこの男の思い通りにはなりたくはなかった。

 無力な私にできる、唯一の抵抗。


「なら思い出させてあげますよ」


 彼の顔が近づいてくる。

 嫌だ……!

 きつく目をつむって顔をそらす。

 私の手首を握る手が、ぴくりと動いた。


「……?」


 おそるおそる目を開けると、彼は自分の足元を見ていた。

 つられて私も見る。

 彼の膝から下が、氷に覆われていた。氷は地面まで続いていて、彼の足の動きを封じている。


「つっ!」


 私の手首を握っている彼の手が緩む。

 いつの間にか彼の両手首に、トゲだらけの蔦が巻き付いていた。   

 

「リーリア様そいつから離れて!」


 聞き覚えのある声。

 私はとっさにラッセルの横をすり抜け、声がしたカーテンのほうへと向かった。

 カーテンが切り裂かれ、ぱさりと落ちる。

 複数の属性の魔法を同時に、しかも自分の体から離れた場所に発動できる人間。


「セティ……っ」


 抜き身の剣を手に入ってきたのは、恐ろしいほどの魔力を身にまとったセティだった。


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